営業先၈怪談 二
涼一は、通話終了のアイコンに親指をそえたまま固まった。
上半身のないOL風女性を見上げたまま、あらためてスマホを耳にあてる。
「怪異でた」
「──まじか」
土屋がそう返す。
毎度怪異のさいにつきあってるので、こいつもすっかり慣れてるなと涼一は思った。
「──目のまえ? 逃げられそう?」
「九時の方向、約三メートル。相手はいまのところ停止状態」
涼一は早口で告げた。
「──んで行員さんは?」
「来てねえけど」
そう応じる。
「──んじゃ丸腰か。塩とかは?」
「持ってねえ」
「何で塩持ってないの。お兄さんが塩入れた小袋作ってあげたでしょ」
土屋があきれた声をだす。
「学年いっしょな」
涼一は顔をしかめた。
カツカツカツッと踊り場にいる下半身だけのOLが足踏みする。
つぎの瞬間小走りで階段を降り、こちらに向かってきた。
「やべ。こっち来た」
涼一はよりかかっていた手すりから離れ、足元に置いたカバンを持ってきびすを返した。
早足で階段を降りる。
「いっぺん通話切るぞ」
「──了解。俺もこれから営業先に行くからあとで」
土屋が通話を切る。
これからネカフェで仮眠ってわけじゃなかったのか。
手にしたカバンにスマホをしまう余裕もなく、涼一は一気に階段を駆け下り営業先の社屋から外に出た。
駐車場に停めた社用車のなかに戻り、営業先の社屋まえで買った缶コーヒーを口にする。
出てきたばかりの社屋をながめた。
駐車場の周囲に植えられたヒバの木のあいだから見える玄関口と、ガラスドアの向こうにある受付フロアにおかしなものは見受けられない。
とくに何かが出るという話を聞いたこともない社屋だったが、何だありゃと眉をよせる。
かなり名の知られた大企業だ。
創業者か悪い営業職に怨みをもつ何かでもいるのか。
ハンドルわきに差したキーを一段階だけ回し、車内のデジタル時計を表示させる。
このコーヒーを飲んだらぼちぼち出なきゃならんくらいの時間帯だ。
たまたま遭った怪異の一つや二つ、かまってられっかと思う。
エンジンをかけようとしたが、そのまえにスマホの着信音が鳴った。
助手席からカバンとをとろうと手をのばして、こっちだったとスーツのポケットをさぐる。
さきほど怪異から逃げるさい、カバンにしまう余裕がなくてポケットに入れていた。
着信を確認する。また土屋だ。
通話のアイコンをタップする。
「はい」
「──無事?」
土屋が問う。
「おまえ営業先は?」
「──担当の人まだ帰社できなくてちょい時間空いた」
「そ」
そうみじかく返す。
「階段おりて玄関から出たらいなかった。俺とは関係ないやつなんだろ」
涼一はもういちど営業先の玄関を見た。
「──鏡谷くん、そう言って霊団お持ち帰りしたことあるからなあ」
土屋がつぶやく。
「一回だけだろ」
「──すげえな、その答え」
土屋が笑う。
「──ちなみにどんなの」
「下半身だけのOL」
涼一は答えた。
土屋がしばらくだまりこむ。
「──鏡谷くん、欲求がだいぶ貯金されてるなんてことは」
「思春期の中学生か」
涼一は声音を落とした。
「はじめチラッと見たときは、ブラウスとベストも見えてたんだけどな」
「──そなんだ」
「だから行員さんじゃないってすぐ分かった」
涼一はつづけた。
土屋がまたもや黙りこむ。
ブラウスとベストを見て分かったということは、つまりは胸のサイズで分かったということなんだが。
「──……鏡谷くん」
「……なに」
「──さすが」
何がだ。
涼一は顔をしかめた。
ブラウスとベストでそう返ってくるあたり、ぜったい同じ発想してるだろと思う。
「まあいいや。行員さんが来ないならまったく無関係だろ。営業先に行くわ──じゃ」
涼一は通話を切った。スマホをダストボックスに入れて、シュルッとシートベルトを引っぱる。
ルームミラーが視界のはしに入った。
一瞬まえまでなにもない空間を映していたルームミラーに、にこやかにほほ笑む童顔の女性の顔が映っていることに気づく。
涼一は目を見開いた。
シートベルトを脇に引っぱったままの格好で、後部座席をふりむく。
セミロングのストレート髪、どこかの企業の制服を着たOL風の服装。
引退してちょっとおとなになった元アイドルとか言われたら納得しそうな童顔のかわいい顔立ちの女性。
自分と土屋とのあいだの通称は、「行員さん」または「行員の霊池」。
いちばんさいしょに現れたときに銀行員の制服を着ていたからなのだが、その後もどういうわけか企業の制服姿で現れることが多い。
本性は、不動明王だ。
涼一の母方の祖父が不動尊の住職なので、そのへんで目をつけられたのだと思う。
どうにかしたい霊がいるたびに涼一をむりやり怪異に巻きこんでは、手伝いをするよう仕向ける。
出やがった。
涼一はルームミラーを見つめた。




