2011年12月11日
※この作品はフィクションであり、作者の日記ではありません。
12月11日(日)
人が粘液に包まれて生まれて来る様をグロテスクと感じてしまうのは人間特有の感覚なのだろうか。それともそんなことを感じるのは私だけだろうか。子供が生まれて来る様を壁の向こうに隠すのは人間くらいなものである。人間以外の動物は、子供が生まれて来る様を堂々と他者に見せつける。正確に言い換えれば、他者に自分の子供が産まれるところを見られても決して取り乱したりはしない。人間だったら、きっと家族と医師以外の人間に自分の子供が生まれるところを見られたら恥のあまり発狂してしまうだろう。私は誰の母親でもないのでそんなことを予想する資格などないかもしれないが、なんとなくそういう気がしたので。子供を産んだ母親というものは狂っている。我が子狂いである。
日曜日に出歩くことは愚である。人の目は必ず私に集まるだろう。好奇の目を向けるのだ、狂った人間は珍しいから。だから私は一日家に閉じこもって、上に書いたようなことを考えていた。考え終わった私は、とても無駄な時間を過ごしたような気分になった。
だから文章の続きを書く事にした。ネタはまだ浮かんでいなかったが、いくら考えても思い浮かばなかったので手が動くのに任せることにしたのだ。逃亡者の女が逃亡者の男を盲目的に慕う理由、が思い浮かばなかったので書けなかった。だから適当にでっち上げることにした。女は精神的に未成熟なため、何かに依存していなければ生きていけない。そこに都合良く手を差し伸べてくれる殺人者で逃亡者の男は、依存するのにちょうどいい相手だったのだ、ということにした。すると今度は、逃亡者の男が都合良く女に手を差し伸べる理由を考えなければならなくなった。文章を書く事は考えることだらけだ。いや、考えずに文章が書けるほうがおかしいのか。
「私はあなたに依存しているのかもしれませんね」と、ふと榎本なごみがつぶやいた。「あなたが私に依存しているように」と榎本なごみは続けた。私はその発言になんの反論も返さなかった。少なくとも私が榎本なごみに依存していることは間違いなかったからだ。
晩餐に鮭が出された。ソテーにしてあってキノコ入りの餡がかけられていた。餡はキノコから無味のエキスが滲み出したのか、なんの味もしなかった。それがかけられている鮭のソテーも味が極めて薄くなっていた。うまくはなかったが、食べるよりほかはないので食べた。一日一食の私は、その一食を抜くと死ぬ可能性があるのだ。
深夜、この日記を書いていると編集者がマンションにやって来た。ドア越しに玄関で発せられる声まで聞こえてくるのだ、この部屋は。編集者は母との密会を始めた。扉の向こうで、恐らくリビングで、こそこそと二人で喋っていた。肉親が他人にいちゃついている様子を耳で観察するのは、とても気持ちの良いことではなかった。だったら止めればいいのに、とは思うのだが、耳をふさがない限り勝手に聞こえてくるのだ。耳をふさぐには日記を書くのをやめなければならない。なので私はこれから耳をふさいで横になることにする。