合ゎㄝ鏡၈迷宮 三
「鏡谷!」
踏みはずした足場のほうから呼びかけられる。
腰に太い組みひもが素早く巻きつき、ググッと引き上げられた。
もとの場所に引き上げられる。
足場をグッと踏みしめ、麻袋に入った倶利伽羅剣を床に刺すように立てて体をささえた。
「午後四時四十五分。ほぼ予定通り帰社」
土屋が足場にしゃがんだ格好でスマホに表示された時刻を見る。
すぐに上着のポケットにスマホをしまった。
「……ようぴったり帰れんな」
「間に合うかどうか一人ゲームやってんの。楽しいよ」
土屋が答える。
分かるような分かんないような。
涼一はげんなりとなりながら階段の下を見た。
「おまえには周りどう見えてるわけ。上下に無限階段ある?」
「エッシャー風? それともペンローズ風?」
土屋が立ち上がり天井のほうを見上げる。こんなことを聞いてくるということは見えてないなと思う。
「……たぶんエッシャー」
涼一はてきとうに答えた。
エッシャーの無限階段はごちゃごちゃ背景もあるやつで、ペンローズのはシンプルな模型という認識だが。
「うっすらとなら。基本的には通常の社内の廊下」
土屋が答える。
「……階段から引きずり落とされたの、よう分かったな」
「何となく」
何となくなのか。
いつもものすごくありがたいタイミングでピンチ脱出させてくれるよな、こいつと思う。
「まっくろい手の集団につかまれた」
涼一は “階下” を見下ろした。
下に降りる階段のさきがはるか遠くでゆらゆらとゆれて、いちばん下はどこにつづいているのかまったく見えない。
「あっちの世界の何かの存在なのかな」
土屋が回収した羂索を両手でまとめる。
「行員さんが “空を斬ってくれ” って言ってたんだから、あちらに引きこむエネルギー体とか思考体とかワームホールとか、そういうのが手に見えただけかもしれないけど」
「空即是色の空か」
「鏡谷くん、やっぱ般若心経あちこち知ってるんでないの。さすが」
土屋が、ははっと笑う。
「ところどころ思い出したんだよ。まじムダ知識……」
「飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた」
女性の声とコツコツと足踏みするパンプスの音が響く。
足場の下を見やると、ミントグリーンのタイトスカートとそこからのびた脚だけのOLが、足場をはさんで逆さまに立っている。
「うわっ」
涼一はせまい足場の上でうしろに飛びのいた。
「お、みどりさん?」
土屋が問う。
「おまえ、どう見えてんの」
「鏡谷くんの足下の床にみどりさんが映ってる感じ」
土屋が答える。
「さっきから飽きた飽きた言いやがって。飽きたなら絡んでくんなっての」
「 “飽きた” ってのも異世界に行く方法の一つでしょ、たしか」
土屋が言う。
「まじ?」
「六芒星に “飽きた” って書いてその紙をまくらの下に置いて寝るだっけ? エレベーターとならんでオカルト界では定番」
「俺の知らない世界だわ」
涼一は顔をしかめた。
麻袋のなかが、モゾモゾと大きく動く。
ややして軽く縛った口から龍が顔をだし、うろこを黒光りさせてうねった。
天井までのびて巨大化し、無限の階段を見下ろす。
倶利伽羅龍王だ。
行員から倶利伽羅剣を借りた時点では古美術品の剣にからんだ彫刻の龍のような形だが、こうして不動明王の意思に応じて実体化する。
「龍王さま、おつかれさまでーす」
土屋が天井を見上げる。
涼一は麻袋から倶利伽羅剣をだすと、手にした。
「つか毎回、俺がこの剣持つ必要あるかあ? 俺と龍王って、大凧と凧師みたいな感じじゃね?」
「行員さんが鏡谷くんにしか渡したことないとこみると、お使いさんの霊力でしかささえらんないとかなんじゃないの?」
「その霊力が、あるかどうか知らんのだけど」
涼一は眉をよせた。
龍王が「ぐる?」とうなって、大きな頭部をもたげる。
ゆっくりと頭部を降下させて、涼一に硬いうろことヒゲをこすりつけて頬ずりした。
「いいから仕事しろよ。あとでかつお節やるから」
「だから何でかつお節なの」
土屋が苦笑いする。
龍王がもういちど「ぐる?」とうなって、大きな体をうねらせる。
無限階段の下のほうに頭からつっこむと、巨大な口に黒い腕のようなものを数本くわえてこちらに戻った。
バリバリと音を立てて、その数本の腕を噛みくだく。
ローブのようにのびた黒い腕が、こんどは無限階段の上のほうへひゅるひゅるっと伸びていく。
龍王はそれを追いかけると、大きな口にとらえて噛みくだいた。
バリバリバリッと硬いものを噛みくだく音が響く。
涼一は、龍王の動きにあわせて剣をささえた。
上半身のないOLが、逆さまの足場から足を踏み外して無限階段の下の空間に落ちる。
「あぶねっ」
涼一はとっさにそちらに手をのばした。




