39.通じた想いと、白いハンカチ
(✽アリシア視点→)
──「愛してる」
そう聞こえて、目を開けるとすぐ傍にエル兄がいた。私の髪を一房取り、その先に静かに唇を寄せて。
朝日を纏う彼の亜麻色の髪は柔らかく輝いていた。ほんのり紅潮した頬が何だか艶かしい。
そういえば、クラージュ様とお酒呑むってロイが伝えに来たっけ……と思い返しながら、私はエル兄に“抱っこ”をせがんだ。
クラージュ様が認めてくださったものの。
23のときに『きっとエルネストはアンタを女として見てるよ』と言われたものの。
肝心の、今のエル兄が実際に私のことをどう思っているのかはわからない。変に勘違いして、これまでの関係すら壊れてしまうのが怖かった。
だから今、私は“妹”という立場を盾にして、思い切り甘えることに決めていた。
けれど、いつもなら真っ先にギュッと腕に包み込んでくれるはずなのに、今日のエル兄は私の手を取って、自分の頬にあてがうだけ。不貞腐れてみせると、彼は天鵞絨色の瞳をそっと細めて、どこか切なげに笑んだ。
──夢だと思えばいい?
──、一度だけ?
そんなのは……嫌だ。彼がどんなに汚い仕事に手を染めてきたかなんて関係ない。23だってエル兄の一部だ。エル兄さえ傍にいてくれるなら、それでいい。
そう思えば、勝手に「好き」という言葉が、唇からぽろぽろと零れていった。でも、普段から「好き」だなんて口にしすぎている。伝わらなかったらどうしようという不安が、次第に声を涙混じりに変えていく。
すると、エル兄は頬に触れた私の手を、壊れやすい硝子細工でも扱うかのように大切に包み込み、長い睫毛を伏せて、その窪みに恭しく唇を押し付けた。
「ずっと一緒だ」
その力強い声音と、視線を上げて私を見つめる艶めいた表情に、私はただ見惚れるしかなかった。気づけば、息も苦しくなるぐらい強く抱き寄せられていた。胸の奥で鼓動が暴れた。
✽
……そのときの。
幾度も、幾度も、唇を重ねた感触が今も消えない。思い出すだけで頭がぼうっとしてくる。
──いけない。
頬を叩くと、私は執務室の扉を開いた。
「クラージュ様、お呼びですか」
「アリシア」
書類に目を通していたらしいクラージュ様が顔を上げ、私を見て、ふと表情を和らげる。
「想いが通じたか。よかった」
「えっ、何故……」
「顔を見ればわかる。幸せそうだ」
一体、私はどんな表情を……。
あまりの恥ずかしさに思わず顔を伏せると、クラージュ様は軽やかに笑った。
「俺の前で見せつけてくれるなとエルネストには言ったが、その様子だと今後も苦労しそうだ」
「申し訳ございません……」
「よい。しかし仕事はきっちりしてもらうぞ。どうすればよいかわからなくなったら、“兄妹”の仮面を被れ。演技は鍛えてきただろう?」
「はい」
私の表情が引き締まったのを確認したクラージュ様は、机の中から一枚の布を取り出した。
それは、サフィアさんと接触するために使った、隅にエリゲロンの花が刺繍された、白地のハンカチだった。
「エリゲロンの花言葉を知っているな?」
「はい、“お客様”から聞いて。“遠くから見守る”、“変わらぬ愛”、“希望”。意味があるのですね」
その言葉にクラージュ様は頷き、私にハンカチを差し出す。
「エルネストの潜入捜査が一段落したら、ふたりでこれを持ってサフィアの元へ行け」
私は困惑して、クラージュ様を見つめた。
「……ですが、サフィアさんは、私がクラージュ様の隣に立つ覚悟を持ったときと……」
語気が弱々しくなってしまった私を気遣うように、クラージュ様は何でもない顔で答えた。
「俺は王となれば、レジェ家に爵位を与え、エルネストを重役に取り立てるつもりだ。その時に、これがあった方がいい。新しい政権の、大きな後ろ盾にもなる」
このハンカチは、一体何の意味を持つのだろう。じっと眺めていると、クラージュ様は静かに告げた。
「そのハンカチはお前の母が、イヴォンに送ったものだ」
「え……?」
突然目の前に現れた母の痕跡に、小さく声が零れた。動揺と困惑、そして何か説明しがたい感情が混ざり合い、私の視線はハンカチから離せなくなった。
ハンカチ→ep13




