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【 秋の文芸展2025】階段が増えていく怪談  倶利伽羅怪談 ㇰリヵㇻ ヵィダン 〜社畜バディと奔放JKの怪異対応処理〜番外編  作者: 路明(ロア)


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8/15

階数が増ɀʓ階段 二

 ドアノブを回し、シンプルなグレーのドアを開ける。

 カツカツ、カツッと軽い靴音がした。



 ドアを開けてすぐの屋内に、ミントグリーンのタイトスカートとそこからのびた脚、パンプスを履いた上半身のないOLが足踏みしていた。



「うっ……」

 涼一は大きく目を見開いて後ずさった。

 バンッと音を立ててドアを閉める。

「──どした」

 異変を察したのか、土屋が硬い声色で問う。

「下半身、いた」

 涼一はドアを押さえるように手をついた。

 はあっ、と息を吐く。

「──またか。おっけ」

 土屋がそう返す。

 何がOKなんだ。対策でもあるっていうのか。涼一はもういちど息を吐いた。 


「──やっぱ行員さんが来たのは、それ絡みかな」

「どう絡んでくんの。お不動さんって煩悩を滅するとかじゃないっけ」

 

 もういちど大きく息を吐く。

「──下半身となると煩悩と即結びつける鏡谷くん、健康な男子すぎる」

「うるせえ。んじゃおまえ不健康やってろ」


 

「つぎは一階……」



 背後から女の声がした。

 さきほどのエレベーターの中のときのように、下半身だけのOLが階数を指示する。

「うわっ」

 涼一は後ずさって手すりに手をかけた。

 いつの間にか、下半身だけのOLが涼一のいる踊り場から一段下のところにいる。

 下に降りるには、このOLのを退かして行くしかなくなった。

 

 

「一階を押しても、エレベーターは勝手に十階へと上がっていきます……」



 OLがコツコツ、と足踏みしながらそうつづける。

「ちょっ……」

 どういうつもりでつきまとうのか、涼一は質問しようとした。

 だがさきほど「若い女が乗ってきたら話しかけてはいけない」と、この下半身OLは言っていなかったか。

 いまさらな気もするが、問いただすのは躊躇(ちゅうちょ)する。



「──どした、鏡谷くん、現状報告して」


 

 土屋が問う。

「いや、何か知らんが一階とか十階とかブツブツ言ってる」

「──一階とか十階……?」

 土屋がつぶやく。

「エレベーターん中からだ。一階行くとか十階行くとか、つぎは二階とか」

 土屋がしばらく黙りこむ。

 考えこんでいるんだろう。分かっているが、会話が途切れると不安になる。

「おい、何かしゃべって……」


「──ほかは? 鏡谷くん。ほかに何階とか言った?」


「なに。何か心当たりあんの?」

 涼一は問うた。

「──あるにはあるけど」

 下半身だけのOLが、涼一のいる踊り場の一段下で、コツ、コツと足踏みする。



「一階から十階へとエレベーターが上がるあいだ、引きかえす方法は途中の階のボタンを押すことだけです……」



 コツ、コツ、と足踏みする。

「十階についたら、もう引き返せません……」

 涼一は、つばを飲んだ。

 ジリジリと後ずさり、手すりに背中を押しつける。

 この手すりがとつぜん壊れて突き落とされたりしないだろうなと怖くなるが、壁のほうは壁のほうで非常ドアからもっと得体のしれないものが出てきそうで怖い。


「十階についたら、もう引き返せません……」


 下半身だけのOLがもういちど言う。

「十階についたら、もう引き返せません……」

 涼一はジリジリと後ずさった。

 じっさいには後ずさる場所はなく、手すりにグイグイと背中を押しつけている。

「十階についたら、もう引き返せません……十階についたら、もう引き返せません……」

「うるせえな。大事でもねえから二回言うな」

 涼一は、OLを睨みつけた。

 通話口の向こうから、走行中のエンジン音が聞こえてるのに気づく。



「ちょっ、おまえ、もしかしていま運転中?」

「──さっきそっちのビル行くって言ったじゃん。まあまあ近くにいたからすぐ着く」



「会話どうしてんの、スマホ。インカム?」

「──スピーカーにしてメーターんとこ置いてる」

 土屋が答える。

「警察いたらやばくね? いったん切るわ」

 涼一は通話終了のアイコンに指をそえた。

「──切るのはやばい。ぜったい切らないで。だいじょうぶ、ネズミ捕りの時間と位置はだいたい把握してる」

「お……」

 涼一は軽く目を見開いた。

 自分がそうなのだ。同じように市内を一日中走行している彼もそこは同じだ。


「どこの道くんの」

「──いま八橋保字街道に入ったとこ」

 土屋が答える。

「八橋保字街道つきあたりの総合公園、駐車場のすみに交通課の覆面いるときある」

「──了解」

 土屋が答える。

 

「──つって、こっちもしゃべってて事故るのふつうにやだから、鏡谷(かがみや)くん、スピーカーにして」


 土屋がそう指示する。

「え? おう」

 何をするつもりか分からんが。

 涼一はスピーカーのアイコンをタップした。


 下半身だけのOLが、踊り場の一段下でカツカツと足踏みする。

 一段踏みだし、こちらに上がろうとした。


「来んな!」


 涼一は、後ずさりながら牽制(けんせい)した。

 意思が通じているのかそれともたまたまなのか、OLは一段下の段にもどりまたカツカツと足踏みしだす。

 涼一はスマホの画面に指をそえたまま、背後の手すりにさらにグイッと背中を押しつけた。

 スピーカーのアイコンをタップする。


「スピーカーにしたぞ」

 土屋に告げる。


「した? ──んじゃ、着くまでこれで持ちこたえてて」


「十階についたらもう引き返せません……十階についたらもう引き返せません……十階についたらもう引き返せません……」

 下半身だけのOLが、同じ文言をくりかえしながら一段下で足踏みをする。

「十階についたらもう引き返せません……十階についたらもう引き返せません……十階についたらもう引き返せません……十階についたらもう引き返せません……十階についたらもう……」


「うるせえな! 八階建てのビルで十階行くとかアクロバティックなことやらねえから消えろ!」



「十階についたらもう引き返せません……なぜならそこは、異せ――」



「──観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 受想行識 亦腹如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」



 とつぜんスマホのスピーカーから経が聞こえはじめる。

 涼一は目を丸くした。

「……これ般若心経?」

 「お、さすが」という土屋の声が経に混じって聞こえた。

「さいしょの “かんじざいぼーさつ” と、さいごの “ぎゃーていぎゃーてい” で判別つく」

「──なにその一般家庭育ちの俺と同じレベルなの」

 土屋があきれた声を出す。


「──是故空中無色 無受想行識 無限耳鼻舌身意 無職聲香味触法 無限界 乃至無意識界 無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故」


 さきほどカーナビのCD再生機能を点検してたというのはこのためか。


 というかこれ、CDなんだろうか。

 こんなCDわざわざ買うのか。涼一はつい脳内でツッコみたくなった。


 効くだろうか。

 手すりにググッと背中をつけつつ、下半身OLの様子をうかがう。

 下半身OLは、とまどうようにカツカツ、カツカツ、とパンプスの靴音を鳴らして足踏みしていた。

「成仏しろよ……」

 涼一は小声で念じた。 

「十階についたらもう引き返せません……十階についたらもう引き返せません……なぜならそこは――」

 カツカツ、カツカツ、と靴音が鳴る。

  

「──菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸佛 依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 揭諦 揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提薩婆呵 般若心経」



「なぜならそこは――異世か……」



 一瞬だけ、ブラウスとベストを着たOLの上半身と顔と長い髪が現れた。

 だがすぐに下半身と上半身とのあいだを鏡のようなガラスの板がさえぎり、OLの上半身がきれいにスパッと切られるように消える。


 よくある美女切断のマジックを、タネつきで見ているような。


 笑い声が聞こえる。狂ったような、いやな笑いだ。

 OLの下半身が、階段を踏みはずしてうしろにかたむいた。

 グラリとうしろにのけぞる。

「あぶな……!」

 涼一は身をのりだしてOLの手を取ろうとした。



 もちろん、つかめる手などない。



 十階からよりも、もっとずっと下まで落ちたように見えるOLの姿を目で追う。


 つぎの瞬間、階段がごっそりと消えた。

 身を乗りだした涼一の目のまえに、地面が迫った。





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