41.恐るべき執着心
「わー、懐かしい光景」
私たちが娼館の裏口から出て、僅か50メートルほど進んだあたり。突然、暗がりから声が聞こえた。嫌な気配に振り向くと、酒樽の上に、赤茶色の髪が揺れていた。
──ゲイル・フォード。
警戒していたにも関わらず、私だけでなく、エル兄でさえも、その存在に気づくことができなかった。一体いつの間に……。
怠惰な兵士に見せかけて、相当な手練れだったようだ。私たちは身構えた。
「今はここしか手がかりがなかったからね。待ってて正解だった。やっぱりその人形と知り合いだったんだー。
……というか、そいつが“お兄ちゃん”だったのかぁ。並んでるの見てやっとわかったよ」
「……何、言って……」
「えーー、あってるでしょ? アリシアちゃん」
「……っ!?」
教えてもいない本名を呼ばれ、ゾクリと背中に悪寒が走る。エル兄が私を庇い、前に出た。
「お兄ちゃんの顔覚えてなかったのは失態だったなー。覚えてたら、あの方に『そんなの使うな』って進言したのに。ほら、俺って好みの女の子しか記憶できないからぁ」
酒樽から飛び降り、一歩、また一歩と近づいてくる。
「ずーーっと知ってたよ。ずーーっと見てた。こぉんな小さい頃から」
ゲイルは薄笑いを浮かべ、親指と人差し指で小さな隙間を作って掲げた。
「見た目がまず、俺の好みにドンピシャでしょ? 儚げなのに、気が強そうなその目がいいよね。苛めたくなっちゃう」
エル兄の背中越しにもかかわらず、ドロリとした視線が絡みつくようだ。
「パパもだけど、お兄ちゃんが本当に邪魔でさあ、全然アリシアちゃんに話しかけられないからムカついてたんだよね。
そしたら、お兄ちゃんたちが革命起こすって密告来たじゃん? チャンスだって思ったわけよ」
クックッと喉を鳴らしてゲイルは嗤った。
「だから、レジェ家には革命軍リーダーの大事な娘、アリシアちゃんがいるよーって上官に教えて、人質に取らせたのも俺。お陰で出世できたから感謝だよね。
ただ誤算だったのがさー……お兄ちゃんが、アリシアちゃん連れて逃げちゃったこと。“レジェ兄妹はおそらく川に身を投げた”って報告受けたけど、生きてたんだねー。再会できたと思っても、気づけば見失うし」
言葉に合わせて、ゲイルの剣が月光を弾く。
──こいつのせいで。
嫌悪感を露わに、私たちは両手に短刀を構えた。
「せっかく、パパが死んで絶望に染まったアリシアちゃんを連れて帰って、じっくり俺好みに育てる予定だったのに……本当にいつも邪魔だよね、お兄ちゃんは。
────死んでよ」
刹那、エル兄の短刀が火花を散らし、金属が軋む音が夜気を震わせる。
ゲイルの剣は容赦なく襲いかかり、エル兄はそれを短刀二本で受け流す。鋭い剣筋に押されながらも、必死に食い下がる。
「やっぱり腕はいいんだよね。でも剣と短刀じゃ分が悪いんじゃない?」
挑発するように、ゲイルの口端が吊り上がる。エル兄は返事をせず、ただ鋭く目を細め、次の一撃を読んだ。振り下ろされた剣を弾き、空いた腹を狙って短刀を突き込む。だがゲイルは軽やかに身を翻し、間合いを外して笑った。
強引に踏み込んだゲイルの剣の鋭い切っ先が、エル兄の喉元に届く前に、私がそれを蹴り上げる。
「逃げろ、アリシア!」
「……ッ、逃げない!!」
私は短刀を振りかざす。小刻みに刃を閃かせ、喉元や脇腹を狙って、悪寒を振り払うように全力で突き込みながら叫んだ。
「ああああッ、気持ち悪いッ、気持ち悪いッッ!!」
「うわぁ、ゾクゾクする。やっぱり俺のモノにしたいなぁ!」
必死に間合いを詰める私に対し、ゲイルは一歩も退かず、余裕を見せながら剣をしなやかにさばいて応じる。二人がかりでも相手が優勢なこの状況に、私は冷や汗をかいた。鋭い金属音が幾度も重なり合い、狭い部屋に火花のように散った。刃が空気を裂くたび、風を切る音が耳に刺さる。
ゲイルは剣を素早く薙ぎ、私の短刀を弾き飛ばした。瞬間の衝撃に手首が痺れ、刃は宙を舞う。切っ先が頬を掠め、熱い線が走る。歪んだ私の顔を、濁った赤銅の瞳でじっとりと見つめながら、ゲイルが舌なめずりをした。
「いいね、その表情。好きだなぁ」
手首を掴まれる。思い切り腹を蹴りつけても、彼はビクともしない。身をよじろうとしたその時、エル兄と目が合った。その視線に頷き、もう一度蹴りを入れると、同時にエル兄が背中に体当たりを叩き込んだ。
前後からの衝撃で剣を落としたゲイルの足を、エル兄が払う。体勢を崩したところへ私が踏み込み、右腕に深く短刀を差し込んだ。
「ぐっ……!」
苦悶の声を上げ、ゲイルは後ずさる。だがすぐに持ち直し、刺さった短刀ごと腕を押さえながら、狂気を宿した瞳で私を見据えた。
「……パパの敵討ちかなぁ? 何やってんのか知らないけど、必ず捕まえてあげるよ。待ってな、アリシアちゃん」
不気味な言葉を残し、彼は闇の中へと消えた。
エル兄は大きく息を吐き、私を抱き寄せる。
「やばいな、アイツ……。頬、痛くないか?」
「うん……大丈夫……でも、すっごく寒い……」
掠れた声で答え、私は身震いした。
ゲイルの言葉が耳にこびりつき、心の奥を冷たく締めつける。私はその寒さから逃れるように、エル兄の外套へ身を巻きつけた。
✽
「すみません。エルネストがレジェ家の生き残りであると、ゲイルに気づかれました。これからはアリシアの護衛に専念させて下さい。あと、レオとアンドルーも、なるべくアリシアの傍に置いていただけると……」
「クラージュ様の存在までは掴まれていないと思うのですが、私たちが何かしら動いている、ということには間違いなく勘づいています」
私たちがその足でクラージュ様に報告に向かうと、傍らでゲイルの言動について聞いていたロイが「うわぁ……」、レオが「げぇ……」、アンドルーが「キッショ……」と呟いた。
クラージュ様も、見たことのない顔の歪め方をしている。
「貧民たちは既に各地のリーダーを立ててある。連絡さえ密にすれば、レオとアンドルー不在でもなんとかなるだろう。当面はお前たち二人も、エルネストとともにアリシアを護ってくれ」
「はい」
「娼館ももう使えんし、思った以上にやり手のようだ。本性を見せてきた今、奴が本気を出せばすぐに嗅ぎつけられるだろう。奴の出世欲を考えれば、アリシアが身分を得ることで、より執着が増す可能性もあるな……後に回そう。
情報も十分揃った。人員も申し分ない。後ろ盾も必要ないほどの醜聞を王にもたらす。──先手必勝だ」
そうしてクラージュ様は私に目を向けた。
「アリシア、以前考えてくれた薬を使いたい。マチルダと最終確認をしておいてくれ」
「わかりました」
私の返事を聞くと、クラージュ様は表情を引き締め、次の言葉を放った。
「計画を開始する。第一手は既に日程を決めてある。まずはロイ。準備はいいな」
「はい、お任せ下さい。我が主よ。
──この命も、知も、忠誠も、すべてはクラージュ殿下のために」
その日を最後に、ロイはこの隠れ家から姿を消した。




