2012年7月19日
※この作品は作者の日記ではありません。
7月19日(木)
もしだらだらとしたこの世界、及び生活が終わるのであれば、世界のフィクション化なるものを受け入れるのもいいかもしれない、と思ってしまう。認めよう、私の生活はだらだらしていることを。そして認めよう、世界のフィクション化が多少以上に魅力的に、私の目には映っていることを。
「あなたは、フィクションを身近に感じている?」勤務日でもないのに百合心音から電話がかかってきた。珍しいことだ。フィクションを身近に感じていると言えば感じている。毎日のように図書館で借りた小説を読んでいるのだから、私は暇なときは常にフィクションと戯れていることになる。「そうじゃなく」百合心音は否定する。「あなた、本当に人間かしら?」そしてさらに、根本的なことを訊かれてしまった。私は誰がどうみても人間のはずである。本当にそうかと訊かれると、どう証明すればよいのやらわからないが。「九州はもうかなりフィクション化されているはずなのよ。それなのにあなたはフィクションを身近に感じていない。それはおかしい話なのよ」それは百合心音にとって都合の悪い話なのだろうか。「割とね」ならば努力してみよう。「してみて」
百合心音のそれから続いた話によれば、九州がフィクション化されるためには、九州の全員、つまり私も含めた全員がここはフィクションであるということを認める必要があるという。それってとても無理のあることなのではないだろうか。それとも、本州でそれができたのだから九州でもそれができる、という理屈なのだろうか。試しに晩餐時に母に尋ねてみた。世界がフィクション化されていることに気づいているのか。「そういえば、最近現実感がないのよね」母は気づいているようだった。