営業先၈會談 三
「さきに言っとくけど、ホトケのパシリとかやんねえから」
涼一はシートベルトをしめながらそう告げた。
腰のあたりでカチッとバックルのはまる音がする。
「なんべんも言うけどさ。世の中には八十億以上の人がいるわけ。あんたみたいな神仏は、選び放題なわけ。――神仏さんがお仕事たのむなら、偉い坊さんとか高潔な政治家とかさ。まいどまいどふつうの社畜んとこに何で来んの」
「こんにちは」
まるで脈絡もなく行員がそうあいさつする。
いつもの神仏であるがゆえの噛み合わない会話だ。
土屋がマンガとゲームとオカルト板の知識で推測するところによると、次元の違うところの存在だから同じ次元の者同士ほどしっくりくる意思疎通はなかなか難しいんじゃないかとか何とか。
向こうは脳でものを考えるわけではないし、物理法則も違う世界だろうし、時間の流れも違う。
まあそんなところじゃないのと。
「お使いさんとやらはそこらのふつうの社畜より偉い坊さんにでもやらせろ。そういうのが適任ってもんだろ」
「合わせ鏡はごぞんじですか?」
こちらの言葉にまるで関わりなく行員が問いかける。
涼一はルームミラーに映る行員のかわいらしい顔を見上げた。
「……知ってる」
「ご健闘をお祈りいたします」
行員が後部座席に座ったままきれいなしぐさで礼をする。
「は?」
涼一は運転席のシートに手をかけて、いきおいよく後部座席をふりむいた。
「ちょっ、意味分かんないんだけど。何なのあんた、まいどまいどちょっとかわいくて神仏でかわいいからって」
すぐ横の区画線に、シルバーの乗用車が停まった。
とくに知り合いではないだろうと思い無視したが、車の運転席から紺のスーツの男が降りてきてこちらのサイドウィンドウをコツコツとつつく。
だれだと涼一は睨むように見た。
土屋だ。
サイドウィンドウを開けろというふうに人差し指で下を指す。
涼一はパワーウインドウのスイッチを押して開けた。
土屋が車内をのぞきこむ。
「行員さん、来てるじゃん。――おつかれさまでーす」
行員に向けて、同僚へのあいさつのような口調で言う。
「神仏が疲れるかよ」
「鏡谷くん、ただの定型文にツッコまない」
土屋がたしなめる。
「俺もお話加わっていいですか? 鏡谷くんだけだと会話が殺伐とする一方でしょ」
「悪かったな」
涼一は顔をしかめた。
返事も求めずに土屋が助手席側にまわる。
こんどはキーを開けろという感じに助手席側のサイドウィンドウをつついた。
運転席の手元で、全席のキーを解除する。
「おじゃま」
土屋が助手席に乗りこんだ。
「おまえ、そっちの営業どうなったの」
「まだ帰社してない担当の人、なぜかものすごい渋滞にはまっちゃったんだって。一時間くらいはムリそうって連絡あってさ」
土屋が言う。
「まえの担当さんに応対してもらうよう連絡するって言われたんだけど、つぎの約束まで時間あるし、“けっこうですよ、待ってます” って伝えた」
説明しながら土屋がスーツの上着を軽く直す。
涼一はハンドルわきに差したキーを一段階だけまわし、車内のデジタル時計を表示させた。
「渋滞するような時間帯か? どこ走ってんの、その担当さん」
「ねー」
土屋が同意する。助手席のシートに手をかけて後部座席をふり向いた。
「もしかして俺らをそろわせるために何かしました?」
土屋がそう問うた。
「どゆこと」
「そのまま。俺の営業の予定がズレこむように何人かの行動を少しずつ前後させて渋滞おこした……とかかなって」
「なにマジ?」
涼一はルームミラーに映る行員の顔を見た。
あいかわらず好みのかわいい顔でニコニコしている。
「んな神通力もってんなら自分で問題解決しろっての。――何の話しにきたか知らんけど」
「具体的なお話はまだ?」
土屋が問う。
涼一は後部座席をチラリと見た。
行員の大きな瞳と目が合う。
「合わせ鏡はごぞんじですかってさ」
「合わせ鏡」
土屋が復唱する。
「今回のカギは合わせ鏡ですか?」
土屋がうしろを向き行員に尋ねる。
「なにノリノリで聞いてんだ、おまえ。んじゃお使いさんとかなんとかは、おまえやれっての」
「俺、サポートさんらしいから」
土屋が答える。
涼一は顔をしかめて後部座席を向いた。
「あのさ、いっぺん聞きたかったんだけど、あんた元からこいつと二人でやらせる腹づもりだった? ――こいつが自分から巻きこまれに来んのは、俺に目ぇつけたときから想定してましたってか?」
「鏡谷くんのこと愛してんのバレたかあー」
土屋がゲラゲラと笑う。
「きっしょく悪い冗談かまして何か楽しい? おまえ」
「では、ご健闘をお祈りいたします」
行員が、座ったままでもういちど礼をする。
座っている位置を移動させると、ドアハンドルに手をかけた。
きれいなしぐさで横座りの格好になり、車から降りる。
「おいこらっ! まいどまいど訳わからん説明だけで勝手にパシリにしやがって。つかさっきの下半身OLは関係あ……!」
涼一は運転席のドアハンドルを急いで開け、車から降りた。
行員を引き止めようと追いすがる。
「鏡谷!」
土屋が助手席から降りて声を張った。
行員の肩に触れる。
やばいと思ったときには遅かった。
目のまえが暗くなる。
涼一はそのままめまいを起こして倒れた。




