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【猟奇的サスペンススリラー】イミテーション  作者: てっぺーさま
第二章 見え始めた悪意

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プロポーズ

【悪魔も聖書を引用できる——】


真の〝悪魔〟はいったい誰なのか!? 

驚愕のラスト!あなたはきっと騙される!!

「よし。軽く休憩にしよう」

 演出家の一声で、稽古は一時中断された。

 読み合わせの稽古に参加していたのは、演出家を含めて六人。台詞の多いメインキャストが中心だ。本番まで三か月、稽古は順調に進んでいる。

 拓海は床に座り込み、台本に目を落とした。好きなことだから、稽古で疲れは感じない。正直、休憩はなくてもよかった。芝居のことになると、普段では考えられないほどの集中力を発揮することができるのだ。

 仲間たちがスマホを見たり談笑したりしている中、拓海は気になった台詞を小声で何度も読み返す。時間の許す限り台詞を読み込み、身体に染み込ませていく。舞台上で発する言葉が、演じるキャラクターの内奥から吐き出されたものだと観客が錯覚するくらいに。

 拓海が台詞を読み込んでいる横では、リョウがスマホで自撮りをしていた。おそらく、SNSに投稿するために撮ったのだろう。

 今の時代、SNSは重要な宣伝ツールだ。拓海も公演が決まるたびにSNSで告知をしていたが、普段からひんぱんに投稿する気にはなれなかった。なぜなら、SNS上に乱れ飛んでいる虚構が、滑稽に思えてしかたなかったからだ。

 たとえば、拓海にはフォロワーが千人ほどいるが、その中には、拓海が役者業に専念していると思い込んでいる者も少なくないだろう。ところが、実際にはアルバイトに費やしている時間のほうが圧倒的に多いのだ。投稿の内容だけでは、そんな現実は伝わらない。そんなことを考えると、SNSはどこか自分を偽る行為のように感じられ、ときに自分を卑下(ひげ)して情けなくなることもあった。


 隣からリョウが話しかけてきた。

「麗子さんと付き合って、どのくらいになります?」

 拓海は手にしていた台本を置いて答えた。

「三か月ほどかな」

「早いですねぇ、もう三か月も経つんですね。今でもラブラブなんですかぁ?」

「まあ、今のところ順調かな」

「いいなぁ、あたしも恋がしたいなぁ。毎日トキめいてたいなぁ」

 表情にこそ出さなかったが、拓海は今の発言に幻滅した。恋愛しか頭にない女は、浅はかで世俗的で、魅力に欠けると感じたからだ。

 するとここで、リョウが勝ち誇ったような顔をした。

「でもやっぱり、拓海さんって、麗子さんと付き合っちゃいましたよね。最初から狙ってたんでしょ?」

「もういいじゃん、その話は」

 拓海は苦笑してから、話を逸らすために逆に質問を投げかけた。

「それより、リョウちゃんのほうはどうなの? その、男関係のほうは」

 とたんに露骨に顔をしかめ、リョウは今にも泣き出しそうな表情になった。

「あたしは全然ダメ。ちっともいい出会いがないんですもん……」

「そっか……」

「でも不思議なんですよね。十代のころは、息をするくらい簡単に恋人ができてたのに、大学を出てからは全然うまくいかなくって……。出会いも極端に減ったし。このままだとあたし、恋愛の仕方、忘れちゃいそうです」

「お客さんとかで、かっこいい人とか来るんじゃないの?」

 リョウは飯田橋のカフェで長らく働いていた。

「そりゃあ、かっこいい人も来ますよ。けど、自分から声掛けられるわけないじゃないですかぁ。なので拓海さん、誰かいい人いたら紹介してください。あ、でも、売れないバンドマンはNGで」

「売れないバンドマンがNGじゃ、リョウちゃんに紹介できそうな人はいないかも……」

 拓海が派遣で働いているコールセンターには、売れないミュージシャンが多数存在していた。以前そんな話をしたとき、いくらイケメンでも売れないミュージシャンだけは絶対に無理だとリョウに念を押されたのだ。

「バーのお客さんに、いい人いませんかぁ?」

「それこそ無理だよ。そんな話をふったら、女の子の斡旋(あっせん)でもしてるんじゃないかって疑われちゃうよ」

「いえいえ、それ、聞き方ですから。ちょっとイケてる人がお店に来たら、劇団の子で今彼氏募集中の子がいるんだけどって、軽い感じでふってくれればいいんですよ。あとあたし、年上でも全然平気なんで」

「わかったよ。でもあんまり期待しないでね」

 と、そこで、別の役者仲間から声がかかった。

「拓海さんのリュック、さっきからブーブー鳴ってますよ」

「え、ほんと?」

 拓海は立ち上がると、壁際の荷物置き場へ向かう。

 革製のリュックからスマホを取り出して確認する。

「あ、麗子からだ……」

 着信履歴を見ると、何度も彼女から連絡があったようだ。

 急いで折り返すと、コール音が五回ほど鳴ったところでつながった。

「麗子? ごめん、稽古中で出られなかった。どうした、何かあった?」

 問いかけるが、電話の向こうからは何の反応もない。ただ、かすかな息づかいが聞こえるだけだった。

「麗子? 聞こえてる? おかしいな……」

 かけ直そうとした瞬間、嗚咽(おえつ)のようなかすれた声が漏れ聞こえてきた。その瞬間、背筋をぞくりと悪寒が走る。

「麗子、どうした? 何があったんだ? 麗子、泣いてちゃわかんないよ! 今どこにいる? すぐ行くから、居場所を教えて!」

 拓海はじっと相手の反応を待った。

 しばらくして、麗子のか細い声がようやく聞こえてきた。

 彼女の説明を聞き、拓海は思わず高い声を上げてしまう。

「え、何だって!?」

 稽古場の仲間たちが、驚いたように視線を向けてくるのがわかった。

「わかった、すぐに向かう」

 通話を切るなり、拓海は革のリュックを乱暴に拾い上げて、演出家の近藤のもとへ向かった。

「悪いけど、稽古を抜けさせてもらう。どうやら、麗子が怪我をしたみたいなんだ」

「え、麗子さんが!?」

「ああ。命に別状はないらしいけど、これから彼女の家に行ってくる」


    *  *  *


 拓海はタクシーから降りるなり、マンションのエントランスへと駆け込んだ。

 麗子の部屋を訪れるのは今日が初めてだった。モダンな造りの低層マンションだ。

 オートロックの操作盤に、あらかじめ伝えられていた部屋番号を入力すると、インターホン越しに麗子の弱々しい声が聞こえてきた。

「……部屋の鍵は開いてるから」

「わかった」

 オートロックのドアが開くと、拓海は足早にエレベーターへ向かった。


 四階で降り、彼女の部屋へと急ぐ。412号室の前で立ち止まり、ドアノブに手をかける。言葉通り鍵は開いていた。

「麗子!」

 部屋に飛び込むなり、拓海は彼女の名前を叫んだ。ところが、彼女の姿は見当たらず、呼びかけにも反応がない。

 リビングへ進むと、少しだけ開いたドアが目に入る。間取りからして寝室だろう。迷うことなくその部屋を目指す。

 そこはやはり寝室だった。照明は点いておらず、室内は薄暗かった。

「麗子!」

 ダブルベッドの上に、麗子の姿があった。上半身を起こし、拓海のほうをじっと見つめている。

 しかし、その顔には包帯がぐるぐるに巻かれ、露出しているのは右目と口元だけだった。

「麗子、何があったんだ!?」

 拓海はベッドへ駆け寄った。

 麗子が弱々しい声で答える。

「お料理してるときに、キッチンで転んで……。それで熱湯を……頭から……」

「そ、そんな……」

「命には別状ないの……。でも……火傷のせいで……」

 麗子は声を震わせ、やがて嗚咽を漏らした。

 拓海は彼女の背中に手をそっと回す。彼女の震えが手のひらを通して伝わってくる。背中をさすりながらかける言葉を探していると、麗子が顔を上げた。

「……拓海さん、覚えてる? どんなことがあっても、わたしのこと愛してくれるって」

「ああ、覚えてるよ」

 すると、麗子が手を顔の包帯に持っていく。

「拓海さん、驚かないでね」

 彼女の右手が、何重にも巻かれた包帯をほどいていく。

 拓海は生唾を飲み込んだ。これから目にするであろう彼女の姿を想像して緊張が高まっていく。

 そして数秒後——包帯がほどかれ、麗子の変わり果てた素顔が露わになった。

「……!」

 変貌した姿を見にした瞬間、拓海は思わず息を呑んだ。それは想像をはるかに超えるおぞましい姿だった。

 右半分の顔は赤黒くただれ、左目は完全に塞がっている。無傷の右側とは対照的で、その不均衡さが、よりいっそう不気味さを際立たせている。もしも夜中にこの顔が突然目の前に現れたなら、悲鳴を上げて逃げ出していたかもしれない。長くは直視できず、拓海は思わず視線をそらした。

 重苦しい沈黙の中、麗子が声を震わせながら言った。

「あのね、拓海さん……。先生が言うには、皮膚の移植をしても、元の顔に戻すのはむずかしいだろうって……。それに、失った髪も、もう生えてはこないだろうって……」

「そうか……」

 それ以上何も言えずにいると、麗子が静かに涙をこぼし始めた。寝室の空気はさらに重く沈んでいく。

 彼女の傷が想像を超えていたせいで、事前に考えていた励ましの言葉が喉の奥で止まってしまう。拓海はただ彼女の手を握り、うつむくことしかできなかった。

「……拓海さん、もうわたしのこと、嫌いになっちゃったわよね?」

「そ、そんなこと——」

 慌てて否定しようとしたところで、麗子が懇願するように声を上げた。

「でも拓海さん、前に誓ってくれたわよね。どんなことがあっても、わたしのことを愛してくれるって!」

 拓海はここで深く息を吸い込み、大きく息を吐き出す。そして気持ちを落ち着かせると、彼女の目をまっすぐ見つめて言った。

「ああ、もちろんさ。ぼくはいつまでも、君のことを愛し続けるよ」

「え……」

 麗子がひどく驚いた様子で目を見開く。

 拓海は彼女を強く抱きしめた。すると、耳元で嗚咽が聞こえてくる。

「麗子、もう泣かなくていい。君のことは、ぼくが死ぬまで守るから」

 だが、麗子は腕を振りほどき、拓海の胸を引き離す。

「ん? どうした?」

 麗子が正面からじっと見つめてくる。それから念を押すような調子で言った。

「拓海さん、いい? この顔をよーく見て。ほら、わたし、こんなバケモノみたいになっちゃったのよ。髪の毛も、耳のまわりにしか残ってない。こんな姿じゃ、街もいっしょに歩けない。映画に行くことだって、旅行することもできない。それでも、本気で愛してくれるっていうの?」

 拓海は、彼女の肩をしっかりとつかみ力を込めて言う。

「ああ、約束したじゃないか。いや、誓ったじゃないか。ぼくはどんなことがあっても君を愛し続けるって。あのときの誓いは口先だけじゃない。それを今、ここで証明するよ。麗子、これからもぼくは、君を全力で愛し続ける」

 麗子が目を見開く。その数秒後、彼女の目から大粒の涙がこぼれ始めた。

 拓海はそっと手を伸ばし、触れるか触れないかの距離で、麗子の(ただ)れた頬に手のひらを寄せる。

「痛かったろう? こんなひどい火傷を負って……。でも、きっと心のほうはもっと傷ついたよね。その心の傷を、少しでもぼくが引き受けられたら……」

「……ごめんなさい」

 麗子が唇を震わせ、か細い声を出す。

「何も謝ることなんてない」

「違うの……、そういうことじゃないの……。実は……」

 少し逡巡するような素振りを見せたあと、麗子は(ただ)れた自分の顔に右手を持っていった。

「麗子、何を!?」

 彼女は左顎のあたりをぐっとつかむと、まるで仮面を剥がすように爛れた皮膚を剥いでいった。ベリベリと不穏な音を立てながら、ケロイド状の皮膚が引き剥がされていく。やがて、剥がれた皮膚の下から、元の美しい顔が姿を現した。

 拓海は息を呑み、声を震わせながら問いかける。

「麗子、これはどういう……」

「ごめんなさい……」

 麗子は顔を伏せる。

 拓海は少し強めの口調で言った。

「もしかして、ぼくを試したのかい?」

 とたんに、麗子が怯えたような表情を浮かべた。まるで、いたずらがばれた子どもが親の叱責に怯えるかのように。

 彼女は首を大きく横に振りながら声を上げた。

「違うの、違うの! だます気なんてなかったの! でもどうしても、確信が欲しかったの。どんなことがあっても、わたしのことを愛してくれるっていう……」

 麗子は懇願するような眼差しを向けてくるが、拓海はすぐには言葉を返せなかった。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい……。拓海さん、お願いだから、わたしを嫌いにならないで……」

 潤んだ黒い瞳が、まっすぐに拓海を見つめてくる。

 拓海はそっと彼女の頬を包み込むと、努めて優しい口調で語りかけた。

「もう、こんな真似はしなくていい。ぼくを試す必要なんてないんだ。だってぼくは、もう君なしじゃ生きられないほど、君のことを愛してるんだから」

「ああ——!」

 感激したように、麗子が声を上げた。

「麗子、結婚しよう」

「え!?」

 突然のプロポーズに、麗子が驚いたように目を見開く。

 拓海は続ける。

「あの写真展で君を一目見たときから、運命の人だと感じていたんだ。だから、結婚するなら君しか考えられない。絶対に幸せにするから、いっしょになろう」

「ああ! 拓海さん!」

 麗子は声を上げると拓海に抱きつく。そして、独り言のように耳元でささやく。

「パパ……。この人となら、いっしょになってもいいよね……」

 しばらく無言で抱き合い、互いの温もりを確かめ合う。

 やがて、麗子が伏し目がちに口を開く。

「……拓海さん。実はまだ、隠してることがあるの」


    *  *  *


「……ここは?」

 タクシーを降りるなり、拓海は問いかけた。

 目の前には、鉄製の柵でできた巨大な門がそびえていた。その高さは三メートルほどもあり、簡単には乗り越えられそうもない。左右の石柱には監視カメラが設置されており、厳重な警備が施されているのが一目でわかる。

 薄暗がりの中、拓海は門の向こう側に目を向ける。手入れの行き届いた庭木が整然と並び、その奥には堂々とした洋館が鎮座していた。

「……麗子、ここは?」

 拓海の問いに、麗子は気まずそうな顔で答えた。

「……ここ、わたしんちなの」

「え!?」

 拓海は目を見開いて麗子を凝視した。

「実は、ただのOLっていうのも嘘で……」

 麗子はそう言って、バツが悪そうにうつむいた。

「じゃあ、さっきのマンションは?」

「あれは知り合いのものなの。海外に住んでいる間、わたしが鍵を預かってて……」

 拓海は努めて優しい口調で問いかける。

「麗子、どうして今まで嘘をついてたんだ?」

 しばしの沈黙のあと、やがて麗子は静かに口を開いた。

「嘘をつくのが悪いことだって、もちろんわかってるの。でも、過去にお金目当てで近づいてきた人がいて……。それも一人や二人じゃない。そのせいで、男性に対して不信感を抱くようになってしまって。それであんなことを……。いろいろごめんなさい」

 麗子はうつむいて肩を震わせる。拓海はそっとその肩に手を置いた。

「いや、いいんだ。その気持ち、わかる気がするから」

「本当?」

「ああ。君は〝お金持ち〟っていう肩書きのせいで、ありのままの自分を見てもらえないことに不安を感じていたんだろ?」

「ええ、そうなの」

「なら、ぼくはその逆だ」

「逆?」

「そう、真逆だね。ぼくが売れない役者だと知ったとたん、多くの女性がぼくから離れていった。肩書きだけで幻滅されたんだ。どんな肩書きであろうと、ぼくはぼくでしかないのに……」

「拓海さん……」

「でも今にして思えば、女性側に非はなかったんだと思う。そりゃそうだよね。だってぼくみたいな売れない役者なんて、将来性ゼロなんだからさ。とくに結婚を意識した女性にとっては、不良物件みたいなもんだし……」

 拓海が自嘲気味に語ると、麗子は少し怒ったように言った。

「そんな風に自分を卑下(ひげ)するのはやめて。わたしは信じてる、拓海さんの可能性を」

「ありがとう……。でも、さっきの言葉は撤回させてもらうよ」

「え? さっきの言葉って、もしかして——」

「そう。結婚の話さ」

「なぜ!?」

 拓海は小さく肩をすくめてから言葉を続けた。

「君とぼくとでは、立場が違いすぎる。こんなとこに住んでる君とは釣り合わない」

 麗子が憤ったように声を上げた。

「だから言ったでしょ、自分を悪く言わないでって! わたしは、あなたの肩書きなんて気にしない。ありのままのあなたが好きなの」

「麗子……」

「ね、お願い。わたしにあなたの夢を応援させて」

 拓海は、麗子の瞳をじっと見つめて問いかける。

「本当にいいのかい? こんなぼくで」

「いいのよ! そんなあなただからこそ、いいんじゃない!」

 麗子の上げた声が周囲に響き渡る。

 拓海は彼女の真剣な視線を受け止めると、改めて言った。

「わかった。ならもう一度、ちゃんと言わせてもらう。麗子、ぼくと結婚してほしい」

「ええ、喜んで!」

 仕切り直しのプロポーズに、麗子が笑顔で応えた。

 しばらくの間、互いの想いを確かめるように見つめ合う。通行人がちらりと視線を向けてきたが、拓海は気にせず麗子を抱き寄せた。

 耳元で、麗子がそっとささやきかけてくる。

「拓海さん、これからは役者一本でがんばってほしいの。だから、アルバイトは全部辞めてちょうだい。生活費は、わたしが負担するから」

「いや、そんなわけには……」

「いいの。パパが残したお金があるから、あなた一人を支えるくらいどうってことない。それより、わたしのためにも夢を追いかけてちょうだい」

「本当にいいのかい?」

「ええ、もちろん」

「……麗子、ありがとう」

 拓海は、再び麗子をきつく抱きしめた。

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