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このキノコ人間が。  作者: 天城春香
誰かの日記
251/366

2012年4月21日

※この作品は作者の日記ではありません。

4月21日(土)

 私の勤務は火曜日から始まるのだそうだ。そして週に1日。希望しておいてなんだが、よくこんな条件の職場があったな、と思う。こうして働き始めることによって私の生活は確実に、少しは変わるだろう。昨今の若者にありがちな自信なさげな表現である。それとも今の十代あたりは違ったりするのだろうか。最近の若手作家の書く小説の主人公は私の世代よりも地震に満ち溢れているような気がする。それか、物語というものに自覚的で、物語の目的に沿って動こうとしているかのどちらかだ。どうして勤務が始まるという自分への報告からこんな話になったのか、自分でもわからない。


 もしも百合心音の言うようにキノコによってこの世界が物語化してしまっているというのであれば、私の人生はなんて退屈な物語なのだろうか。物語というものは毎日に起伏がなければ始まらない。そりゃあ物語の都合で何事も無い日が数週間続いたりすることもあるが、私がキノコを食べ始めたのは去年の8月である。何もない日々、と描写するにしては期間が長すぎる。個人的には幻覚が見えたり榎本なごみと出会ったりと何もないことはないのだが、世間的には何もないこととほとんど同義だろう。こんな物語があってたまるか。それか、私はきっと主人公ではないに違いない。いつかどこかで主人公に出会って、それに関わったり関わらなかったりするのだ。


 晩餐の席で抽象的な話をしてみた。この世が物語だとしたら、主人公は一体どんな人物になるのだろうか、と。一応物語に関わる仕事をしている母はまともに考えてくれるのではないかと期待していたのだが、「きっと一部の金持ちでしょうね」と夢のない反射的な答えを返した。妹はいつものように私と晩餐を共にしていなかった。こんなとき、榎本なごみがまだ幽霊で浮遊していたらどんな答えを返すだろう? そもそも榎本なごみという存在自体が私の妄想のようなものなのだから、召喚できないものか。念じてみたが、できなかった。世界がそうさせているのだろう。世界は一個人より自分勝手である。

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