幕間「見えるメッセージ」
廊下では先生に見える。じゃあ“学内アプリ”は?――見える廊下として使う約束を、ひかりの目線で確かめます。
「まずは一呼吸」。言葉の置き方と、見守られる安心についての小さなお話。
ホームルームの終わり、端末の右上で校章のアイコンが小さく脈打った。新しい機能追加のお知らせ。
《学内メッセンジャーのお約束:このアプリのすべての会話(グループ/個別)は、教職員が自由に閲覧できます。目的はいじめ防止と緊急時の安全確保です。》
文の終わりに、東雲先生の小さなスタンプが押してある。〈まずは一呼吸〉
(自由に、ってほんとに“自由”なんだ)
胸の中で言葉を転がす。ちょっと落ち着かない。でも、入学のときに配られた利用規約にも書いてあった。「廊下で話すのと同じ見通しを、ネットにも」。
端末が震える。《ひかり救出隊》から明日香。
浅見明日香:〈先生見えるんだってさ。りょーかい。〉
桜庭ほのか:〈“自分の言葉は自分のもの”の確認ですね。良いことです〉
星野ひかり:〈了解。まずは一呼吸〉
東雲(見守り):〈その調子です。困ったら“相談”を押してね〉
“見守り”の名前が薄いグレーで表示されて、すぐに消えた。たしかに、見えるけど、入り浸らない。廊下で先生が遠くから見守ってる、あの距離感。
帰り道、環状列車の窓に逆さの街が流れる。端末に別の通知が走った。
《一年二組・非公式グループ》――だれかがスクショを送ってきた。「地球っ子」って、私のことを少し笑うスタンプ。悪意か、悪気ない冗談か。その境目の、あの、胸の中だけが静かになる感じ。
(どうしよう)
“相談”ボタンは、どの画面にもある。押したら、大げさかな。私のせいで、誰かが叱られたりしないかな。
迷っていると、画面の上にふわりと吹き出しが浮かんだ。
東雲:〈見えてます。すぐに確認しますね。今はひと呼吸。〉
(見えてる……ほんとに“自由に”なんだ)
私は端末を握りしめて、吸って、吐いた。手の震えが少し止まる。
翌朝、HR。黒板に「一呼吸」のチョーク文字。その下に、先生はさらっと言った。
「学内アプリは廊下です。だれでも通るし、先生も通る。いじめ防止と安全のために“見える”場所にしてあります。深夜に見回ることはしませんし、必要ない私語に口出しもしません。でも、困りごとや危ない兆しは早めに拾う。それが約束です。嫌なら使わなくていい――じゃなくて、“廊下で話していいこと”だけここで話しましょう」
明日香が小さく手を上げる。「じゃ、“救出隊”の作戦会議はセーフ?」
「セーフ」先生は笑う。「ただし言葉は誰が見ても困らない言い方で」
「りょーかい」
ほのかが隣でうなずく。「透明性は、私たちを守る柵でもあります」
休み時間。廊下で東雲先生に呼び止められた。
「昨日の件、該当のグループと本人たちに**“言葉の意味”を聞きました。悪意ではなく“軽いノリ”のつもりだったと。**でも、受け取り手がどう感じるかも含めて言葉です、って話をしました」
「……ありがとうございます」
「ううん。空は水じゃないのと同じで、ネットも海じゃないの。泳ぐんじゃなくて、掴むの。まずは“場”を整えるのが学校の役割だから」
たしかに。ゼロGで学んだ型みたいに、ここにも型があるのだ。
“見える”場所で、“見える”言葉を選ぶ。掴めないものを掴もうとしない。見えるように整える。
放課後、《ひかり救出隊》。
浅見:〈先生が見てる廊下って思えば強いな。言葉、鍛えられる〉
ほのか:〈“自分が言われて困らない言い方”を基準に〉
ひかり:〈星は掴めない。けど、言葉は置ける〉
竜胆(見守り):〈空は壁。言葉は足場。〉
――そして退出の表示。相変わらず、来て、必要だけ言って、去っていく。
(自由に見える、の意味)
最初はこわかったけど、“自由”は先生のためじゃなく、私たちの自由を守るための“見える”なんだ、と少し分かった。見えない場所で迷子になるより、見える廊下で「一呼吸」と言ってくれる大人がいるほうが、私は歩きやすい。
家に帰ると、父が言う。「宇宙は君を歓迎している!」
私は笑って返す。「学校アプリも、見守ってくれてる」
「それは頼もしい」母は味噌汁をよそいながら言う。「人は見えるところで優しくなるものよ」
夜。端末に小さなポップアップ。
《#中央軸 タグの活動中、見守りが自動参加します/終了後自動退出》
私は画面をなぞって、短くメッセージを書く。
ひかり:〈見える廊下で、前へ。〉
送信。既読がつく。先生のアイコンが薄く光って、すぐに消えた。
丸い空の下で、掴めないものはそのままに、見えるものから整えていく。廊下を歩くみたいに。一呼吸して、前へ。
ネットは海じゃなくて、廊下。泳ぐんじゃなく、掴める足場を選ぶ――ゼロGの“型”と同じでした。
読んでくれてありがとうございます。次は保守回廊で、“見えるように整える”の裏側を一緒に覗きにいこう。