2012年1月12日
※この作品は作者の日記ではありません。
1月12日(木)
久々に思い出したことなのだが、今日はサロンの日である。しかし行かずに文章の続きを書いた。今更行くのも気が引けるものがあるし、さっさと文章に結末を迎えさせたかったからだ。こんな内容の結末を書いた。死んだ追う男の死体を朝方発見した逃げる男は、追う男を担いで山を降りた。そして山の麓で、逃避行を続けていた二人は追う男の死体を挟んで立ち尽くす。逃げる男は涙した。逃げる女こと追う男の妹も涙した。そこへ通り雨が降り出した。そして女が言った。「悲しいよね、他人が死んだだけなのに」と。そんなラストシーンを書いた。そのあと簡単なエピローグを付け加えた。二人はそれからもしばらく逃避行を続けたがあっさり警察に捕まり、トラックの荷台に置きっぱなしにしていた死体も発見され、二人は社会的に死ぬことになった、という身も蓋もないものである。しかし人生の最後なんて綺麗に終われるものでもないのだから、物語の終わりもこんな感じでいいのだ、と私は自分に言い聞かせた。
人の死を書いていて思い出したのだが、私の周囲で人が死んだことは一度だけある。祖母が学校にいいっている間に死んだのだ。祖母は既に老人ホームに入っていたので、喪失感は薄かった。そのあと行われた葬式でも通夜でも、私は泣かなかった。泣けなかったからである。だって祖母はもう家族から排斥されていたのだ。老人ホームと言う名の、まあ上手いこと言えないが、世間と隔離された場所に。
一気に文章を書いたので疲れて眠った。体をほとんど動かしていないのに眠いとはこれいかに、である。「頭脳労働したからですよ」と榎本なごみは言う。しかし私のこの行為によって一切の金銭は発生しない。徒労である。「そんなこと言いだしたら子供の遊びなんかも徒労ですよ」そう、徒労である。「否定するのもめんどくさいくらい疲れてるんですか?」私は実際にその通りだと思ったのだ。「それは変です」しかし私は狂っている。
晩餐に豚の黒酢煮と母が呼ぶ料理が狂された。鶏を煮たものであり、パサついており、変な酸味があった。キノコのスープで味を消しながらでなければ食べられない代物だった。スープは2杯飲んだ。そのくらいの量を摂取しないと晩餐後に倒れることができないのではないか、と思ったからである。