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不思議な貼り紙と黒銀の店主


 陽を透かす新緑がさわさわと涼しげな音を立てる穏やかな午後。青年は人もまばらな神社の境内に立っていた。

 青年の名前は瑞枝司。チョコレート色の艶やかな髪と銀灰色の瞳が印象的な、二十歳を迎えたばかりの男子大学生だ。都内の大学で表現文化を学ぶ彼の専攻は、小説。とりわけ神々や精霊、動物や幻想生物を扱うような幻想的な題材の作品を好んで書くので、今日は課題となる小説作品のネタを集めるべく、こうして近所の神社を訪れていたのだった。

 この神社は、兎が神使であることで少しばかり有名だ。狛犬ではなく二匹の兎が社の前に配置され、参道から境内にある池まで、いたるところに様々な兎の像がある。どっしりとした石造りから今にも動きそうな色付きの陶器まで、多種多様な兎像は見ていて飽きない。かわいいもの好きの司には、心ほころぶ魅力的なスポットだ。夢見がちな性格も相まって、こうして数多の兎たちを前にした彼の頭の中はファンタジーな話の構成でいっぱいなのである。

(兎たちが神様のお使いにでる話はどうだろう。それか、こんなにたくさんの兎がいるから運動会をするお話もかわいいかも)

 ぴょこぴょこと兎たちが池にかかっている橋を駆け競争している風景を想像する。そんなかわいらしい空想に心を踊らせる司の心中は幸福感に溢れていた。しかし、その感情が表れるはずの顔はすんと澄まされ、表情というものが見えない。涼やかな目元とぴくりとも上がらない口角は真顔に近く、感情を見事に消してしまっている。その顔を見たものは、彼の心情が花が舞う如くであることを読み取ることはできないだろう。

 昔から大人しい子供だった司は、その豊かな感情に対し顔にそれが出にくかった。こういう場合、多くはトラウマ起因を疑われがちだが、そういうことは一切ない。ただ単純に、感情に表情が追いついてこないだけなのである。仲の良い友人からは「表情筋が死んでいる」などと評され、初対面やあまり交友のない人物からは近寄りがたいと思われることもしばしばだ。ただ、近寄りがたいと思われるのはその澄ました表情だけではない。

 標準より少しだけ高い背丈に、時折ふく風に僅かに揺れる袖から伸びる白い腕。しかし決して病的ではなく、年相応の筋肉がついた身体は薄手のパーカーで隠されていてもスタイルの良さがにじみ出る。高い鼻とシャープなフェイスラインは美形と評するに相応しく、印象的な容姿は浮世離れしている印象を強めていた。

 現に、ただ池を眺めているだけの司をチラチラと盗み見る人は男女を問わない。妙齢の女性などはすれ違うまでたっぷりとその容姿を鑑賞し、隣を歩く友人と黄色い声をあげている。司自身それらの視線や声に気付いてはいるのだが、彼にとってはそれが日常なので気にも留めない。さすがに生まれてから今日に至るまでのやりとりで自分が整った顔立ちである事は自覚しているしそれを謙遜することもないが、かといって特別なことでもない。歩いている猫を可愛いなと眺める人を第三者がなんとも思わないのと同じように、司にとってはただそれだけのことなのだ。


 広い境内の端に配置されていたベンチに腰掛け、戯れるような風の動きと木の葉が擦れる音を聞きながら構想を練ること一時間。隣に置いていたリュックを背負い直し、司はゆっくりと立ち上がった。時刻はもうすぐ午後三時。糖分を欲している頭を休め、ついでに練り上げた構想を起こすためにどこかに腰を落ち着けたいところ。長居ができそうなカフェを探しに、周囲を散策することに決めた。

 神社の近くは住宅街でカフェが少なく、見つけても席の空きがなさそうに見えたり、雰囲気でなんとなく入店を躊躇してしまい、気付けば神社からは離れた小道まできてしまった。駅には近いが依然として住宅が多くドアや駐車場、ちょっとした花壇や塀などが傍らの景色となり、この先にカフェがあるようにはあまり思えない。最初は散策を楽しんでいたものの段々とゆっくり休みたい気持ちが強くなり、諦めて帰ろうかという気持ちが強くなってきた。

(あとちょっと進んで、お店なかったら帰ろうかな)

 あと少しだけ、と最後の気合いを入れた矢先、唐突に綺麗に切り揃えられた立派な生垣が現れた。思わず立ち止まって先を見てしまうほどに長く続く青々と茂った背の高い生垣。その長さから、敷地の広さが見て取れる。どんなお屋敷かと視線を斜めに向けると、生垣の奥に茶色の三角屋根が見えた。少し進むとシャープな黒い門が開かれていて、その足元には黒い狐をあしらったマークとアルファベットが並んでいた。少し見慣れない配置は単純な英語ではないように見える。造語なのか読みにくいのか、下に小さくカタカナでルビが振られていた。

「カフェ……ノワ、ルナール?」

 門の先は芝生になっていて、正面の建物までは石畳が敷かれている。少し距離があるので店内の様子は見えにくく入るのに躊躇したが、焼き菓子だろうか、わずかながらしっかりと存在を主張するバターの匂いにしっかりと心を掴まれてしまった。看板には洒落たフォントで「OPEN」と書かれているのだから閉店間際ということもないだろう。

「……よし!」

 石畳を進んでいくと、生垣に隠されていた建物の全貌が見えてきた。白い壁に茶色の屋根の建物は避暑地にあるようなペンションを思わせる作りで、大きなガラスで区切られたテラスはニスを塗ったばかりなのか、艶やかな木材が敷きめられている。白と水色の大きなパラソルとガーデンチェアのセットが並ぶ様は欧州のカフェを思わせ、お菓子の家のチョコレート扉のように重厚な扉に手を掛けると、動きに合わせて揺れたドアベルがかららんとさっぱりとした音を奏でた。

 広がった音と充満する焼き菓子と、花の匂いにも似たふくよかな香り。まるで異世界との境界をくぐったような胸のときめきを与えてくる。ほんの少しの違和感のようなざわめきが未知への憧憬を強め、新しい玩具を得た子供のように胸が躍った。

 店内に配置された家具や壁面を彩っている飾りたちがアンティークであることも、異世界感を強めている所以だろう。入り口付近、レジ横に飾られたドライフラワーのセピア色もこの古めかしく美しい店内にマッチしていた。

「いらっしゃいませ」

 近くの席へ配膳をしていた長身の男性が微笑みながら近付いてくる。歳のころは三十代前半、あるいは二十代後半だろうか。艶のある黒髪を後ろにまとめ、こつこつと軽快な靴音を鳴らす足は司よりも長い。制服だろうか、黒のギャルソンとシュッと引き締まった体躯の相性がよく、少し紫がかった黒の双眸と左の目元にある黒子が印象的な、落ち着いた大人の魅力溢れる人物だ。この癖の強い店内に似合っていて、見事に溶け込んでいるこの人もまた、アンティーク家具とともに時代を飛び越えてきたのかと錯覚してしまうほどだった。

「お一人様ですか?」

「あ、えと……はい」

「お席はカウンターとテーブルがございますが、ご希望があればお伺いします」

「テーブルでお願いしたいです」

 かしこまりました、と一礼した男性は店内を見まわし、角の席を見とめると手本のような動作で席の誘導を始めた。店内は席数の割に通路が広く歩きやすいが、人気の店なのか席は埋まり気味で賑わっている。キョロキョロと周囲を見回したい好奇心を抑え、ひとまず目の前の従業員についていくことに専念した。

 席に着くと女性店員が挨拶と共にすかさずメニューとお冷を持って現れた。青みがかった短い髪を耳にかけ、ヘアピンで留めている。涼やかな目元がクールな印象を与える彼女もまた、違和感なく店内に溶け込んでいた。

「お決まりの頃、お伺いします」

 目元のせいか、ほんの少しの親近感を覚えながら、司はゆっくりとメニューを開いた。つられた匂いもあってお菓子のイメージが強かったが、どうやら食事もできるようでいくつかのメニューが写真とともに紹介されていた。すっかりスイーツの口なので今日頼むことはしないが、食べてみたい気持ちはむくむくと湧き上がる。ただでさえメニューの一文を読んでどんなふうに提供されるだろうと味を想像してしまうのに、写真つきは食べることが大好きな司の脳と胃袋には大ダメージの刺激だ。

(あれもこれも食べたい……けど、今日はスイーツ。また今度、絶対食べに来る)

 今日のところは見逃してやろうと、悪役めいた捨て台詞を胸中で吐き散らしながらページを捲ると、ようやく目当てのスイーツが現れた。こちらもいくつかは写真付きで紹介されていて目と胃袋が浮き足立つのを感じる。カフェによくあるケーキセットがお得なのだろう、一際目立つように配置されていた。ドリンクの種類はある程度縛られるのが定番だが、この店はいくつかの対象外メニュー以外なら好きにドリンクを選べるようだ。スイーツのページの後ろにドリンクのメニューが並んでいるのだが、定番の珈琲、紅茶からチョコレートドリンク、フルーツジュースまで幅広い。また、喫茶店には珍しく、珈琲より紅茶の方が種類が豊富なのも目新しかった。おそらく店内に広がっているこのふくよかな香りは紅茶の茶葉の香りなのだろう。

 司は珈琲も紅茶も嗜むが、紅茶の方が好みだった。紅茶好きの母親の影響もあるが、種類によって味の違うそれにあうスイーツや食事とともにペアリングを楽しむのが趣味になりつつある。これ幸いと今の気分にあわせドリンクを選んでいく。いくつかの種類で迷ったが、最終的にアールグレイにした。紅茶が決まれば、次はそれにあうスイーツを決める番となる。実は司には、あれば必ず頼んでしまうスイーツがある。それもアールグレイと食べるのが一番好きなスイーツだ。

先ほどめくったページから目ざとくそれを見つけていたので、何にしようかと一通りメニューを眺めたもののアールグレイを選んだ瞬間から心は決まってしまっていた。

「すみません」

 軽く手を上げて見せると、近くを通りかかった女性店員がにこやかに応えた。声につられたのか、司の方を見た女性客と目があってしまい、気まずさからそしらぬふりをしてそれとなく視線を外す。声が大きかったかな、などとわずかな羞恥に震えている司には女性客の黄色い反応は届かない。もっとも、女性客の目に写っているのは羞恥に頬を染めた大学生ではなく、涼しげに目線をすいと下げた見目の良い青年なのだが。

 気を逸らすようにメニューを眺めていると、声に応えた先ほどの店員が近づいてきた。わずかに毛先が少しウェーブしているクリーム色の髪を肩に揺らし、背が低いせいか短い歩幅でさかさかと素早く移動している。

「お伺いしますぅ」

「ケーキセットをひとつお願いします」

「かしこまりましたぁ〜。ケーキとお飲み物、お伺いしますぅ」

「アップルパイとアールグレイで」

 動きとは裏腹におっとりと間延びした声だった彼女は流れるようにペンを動かし去っていく。なんとなく目で後ろ姿を追っていると、不意に壁のとある部分が目についた。

 所々に花柄があしらわれたミントグリーンの壁には古めかしい金の額縁に彩られた絵画や写真、押し花が飾られているが、その中にひとつ、この優雅な空間に不相応なものがある。正確には、あるように見える。古めかしさでいえば額縁といい勝負かもしれない古紙のようなものが額に入れられるわけでもなく壁に張り付いているのだ。黒い文字で何か書いているようだが、距離のせいか流石に内容までは読み取れない。アンティーク小物にあふれた店内を見ればそれも飾りである可能性は捨てきれないが、明らかに他の飾りとは違う雰囲気を放つそれはどうにも飾りとは思えなかった。

 よく見れば見たような古紙は他にもいくつか貼られていて、どの席にいてもどこかしらの古紙は目に入るような配置になっている。明らかに異質なそれを他の客は気にならないのだろうかとそれとなく周囲を見渡してみたが、何をするでなく1人のんびりと過ごしている客もいるにはいるが、ほとんどは会話や読書、ノートパソコンなどに夢中な客ばかり。誰もそれを気にするそぶりは見せていない。そうでなくても、生来敏感な方でもなければ有名な名探偵のように様々なことに気がつく質でもない人間が、この賑わった店内で貼り紙を気にしている人を探すのは無理な話だ。

 どうしても貼り紙の詳細が気になった司は、トイレに行くフリをして近くをゆっくり通り過ぎてみることにした。ちょうど入れ替わりで席が空いたので、今なら他の客の迷惑にならずに内容を確認できる。これ幸いと立ち上がり、トイレを探すフリをして壁の貼り紙を凝視する。思いの外しっかりとした字で書かれていたので、ある程度近付くだけで内容はすぐに確認できた。

〝お眼鏡にかなうよろずごと 承ります〟

 毛筆でしたためられた、なんとも堂々とした字体だ。さながら古きよき店で一番の売り出し品をアピールするために店頭に貼られているお品書きのようで、まるでこのカフェの看板メニューであるかのような佇まいである。新たな物語のネタを掴んだような、少し不気味なような。わずかながらもじわじわと侵食するような鼓動にはやる胸中と、脳裏を離れない奇妙な一文に突き動かされるように、司は通りすがった店員を呼び止めた。

「いかがなさいましたか?」

 喧騒にかき消えそうだった司の声を聞き留めてやってきたのは、最初に司を案内した男性店員だった。

「あの、この貼り紙って……」

「ああ、そちらは……」

 にこりと笑みをたたえる顔は愛想が良く見える。それなのに、どこか人間離れモノを見たような、ひやりと汗が伝う心地だ。

「特別なお客様にご案内しているメニューでございます。お客様は該当されているようですね、ご案内いたします」

 店員がカウンターへ視線を向けると、タイミングを見計らったように店員が一人近づいてきた。

 双子、あるいは兄弟だろうか。黒髪の店員と似たような背格好に同じ瞳の色、左の目元の黒子までそっくりである。違うところといえば、その黒子が二つなところと、髪の色が雪のように白いところだろうか。

「ご案内をお願いします。オーナーへのご連絡は私が」

「はーい。それじゃお客さま、行きましょっか」

 ふわふわと軽い印象の白い店員に続いて店内をすすむ。もともと案内されていた席を通り過ぎてカウンター横の通路へ通され、明らかに関係者以外の進入を禁止しているエリアに一抹の不安がよぎるが、案内されているのだし怒られることはないだろうとそわそわと肌にまとわりつく居心地の悪さを振り払った。

「ここ、段差気をつけてくださいね」

 司がちらちらと両脇のキッチンやカウンターを盗み見ている間に、白髪の店員は突き当たりのドアを開けて待っており、小走りでドアを通り抜ける。注意の通り足元に向けていた視線を上げると広がった光景に、司は思わず感嘆の息を吐いた。

 立派な洋風建築の背後には、立派な和風建築が建っていたのである。

 二階建ての大きな家だが、ちょうどカフェの真後ろにあたり正面からは全く見えない。敷地を隔てるように築かれた格子状の竹垣は正面からも見えたはずだが、カフェの存在感が強すぎて気付かなかった。敷地内には立派な木々や畑、蔵が並び、味のある渋茶色で統一された見るからに広そうな屋敷は、ちらりと見える縁側や戸板、ガラスの窓まですべて趣がある。

「すごい、文化財みたいだ……」

「はは、人間の方は皆さんそう言いますね〜」

 司たちがいるカフェの裏口から目の前の竹垣までは、ぽつぽつと地面に嵌め込まれた石によって繋がれている。竹垣の一部が扉になっており、そこから敷地内に入れるようだった。勝手口だろうか、表札のない扉を迷いなく開けた店員に続くと、その雰囲気に思わず背筋が伸びた。

 例えるなら、神社やパワースポットと呼ばれる場所へ足を踏み入れた時のような。カフェ店内も不思議めいた高揚感がある独特な空気を纏っていたが、こちらも負けていない。

「靴はここで脱いじゃってくださいね」

「はい……。え、上がっていいんですか?」

「そりゃもちろん」

「店員さんの家、ですか?」

「まあ住んでますけど、おれの家ではないかなぁ」

 司の動揺を待たず、店員は慣れた様子で室内へ上がっていく。遅れても待ってくれなさそうな雰囲気に、司はいそいそと用意されたスリッパへ履き替え背中を見せてばかりの店員に続いた。

 外観は立派な和風の木造建築だったが、内観は和洋折衷という言葉が良く似合う、両要素を取り入れた造りだ。案内されたとはいえ人様の家に勝手に上がってしまった罪悪感がちらつくが、周囲の空気感からか様々なものが気になり、あちらこちらと目が泳ぐ。不思議な文字が記された小さい掛け軸、あまり見かけない花で作られたプリザーブドフラワー、お香のようなほんの少しの煙たさと清々しさを感じる匂いに包まれた、人の生活を感じない静かな室内に響くぎしりと軋む木の音。そんな司の様子を知ってか知らずか、店員はずいずいと歩みを止めることなく進んでいった。

 二つほど角を曲がり、精巧な装飾が施された両引き戸の前で店員の足が止まる。

「ここで待って」

 店員が扉に触れると、風もないのに風鈴のような音が小さく響いた。

「お連れしました」

「入れ」

 少し艶のある、凛とした声だった。

 どうぞ、と店員に促され、引き手に手を掛ける。その瞬間、力を入れていないにも関わらず勝手に戸が開き、引き込まれるように室内へ足を踏み入れた。何事かと振り返るも、ひらひらと手を振る白髪の店員の笑顔を最後に戸が閉まる。

「ようこそ、お客人」

 先程の声に導かれるように顔を向ける。絨毯が敷かれた様々な小物が飾られたレトロな部屋の中で、二人の人物が司を待っていた。

 豪奢な生地の一人掛けソファーに腰掛け足を組む青年と、その傍らに佇む青年が一人。明らかに立場が上なのだろう、ソファーに座る青年は肘をつき悠々と構えている。光の反射で銀の煌めきを帯びる艶のある黒髪を左右に流し、琥珀色の瞳が司を射抜く。美しい相貌にどこかいたずらな笑みを浮かべ、青年は楽しげに言い放った。

「それではどうぞ、聞かせてくれたまえ。眼鏡にかなえば、承ろう」




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