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「僕を忘れろ」と言った義兄が忘れられません【連載版】  作者: 矢井瀬 月


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42.計略の実行(三人称視点)


 その夜のために、革命軍の同志たちは周到に仕掛けを整えていた。


 ロイは王と王妃、そして取り巻きの重臣たちを誘い出すため、宴を設けた。


「クラージュ様はすでに腑抜け、今や私の言いなりです。弟君の金で派手にやりましょう!」


 そう提案すると、ジルベール王は満面の笑みを浮かべて賛同した。



 酒の準備を仕切ったのは、既に抱き込んである給仕頭である。

 王妃と宰相にだけ、アリシア考案の薬を仕込んだ特別の杯が届くように手配させた。毒味役も協力者。その作用は判断力を大きく鈍らせ、時間が経つごとに昂ぶりを煽っていく。


 やがて場が華やぎ、薬の効果が出始める頃、潜り込ませてあった侍女と従者が囁いた。


「言伝でございます──『西の回廊、奥の間で』」


 彼らの顔が見慣れぬことにも気づかず、王妃と宰相の視線は否応なく絡み合う。


 宴の折に二人が姿を消すのは、もとより常のことらしい。王妃は「酒に弱い」、宰相は「仕事が溜まっている」そう言いおいて途中で退席するのだと、城の者からの証言を得ていた。


 この夜もまた、急いた二人が時間をずらして回廊の奥へと消えていくのを、廊下の見張りに立たせた兵士役が確認した。



 その密会の部屋は、普段は人の寄りつかぬ静寂の間。重い扉は音すら漏らさぬ造りだった。

 だが今宵ばかりは違う。同志のひとりが蝶番をゆるめ、板の継ぎ目にいくつかの細工を施した。わずかな隙間が囁きを拡張させ、外へと灯火をにじませる罠へと変わっていた。


──そこを、何も知らない王と取り巻きが通りかかる、という算段だ。



 きらびやかな回廊を、ロイは軽薄な笑みを浮かべ、宴の二次会と称して王らを引き連れて歩いていた。けれど、ふだん物音ひとつせぬその一角で、不意に足を止める。


「……おや。皆さま、……何か聞こえませんか?」


 首をかしげるロイの声に、王も役人たちも耳を澄ました。最初は怪訝な顔をしていたが、やがて誰もが気づく。

──女の甘く切羽詰まった声。低く囁く男の吐息。


「む……」

「まさか、これは……」


 囁きが走り、誰もが頬を赤らめる。普段なら決して漏れぬはずの声が、この時ばかりははっきりと外に伝わっていた。扉に仕掛けがあるなどとは、誰ひとりとして思いもしない。


 王も役人たちも、酒が入り好奇心に抗えず、下卑た光を宿した目で扉へと身を寄せる。隙間から覗こうとする者まで現れ、やがて一行は我先にと視線を注いだ。ロイはただ、何食わぬ顔で耳を澄まし続ける。


 聞こえてきたのは、熱に浮かされた囁き。


「妃殿下……愛しております」

「私もよ、キース。ああ、いつものように名前で呼んで……」


 互いを呼び合う声が漏れた瞬間、一同の息が詰まった。灯火に浮かび上がる二つの影。寄り添う姿は明白で、誰もが目を逸らすこともできず、ただ呆然と立ち尽くした。


 その中でただひとり、顔を紅潮させ怒りに震えるのはジルベール。目撃者たちの顔には恐怖と動揺が刻まれていく。


 暗がりの奥で、ロイの瞳だけが鋭く光っていた。



『ジルベール様には愛などない。私の拠り所はあなただけ』


 そのような王妃の囁きが扉の隙間から漏れた瞬間、ジルベールの怒りは頂点に達した。

 彼は喉の奥でうなりをあげ、感情に任せて鋭く脚を振り抜く。


──ドンッ!


 重たい扉が音を立てて壁に叩きつけられ、部屋の中に灯火が散った。

 驚きに振り返る王妃、そして身を絡めたままの宰相、キース・マルセル侯爵。


「お前が……!」

 王の咆哮が轟く。

「これほどまでに淫らな女だったとは!」


 王妃は青褪めて首を振った。

「ち、違います陛下! これは──」

「黙れ!」


 ジルベールの眼差しは炎のように燃え、やがて宰相を突き刺す。

「キース! 貴様、俺を愚弄していたのか!」


 宰相は慌てて王妃から身体を離し、裸のままその場に平伏した。言葉を探すより早く、王の怒号が覆いかぶさる。


「王妃を惑わせたとグロンダンを糺弾しておきながら、お前こそが陰で我が妻を抱いていたとは! 一体いつから……もしや、お前たち」

 王の目が憎しみに鈍く濁り、吐き捨てるように言葉が続く。

「なぜ……我が子らは、俺に似ておらぬ……?」


 場に居合わせた者たちは息を呑んだ。

 王妃は崩れ落ち、宰相は平伏したまま震えるのみ。


 ジルベールは自らの護衛騎士の鞘から剣を抜き放ち、刃を二人へ突きつけた。

「裏切り者ども……! 今宵をもって、貴様らの命は尽きた!」


 血走った瞳の奥に、怒りと疑念が渦巻く。

 まさに剣を振り下ろさんとしたその刹那──


「お待ちください、陛下!」

 ロイが前へと進み出た。声は鋭くも沈着で、場の空気を断ち切った。


「このような恐ろしい事実を、ただの私刑で葬ってよいものでしょうか。王妃と宰相の奸計は、王家を欺き、国そのものを危うくする大罪。これを密かに処してしまえば、陛下のお怒りも、正義も、誰の胸にも刻まれません」


 ジルベールの剣先がわずかに揺れる。

 ロイはさらに一歩、踏み込んだ。


「むしろ、この醜悪な真実を全国民の目に曝すべきです。王妃と宰相の罪を明らかにすることで、陛下の御心の正しさを万人に知らしめましょう」


 刹那の静寂の後、ジルベールは歯噛みし、しかし剣を振り下ろすことはなかった。ジルベールの怒りに燃える瞳が、ゆっくりと冷たい光を帯びていった。

「……なるほど。貴様の言う通りだ、ロイ」


 王妃は泣き叫び、宰相は弁解を口にする。だがそれを耳に入れようともせず、ジルベールは一歩退き、剣を納めた。


「こやつらの命は、公衆の面前で終わらせる。王妃も、宰相も、そしてその一族も。

 ロイ、お前を軽んじていたがなかなかやる。今より俺につけ。腑抜けたクラージュなど、もはや眼中にない。こやつらの処刑の段取りを整えよ」


 ロイは恭しく膝を折り、静かにその命を拝した。

「御意。陛下の御裁き、必ずや天下に轟かせてみせましょう」


 こうして王妃と宰相の罪は公開の場で暴かれ、王妃に連なる公爵家に、宰相の侯爵家までもが断罪された。いずれも代々王政を支え、権勢を誇ってきた重鎮の家門である。その失脚は、王国の根幹を揺るがすものだった。


 そしてロイは、“忠臣”としてジルベールに重用されることとなった。


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