2011年11月27日
※この作品はフィクションであり、登場する人物はすべて架空のものです。
11月27日(日)
パソコンを起動させるたびに恐怖に苛まれる。今回はまともに起動しないんじゃないか、という恐怖である。その恐怖から目を背けるため、気を紛らわせるために私は酒を飲んでいた。しかしその酒が封じられてしまっている(冷蔵庫からなくなっている)現在、私はいちいち恐怖しながらパソコンを起動しなければならない。面倒である。しかしパソコンを開かずに退屈を紛らわせる方法を、私は読書くらいしか知らない。読書だってすぐ飽きる。インターネットと読書を交互にやることによって、私は何とか余り過ぎている時間をやり過ごしている。きっとこれは無駄な時間の過ごし方である。こんなことするくらいなら働いた方がいい。そして稼いだ金で酒を買って気を紛らわせながらパソコンを起動したほうがいい。
榎本なごみが「そろそろ書いたらどうですか?」と急かすので、文章の続きを書くことにした。死による展開は陳腐である。それに苦し紛れ感が出てしまう。そう考えたので、逃走中の男女の行方を死を使わない方向で考えてみることにした。そのためには、新たな出会いが必要となった。そのくらいしか私の頭からは生まれなかったのである。逃走中の男女は一匹の猿と出会った。猿は喋った。男女は猿とコミュニケーションを取るという世にも珍しい体験をすることにした。という展開を書いた。また自分の実体験をネタにしてしまった。少しは大嘘をつかなければ、すぐにネタは枯渇してしまう。何とかしてネタをひねり出さなければならない。
文章を書いたらパソコンを閉じて、昨日結局返却できずに自分のものになってしまった「このキノコ人間が。」の続きを読んでみた。どうにもリアリティの薄い日記調の文章が延々と続いている。終わりのない本を読むのは苦痛なので、この本はしばらく放っておくことにした。思い切って捨てられないのが私という人間である。これは狂っているとかいないとかは関係ない。
妹が珍しく、しかも深刻な様子で私に話しかけていた。母が知らない男とデートしているのを目撃してしまった、というのである。何気なく出かけていたら、母と知らない男が腕を組んで歩いているのを見た、という。「腕組んで歩くなんて付き合ってる以外考えられない」のだそうだ。妹の想像力は、私に、ああ、この人間は私の家族なのだなあ、と思わせた。
晩餐の席で妹が目撃したことを母に伝え、本当にその男と付き合っているのか、と尋ねてみた。「ああ、お父さんには黙っていてね」と母は言った。「離婚の手続きって面倒なのよ」父にばれると話が離婚方面に富んでしまうらしい。父は嫉妬深い性格をしていたのか、と、こんなに長い間家族をやっていて初めて知ることになった。