2011年12月24日
※こんな時期でもこの作品はフィクションであり、実在する人物・団体・時候とは一切関係ありません。
12月24日(土)
「この世は闇だと誰が決めた?」そんな救世主の台詞を考えてみたが、ありがちである。どうも私の想像力は狂って以来減退しているようで、ありがちなことしか考えられなくなっている。たまに見える常人では見えないものも、見えたものを見たままに日記に書いているだけなので、少しも想像力があるわけではない。狂った頭が勝手に見せた幻覚で、私が想像したわけではない。狂いというものは自分の中に勝手に動きまわる野獣を飼っているようなものなのである。この比喩もありがちだ。
図書館に本を返却しに行く、同時に狂った私を観察する浮ついた人々を観察しようとしてみたが、街は通常の休日と同程度の人出であり、小学生の頃旅行で訪れたことのある東京なんかとは比べるべくもなく少ない。宮崎の人口から考えればこんなものか、と思いつつ、クリスマスなんだからもっとはしゃげ人々よ、と心の中で叱咤激励しつつ、凹むからはしゃがなくてもよろしい、と人々に言い聞かせつつ、私は本を返却しに行った。頭の中は忙しかった。
もちろん妹に不幸が起こった我が家でも何も催す様子はなく、いつも通り母は自室で翻訳作業に精を出し、妹は友達と集まって何かするそうである。残念会兼クリスマスパーティとかそんなものだろう。いつもどおりである。よって私はいつものように孤独である。「ずいぶん前から私がいるじゃないですか」と榎本なごみは言うが、都合のいい相手に都合良く甘えたくない、という気持ちが今日の私にはあった。「そんな気持ちがあるなら、福祉に甘えたりせずに就職に向けて動いてみたらどうですか?」その通りである。しかしもうこんな日だ、今年はもう手遅れである。そして人間は寝て起きるたびに考えが変わってしまう生物である。「結局、あなたは現状に満足してしまっているんじゃないですか」狂った私が働いたところで世間に迷惑しかかけられない、というのが現状での私の考えである。「いつまでこの生活を続けたいんですか」そのままの質問を榎本なごみになげかけてみた。「善処します」榎本なごみの返答は意味がわからなかったが、私も同感だったので黙っておいた。
晩餐の席に饗されたのは、狙ったかのように和食だった。キノコは味噌汁に入っていた。おかげで味噌汁が無味である。テレビでも点けてみようかと思ったが、母がリモコンに手を伸ばそうとしないので静かな夜の中で晩餐の橋をすすめた。「年明けに締切なのよ」母は言っていた。年が明ければ母は締切が迫るわ苗字が変わるわで大忙しである。私もそろそろ忙しくならなければならない。今日の私はそう思った。