合ゎㄝ鏡၈迷宮 二
「うちのむかしの子会社……」
「どこだろ」
土屋がスマホで検索する。
「お団子の読み上げ聞きながら検索したけど、いまは完全にないとこと移転したとことで三社あるんだよな」
涼一は軽くため息をついた。
「三社か。どこかに心当たりある? 移転したほうの社屋に用事で行ったとか、もと社屋があった場所に行ったとか」
涼一はフロントガラスの外の曇り空をながめた。
心当たりはない。
というか、つぎの営業の時間が気になってゆっくり記憶をさぐることができない。
土屋がスマホの時間表示のあたりに視線を動かす。
「ああ。俺、つぎの営業行かないと」
土屋がそわそわと衣ずれの音をさせてスマホをスーツのポケットに入れる。
「移動時間ふくめて二時間は空かないな。その間になんかあったら、さやりんに電話して」
「あれにかけるくらいなら一人でやるわ。行員さんから今回もめでたく武器の貸し出しあったし」
涼一は後部座席に向けて顎をしゃくった。
さきほど行員の霊池こと不動明王に差しだされた古美術品のような倶利伽羅剣が座席に横たえてある。
「んでも怪異とからむと気絶率高いじゃん、鏡谷くん……」
土屋が顔をしかめる。
「妙に感度高いときあるよな。そうなるとサポートは必要だよ」
涼一は顔をしかめた。自身のスマホの時間表示を見る。
「どっちにしろあとだ。俺も営業行かなきゃだし」
「つぎどこ」
土屋が問う。
「スーパーマルスミと余目総合病院」
「そのあと帰社?」
「帰社。予定四時半」
涼一は営業課のホワイトボードに書いてきた時間を告げた。
「俺は四時四十五分予定」
土屋が言う。
「……何で五分単位まで細かく書いてんの? おまえ」
「何となく」
土屋がそう答える。
「んじゃ、なるべく電話して。むりなときは出ないってだけだから」
土屋が助手席のドアを開けて降車する。
行員の霊池から渡された羂索を手に、自身の乗用車に戻った。
午後四時三十八分。
涼一は社員用の駐車場に車を停め、カバンを持った。
百円ショップで買った大きな麻袋に倶利伽羅剣を入れて肩にかかえる。
車に積んでいても凶器準備集合罪か銃刀法違反に問われそうで検問のさいにヒヤヒヤするのだが、社内のロッカーに持ちこむときはむき出しだと中二病を疑われそうでいやだ。
歩いて二、三分ほどの社屋の玄関口を通る。
帰社予定の時間を十分ちかく過ぎているが、もともと三十分単位でしか書いたことがない。
五分単位で書くのは土屋独特のギャグなんだろうかと思う。
「あ、おつかれさま――なんですかそれ。観葉植物かなにか?」
入口の受付の女子社員が話しかけてくる。
「おつかれさま。えと、そんな感じ」
愛想笑いをしててきとうに答える。
廊下を通り、営業課のオフィスのあるフロアにさしかかった。
「あ、鏡谷さん、おつかれさま。なにそれ。物干しざお?」
同じ営業の女性社員が話しかけてくる。
「そんな感じ。車内に置いてたやつ」
涼一はふたたびてきとうに答えた。
営業職は車内で着替える人もいるので、着替え用のハンガーや伸縮式の物干しざおを置いている人もけっこういる。
同じ女性社員でも受付と営業で発想がちがうんだなとどうでもいいことに気づきながらロッカー室へと進む。
途中、大きな鏡のまえを通った。
「飽きた」
女性の声でそう聞こえる。
廊下に人はいないと思っていたが、誰がいたのか。
涼一は周囲を見回した。
横に男女のトイレのドアがならんでいる。
男性用トイレのドアが開いていた。
さいきんトイレのフリースペースが軽く改築されて、洗面台の位置が少し変わった。
洗面台にならぶ鏡の一部がこちらを向いている。
廊下の大きな鏡と合わせ鏡の状態になり、鏡の向こうに無数の自身の姿が映っているのに気づいた。
「飽きた」
女性の声がもういちど聞こえた。
カツカツカツッとパンプスで足踏みする音がする。
「飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた」
自身の目のまえとうしろに、どこまでもつづく階段が現れる。
涼一は一瞬だけ平衡感覚をなくしてふらついた。
「えっ……」
もとの廊下はどこだ。
「飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた」
カツカツカツカツッと靴音がする。
階段のはるか上部から、ミントグリーンのタイトスカートを履いた上半身のない女性が走って降りてくる。
「うわっ」
涼一はあとずさった。
自身が立った幅のせまい段を踏みはずし、うしろに体がそれる。
「飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた」
飽きたって何がだ。
おどかしに現れるのに飽きたってか。
麻袋に入れた倶利伽羅剣をささえにして、何とか踏みとどまる。
「飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた飽きた」
「バカにしてんのかおい!」
涼一は吐き捨てた。
うしろからスーツをつかまれて、強く引っ張られる。
体がグラリとかたむき、こんどは完全に足場を踏みはずした。
心臓がバクバクと鳴るのを感じながらうしろをふりむく。
いくつもの黒い手が、それぞれに涼一のスーツをつかんでいた。




