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コロニーの空でおはよう!  作者: ぺろぺろぬっこ
1/4

転入生は地球から

宇宙でも朝は来る――丸い空の下の、のんびり学園日常をはじめます。

地球から引っ越してきたドジっ子・星野ひかりが、コロニーで“最初の友だち”を見つけるお話。肩の力を抜いて、ふわっと読んでください。

――リビングの蛍光灯が、やわらかく白く光っている。

 夕食を終えたばかりの食卓には、まだ片付けきれていない皿や湯気の残る味噌汁椀が並んでいた。私は中学生の制服姿のまま、何気なくテレビを眺めていた。


「ひかり、ちょっと大事な話があるんだ」


 父が姿勢を正し、妙に改まった声で切り出す。

 母も隣に腰かけ、普段なら「宿題は?」なんて聞いてくるのに、今日は黙って微笑んでいた。

 テレビの音が遠くに霞んで、父の声だけがくっきりと響いた。


「俺たち、コロニーに移住しようと思う」


「……え?」


 私は思わず箸を落とした。金属の音がテーブルに響く。

 聞き間違いかと一瞬思ったけれど、父の顔は冗談の色が微塵もない。


「旅行じゃないのよ。住むの」


 母がやさしく補足する。

 父はうなずき、胸を張った。


「ひかり、お前に宇宙を体験させたいんだ。きっと未来はそこにある。地球で暮らすより、きっと広い世界が見える」


「う、宇宙……?」


 頭が真っ白になる。宿題や部活のことなんて一瞬で吹き飛んで、頭の中に銀色の星空がぱっと広がった。

 けれど現実感はなかった。コロニーといえばニュースでたまに見る、遠い世界の映像。そこに「住む」なんて、夢物語みたいだ。


「え、でも、友達とか……学校は?」


「大丈夫。転校先もちゃんと決めてあるわ」


 母はいつも通りの穏やかな声で答える。

 父は「ひかりならすぐ友達ができる」と断言するように笑った。


 あまりにも突拍子もなくて、私は思わず声を上げた。


「なんでまた急に……!?」


「急にじゃないさ。ずっと考えてたんだ。俺たち家族で新しい景色を見ようって」


 そう言う父の目は、子供みたいに輝いていた。

 その光景に、私は少しだけ胸が高鳴った。怖さと期待が入り混じって、なんだか不思議な気分だった。


 ――でも、あれ。

 いつの間にかリビングの照明がぼやけて、音が遠ざかっていく。

 父と母の笑顔も白い光に溶け込んでいって。


 次の瞬間。


 まぶしい朝の光で、目が覚めた。


 ◇


「んん〜……」


 ぼんやりとまぶたをこすり、天井を見上げる。そこはもう、地球の家じゃない。

 カーテンの隙間から射し込む光は、コロニー内の太陽灯のものだ。青い空と白い雲が壁面に映し出され、見上げると逆さの街が遠くに霞んでいる。

 ――コロニーの朝。見慣れた光景だ。


 夢の余韻が胸の奥に残っている。あの日から本当に宇宙に来ちゃったんだな、と改めて思う。


 布団を蹴飛ばして起き上がると、足がふわっと軽くなる感覚に一瞬だけ戸惑う。

 コロニーの擬似重力は地球とほとんど変わらないはずだけど、時々まだ慣れなくて、ジャンプすると着地のタイミングがずれるのだ。


「よいしょ……」


 制服に着替え、髪を整えてリビングに降りると、すでに母が朝食を並べていた。


「おはよう、ひかり」


「おはよー……」


 まだ寝ぼけ眼で席につくと、テーブルには焼き魚と卵焼き、そして温かいご飯と味噌汁。見た目は地球と変わらない食卓だけど、味噌も醤油もコロニー内の発酵施設で作られたものだと聞いたときは驚いたものだ。


「はい、牛乳も飲んでね」


 母がグラスを置く。コロニー産の牛乳は地球のより少しあっさりしているけど、私は嫌いじゃない。


「いただきまーす」


 箸を持ち上げた瞬間――


 ガタン、と。

 グラスを倒してしまい、牛乳がテーブルに広がった。


「あっ! ああ〜!」


 慌てて布巾で拭こうとするけど、寝ぼけた頭とドジな手つきでは逆効果で、白い水溜りがさらに広がってしまう。


「もう……ひかりったら」


 母は小さくため息をつきながらも、決して怒らず、にこやかに布巾を取り上げて拭いてくれる。

 私は肩をすくめ、情けない笑みを浮かべた。


「……あはは。コロニーに来ても私ってドジなんだね」


「そうね。でも、そういうところがひかりらしいわよ」


 母の言葉に少しだけ救われて、私は照れくさく笑った。


 カーテンの外では、コロニー内の通学列車が壁面を走っているのが見える。

 今日も学校が始まる。

 宇宙の中の、いつも通りの日常が。


星野ひかりは、まだ慣れないコロニーの空気に胸を高鳴らせながら、校門をくぐった。

1か月前に地球から引っ越してきてから、今日が初めての入学式。宇宙生活への期待と緊張がないまぜになって、胸の鼓動は落ち着かない。


「ふ、深呼吸深呼吸……よしっ!」


そう小さく気合を入れて、真新しい制服のスカートを整える。

周りを見れば、見慣れた様子で談笑しながら昇降口に向かう生徒たち。コロニー生まれの彼女たちと違い、ひかりはまだ「重力の感覚」にぎこちなさが残っている。歩くときも微妙にふわふわして、地球の地面とは違うと感じずにはいられない。


「……あれ? 靴の紐……」


階段に差しかかったところで、ひかりは足元を見て慌てた。結び目がほどけていたのだ。慌ててしゃがみこみ、ぎゅっと結び直す。


その瞬間だった。


「わっ、バランスっ……!」


立ち上がろうとした拍子に、遠心力に体が引っ張られる。体勢を崩してそのまま、どさっと階段に尻もち。さらに重心が傾き、スカートがふわりとめくれ上がった。


「きゃああああああっ!?」


廊下にいた生徒が振り向く中、ひかりは真っ赤になってスカートを押さえる。だが――時すでに遅し。


すぐそばにいた二人の少女が、目を丸くしていた。

ひとりは柔らかな微笑みを浮かべ、ひとりは呆れたようにため息をついている。


「……あらあら〜」

「……何やってんだアイツ……」


耳に届いた声に、ひかりは顔を覆いたくなる。


「み、見てないよね!? 絶対見てないよね!?」


必死に問いかけるひかりに、片方の少女はゆるりと首を傾け、にっこり笑った。


「見てませんよ?」


「ほ、本当に!? ホントに!?」


安心しかけたその直後――


「猫ちゃんパンツなんて知らん」


もう片方の少女が、わざとらしくぼそっとつぶやいた。


「み、見てるじゃん!!!」


ひかりは真っ赤になって叫ぶ。周囲の生徒がクスクスと笑い、ひかりはますます居たたまれなくなった。


けれど、その二人は笑うでもなく、ひかりをじっと観察するように見つめていた。


(……なんだろ、この感じ。さっきから、すごく視線が鋭い……?)


少しして、微笑んでいた少女が口を開いた。


「もしかして……地球から来た人ですか?」


「えっ……?」


図星を突かれ、ひかりは息を呑む。

地球出身であることは、クラスの自己紹介まで伏せておくつもりだったのに。


動揺を隠せないまま、ひかりは慌てて首を振った。


「な、なんでそう思うの……!?」


「歩き方。重力のかかり方がちょっと不自然だったから」

「あとさっきの転び方。コロニー育ちはあんなバランス崩さない」


「う、うそでしょ……!?」


二人の洞察に、ひかりは完全に観念したように肩を落とした。


「……うぅ、恥ずかしすぎる……」


スカートを必死に押さえたまま、ひかりは赤い顔で項垂れる。

しかし、不思議なことに二人の表情は責めるでもなく、どこか楽しげですらあった。


「……ふふ、かわいいですね」

「ドジなやつだな……」


初めて交わした言葉は、恥ずかしい失敗から始まった。

それでも、この出会いがこれからの日常を大きく変えていくのだと、ひかりはまだ知る由もなかった――。


入学式が終わり、ざわめきの中で新しい教室へと足を踏み入れる。

窓の外には青い地球ではなく、コロニー特有の緑の区画と透明なドームが広がっていた。

星野ひかりは胸を高鳴らせながらも、少しだけ縮こまって席に着く。

「……いよいよ始まっちゃった」

コロニーへ来て一か月。まだ重力の違和感や人々の生活リズムに慣れきれない。

周囲の子たちは笑顔でおしゃべりしているが、どこか“同じ土地で育った仲間”という雰囲気があって、ひかりには溶け込みにくかった。


やがて担任が黒板に名前を書き、ひと通りの挨拶を済ませたあと、自己紹介の順番が始まった。

名前と出身地、好きなことを簡単に――そう告げられて、生徒たちが一人ずつ立ち上がる。


ひかりの順番は前から三番目。逃げようもない。

立ち上がると視線が一斉に集まり、彼女は喉を鳴らした。


「え、えっと……星野ひかりです。えっと……趣味はカラオケで、歌うのが好きです」

ここまではよかった。だが次の一言が教室をざわつかせる。

「出身は……地球から来ました」


一瞬、空気が止まる。

「えっ、地球?」「まだ住んでる人いたんだ」「珍しいね!」

小声があちこちで飛び交い、注目の視線が集中する。

ひかりは顔を赤くし、思わず両手を振った。

「い、いや、なんかその……父が宇宙を体験すべきだとか言い出して! 私の意思じゃ……」

慌てて弁解したものの、笑いとざわめきが収まることはなく、彼女はしょんぼりと腰を下ろした。


(ああ……完全に浮いた……)


自分だけ違う。出身という一点だけで、境界線を引かれてしまった気がしてならない。


次に立ち上がったのは、前の列の落ち着いた雰囲気の少女だった。

長い黒髪を耳にかけ、姿勢を正して口を開く。


「桜庭ほのかです。趣味は読書で……将来は医療関係の仕事に就きたいと思っています」

凛とした声は澄みわたり、静かに教室を包み込む。

彼女が席に着くと「真面目そうだな」「しっかりしてる」という感想がささやかれた。


続いて立ち上がったのは、短めの茶髪を元気に揺らす少女。

「浅見明日香! スポーツはなんでも好き! 将来はパイロットになりたい!」

弾ける声が教室を突き抜けると、クラスがどっと沸いた。

「おおー!」「頼もしい!」

その場の空気が明るくなり、彼女は満足げに腰を下ろした。


(いいなぁ……堂々としてて)

ひかりはうつむき、自分との差に小さくため息をついた。


――そして休み時間。


ひかりは机に突っ伏し、さっきの「地球から来ました」のくだりを延々と反芻していた。

笑われたわけじゃない。けれど、特別扱いされるのはどうにも落ち着かない。


「――ねぇ」


不意に声がして顔を上げると、桜庭ほのかが静かに立っていた。

優しい笑みを浮かべ、ひかりの隣に腰を下ろす。

「気にすることありませんよ。地球から来ただなんて、ちょっと珍しいだけです」

「……でも、すごく浮いてなかった?」

「浮く、というより……注目の的、ですね」

あらあら、とおっとり笑うほのか。その空気に少し救われる。


そこへ明日香が勢いよく顔を出した。

「おーい、ドジっ子ちゃん!」

「ど、ドジっ子!?」

「だってさっき階段で思いっきりすっ転んでただろ? 宇宙仕様の重力に慣れてないんじゃね?」

明日香の声に周囲の生徒もクスクス笑う。ひかりは慌てて手を振った。

「あ、あれは……たまたま!」


しかし明日香はにやりと笑い、さらっと続けた。

「しかも猫ちゃんパンツなんて知らなかったわ〜」

「み、見てたじゃん!!」

顔を真っ赤にするひかりに、ほのかが小さく肩を揺らして言う。

「大丈夫。私は見てませんから」

「ほんとに!? ほのかちゃん、信じていい!?」

「はい。……ただし、クラス中に広まるのも時間の問題かと」

「広まるのかよーーっ!」


教室は笑いに包まれ、ひかりも思わず吹き出してしまった。

地球から来たことも、ドジったことも、今は大した問題じゃない。

二人が自然に声をかけてくれたその事実が、心の奥を温かくしていた。


自己紹介ラッシュがひと段落したところで、担任が手を打った。

「――はい、ここから二十分は自由トークにしましょう。近くの席で三〜四人組になって、好きなことやこの学校でやってみたいことを話してください。メモは不要。仲良くなるのが目的です」


 言い終えると同時に、教室はざわっと華やいだ。椅子がきしみ、机が引き寄せられる音が重なる。星野ひかりが「ど、どうしよう」と身を縮めていると、前の席からくるりと椅子が回転した。


「ね、よかったら一緒にどうですか?」

 黒髪を耳にかけた桜庭ほのかが、柔らかく笑っている。視線はまっすぐで、けれど圧はなくて、そっと差し出される手みたいにやさしい。

「異議なし! 引っ越し一か月の地球勢、保護が必要だ」

 元気よく椅子ごと滑り込んできたのは浅見明日香。机ごとガタンとぶつかり、ひかりは思わず肩を跳ねさせた。


「ひ、保護まで必要かな……?」

「必要必要。さっき自己紹介でプルプルしてたじゃん。手、震えてた」

「み、見ないで……!」


 明日香が勝手に机を寄せ、三人用の島が出来上がる。ほのかは「では」と小さく頷いて、進行役を買って出た。


「まずは――この学校でしてみたいこと、からいきましょう。私は、校内の菜園ボランティアに参加したいです。ハーブの水耕ユニットが充実しているらしくて」

「いいね! じゃあ私は体育系かな。ゼロG体育館の利用抽選、当てたい!」

「ゼロG……?」

「無重力体験できる特別体育館。週一で開いてくれるらしいよ。絶対楽しいって!」

「た、楽し……いのかな……(酔いそう)」


 言葉の最後が小さく溶け、ひかりは俯いた。明日香が「お?」と目ざとく拾う。


「ひかり、無重力苦手?」

「う、うん……方向音痴が三倍くらいになる……」

「なるほどな。じゃあ私がリードしてやる。ほのかは安全管理」

「はい。救急箱は常に携帯しています」

「え、いつの間に……?」


 ほのかがカバンを開けると、絆創膏や消毒スプレー、ミニ包帯が整然と入ったポーチが顔を出す。ひかりは思わず感嘆した。


「すごい。プロの人?」

「いえ、ただの心配性です。――ところで、ひかりさんは何か“地球ならでは”の特技、ありますか?」

「特技……」

 ふと、胸の奥が少しだけきゅっとなる。懐かしい海の匂いが、鼻の奥に蘇った。

「泳ぐのは、わりと得意。海で。コロニーのプールは……まだ行ってないけど」

「おっ!」明日香が乗り出す。「水泳! 私、中学で水泳部だった!」

「え、そうなの?」

「うん。背泳ぎで泡立て女王って呼ばれてた」

「それ、褒め言葉?」

「もちろん」


 三人の間に笑いが走る。空気が少しだけ軽くなるのを、ひかりは感じた。


「地球の海って、どんな感じなんです?」

 ほのかが身を乗り出す。興味の光が、薄緑の瞳に宿っていた。

「広い。見てると落ち着くよ。水平線の向こう、何もないの。風の匂いも、波の音も、ずっといると眠くなる」

「……いいですねえ」

 うっとりと頷くほのかの横で、明日香が腕を組んだ。


「よし、修学旅行は地球だな」

「企画がでかい!」

「無理かな」

「いや、夢としては大いにあり」

 ほのかの一言で、また笑いが起きた。


「じゃ、逆に――コロニーのここがまだ慣れない、ってとこある?」

「えっと……空。丸い空。あと、歩くときの“ふわっ”って感じ。たまに床が半歩先に行くでしょ。さっきも……」

 口にした瞬間、ひかりは顔を真っ赤にした。明日香がニヤリと口角を上げる。

「“さっきも”ね。――安心しろ、猫ちゃん件は墓まで持ってく」

「キミが一番信用ならないの!」

「私は見てませんから」ほのかが即座に添える。「ただ、階段付近は空調の風が強いので、スカートにはお気をつけて」

「理屈で刺すのやめて心にくるから!」


 くだらないやりとりに、周囲の島からもくすくす笑いが漏れた。さっきまで「地球出身」という言葉の輪郭で自分を囲っていた見えない壁が、気づけば薄くなっている気がする。


 チャイムが軽やかに鳴る。担任が教壇に戻ってきた。

「はーい、そこまで。自由トークは終了。最後に配布物の説明をして、今日はおしまいです」


 配られた資料の束は、時間割や校内地図、部活動一覧、連絡アプリのQRまでぎっしり。ひかりが目を白黒させていると、ほのかが自然な手つきでページを仕分け、上に付せんを貼ってくれた。

「重要なのはここ。提出期限が近いのはこの二枚です」

「ほのか……天使?」

「いえ、雑務係です」

「自称が渋い!」


 最後に連絡アプリの友だち登録タイムが設けられ、教室のあちこちで「ピコン」と音が鳴った。明日香がひかりの端末を覗き込み、勝手に操作する。

「はい、これで“ひかり救出隊”グループ作成」

「救出前提やめて!」

「スタンプも入れとこ。“任務完了!”」

「かわいい」

 ほのかが微笑み、三人の端末に小さな宇宙猫スタンプが並んだ。


 終礼の挨拶をして、初日は解散。教室を出ると、人工の午後の光が廊下に帯のように落ちている。ざわめきに混じって、どこからか部活勧誘の声も飛んできた。


「帰り、どうする?」

 明日香が肩にカバンを引っかけながら振り向く。

「家、同じ方向なら途中まで、一緒にどうです?」ほのかが提案した。

「わ、私は南回廊駅の方。二人は?」

「私は中央環状まで行って、そこから南」

「私は南回廊。――なので、ひかりさんとは途中まで一緒ですね」

「やった」


 三人は靴箱で上履きをしまい、校門を出た。校庭の端をかすめるように、透明な連絡回廊が伸びている。回廊のガラス越しに、遠く反対側の街が逆さまに揺れて見えた。


「相変わらず、不思議だなぁ……あっちにも同じ時間が流れてるって」

「流れてる流れてる。ほら、あっちの並木道、今ちょうど掃除ドローンが走ってる」

 明日香が指さす。ひかりが目を凝らすと、小さな白い点が逆さの地面を縫っていた。

「ほんとだ……落ちないの、やっぱり変な感じ」

「落ちないように“回ってる”んです」

「科学の言い方だ」


 回廊の床には緩やかに動く歩道が流れている。ひかりが一歩乗ると、体が前に運ばれ、わずかによろけた。

「わっ」

「ほい」

 横から伸びた手が袖をつまむ。明日香だ。

「ありがと」

「お礼はソフトクリームでいい」

「ずいぶん即物的」

「甘いのは正義」

「……じゃあ、三人で一本ずつ?」

「賛成です」ほのかの表情がほんの少しほころんだ。


 駅前の小さなデッキに、ソフトクリームの屋台が出ていた。ミルク、抹茶、そしてコロニー名物という“藻ミルク”。

「藻……? 飲めるの?」

「飲めるどころか、うまい」

 半信半疑で藻ミルクを選ぶと、ほんのり抹茶に似た青い香りがした。口に含むと、不思議と後味が軽い。

「……いける」

「でしょ」

「私はミルク。王道が好きです」

「私はミックス! 欲張り」

 三人でコーンを掲げ、小さく乾杯みたいにカチンと合わせる。冷たさが舌を打ち、笑い声がこぼれる。


「ひかりはさ、コロニーでやってみたいこと、もう一個ない?」

 ソフトを舐めながら、明日香が唐突に訊いた。

「もう一個?」

「うん。“泳ぐ”以外で。せっかくだし、ここでしかできないこと」

 ここでしか――。ひかりは空を見上げた。丸い空。逆さの街。人工の夕焼け。

「……んー……星をちゃんと見たい。窓からじゃなくて、もっと暗いところで。地球で見た星と、どれくらい違うのか」

「いいじゃん。展望区、夜は照明が落ちるとガラスが反射しなくなるから、けっこう見えるよ」

「明日香、詳しい」

「こう見えても明日香は静かな場所が好きなんです」


「じゃ、決まり。今度、夜に三人で行こう。――あ、でもひかりは家門限ある?」

「う、うん……“コロニーは夜でも安全!”って父が言い張るけど、母が“女子高生の安全は別問題です”って」

「ごもっとも」

 三人で頷き合う。

「じゃあ放課後すぐの明るい時間ね。夕方でも星、細かいのは見えるから」

「ほんと?」

「ほんとほんと。薄暮帯、って言うんだってさ」

「言い方がかっこいい……!」


 改札で、ほのかが先にカードをかざす。ピッという音。続いて明日香、最後にひかり。ホームに滑り込んできた列車は光をまとっていて、車体がオレンジ色に染まっている。

 三人で吊り輪につかまり、短い区間だけ並んで揺れた。車窓の向こうに、反対側の街の灯りが少しずつ点き始める。人工の夕暮れが、夜にバトンを渡していく。


「ねえ、ひかり」

「ん?」

 明日香が視線だけ寄越す。

「今日の“猫ちゃん”は、まじで誰にも言わないから。からかったけど、秘密は守る」

「……ほんとに?」

「ほんと」

 明日香は悪戯っぽく笑い、それから真顔になって、吊り輪を持つ手に力を込めた。

「こういうの、信頼の問題だからさ」


 ひかりは胸の奥がじんとするのを感じた。言葉にするには照れくさくて、代わりにうなずく。

 ほのかが二人を見て、穏やかに目を細めた。

「改めて――これから、よろしくお願いしますね」

「うん。よろしく」


 車内アナウンスが流れ、ほのかの降りる駅が近づく。

「私はここで」

「また明日!」

 ほのかが手を振ってドアの向こうへ消えていく。すぐに列車は動き出し、今度は明日香の降車駅。

「私も次。ひかり、家、ここから何分?」

「歩いて七分くらい」

「じゃ、迷子になる前に帰りな」

「ならないよ!」

「フラグって知ってる?」

「やめて!」


 明日香が笑いながら降り、残されたひかりは、すうっと肺の奥まで息を入れた。窓の外、逆さの街に点々と灯りが増えていく。どこかの窓辺で、誰かが晩ご飯の匂いを待っている――そんな気配が、コロニー全体に満ちていた。


 最寄りの駅で降りると、通路の手すり越しに、低い階層を流れる小さな生活用ドローンが見えた。どれも黙々と自分の仕事をこなしていて、規則正しく、静かだ。

 歩道を七分。角を三つ曲がれば、もう家。

 ポケットの中で端末が震えた。画面には新しいグループの通知――《ひかり救出隊》から、宇宙猫が親指を立てるスタンプ。

 明日香:「初日クリア!」

 ほのか:「お疲れさまでした。転ばずに帰れましたか?」

 ひかりは笑って、キーボードに親指を走らせる。

 ひかり:「たぶん、明日は今日よりうまく歩ける」


 送信と同時に、玄関のセンサーが反応し、軽い電子音がした。

「ただいま」

 ドアをくぐると、台所から湯気と出汁の匂い。

「おかえりー! 宇宙の一日目はどうだった!」父の声が陽気に弾む。

「楽しかった?」母が笑いながら顔を出す。

「……うん。――友だち、できたかも」


 言葉にしてみたら、胸の奥がぽうっと温かくなった。

 宇宙の空は今日も丸い。けれど、その下で交わした笑い声は、地球でだってきっと同じだ。

 ひかりは靴を脱ぎ、台所の明かりに向かって歩き出した。明日はもう少し、胸を張って歩ける気がしていた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

宇宙でも、はじまりはちょっと恥ずかしくて、ちょっとあったかい――そんな第1話でした。

次回はゼロG体育で“救出隊”が初出動。空は水じゃない、壁だ――の巻。

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