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「僕を忘れろ」と言った義兄が忘れられません【連載版】  作者: 矢井瀬 月


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37.本心(エルネスト視点)


「まあ、そう固くなるな」


 張りつめていた肩に、クラージュ様の低い声が落ちる。

 グラスへ酒を注ぐ仕草ひとつすら、こちらを見透かしているようで、息が詰まった。

 琥珀色の液体がゆらめくのを凝視したまま、僕は覚悟を決めて口をつける。喉を焼く熱さが、かえって緊張を鮮やかにした。


「イヴォンとは、よくこうして酒を酌み交わしたものだ」


 懐かしげに目を細める彼を見て、胸の奥に何故か罪悪感のようなものが芽生える。僕は思わず視線を落とした。


「父は……クラージュ様を、畏れ多くも二人目の息子のように思っていたと……」


 その一言に、クラージュ様の瞳がわずかに見開かれた。


「そうか……。それは嬉しいことだ。俺も、彼を父のように思っていたからな。アリシアと婚姻を結べば、本当に俺の義父(ちち)になるのかと冗談を言ったら、『僕目当てですか』と叱られたことがあった。……ならば、お前とは義兄弟(きょうだい)というわけだな」


「そう……ですね。……父は、本当にアリシアを大切に想っていました」


「ああ、知っている。いつも娘の惚気話をしていたよ。だからこそ俺も、アリシアに興味を持ったのだ」


 やはり──牽制か。

 胸の奥が、ぎりりと音を立てるように軋んだ。


「俺はアリシアを愛している。この3年で、イヴォンの話以上に彼女に魅せられ、心を奪われた。強さも、弱さも、すべてが愛おしい。……お前はどうだ」


「私……ですか。私は、兄として……」


「そうではない。“身分関係なく、男同士の話をしたい”と言ったはずだ」


 彼の眼差しは鋭く、逃げることを許さない。僕は観念して、溜息をひとつ吐いた。


「“僕”は……。種類を問わずアリシアに愛を抱き、命を賭して護るため、イヴォン・レジェに引き取られた者です。お二人の障害になるつもりはありません。一生、この想いを表に出すこともない。ただ……胸の内に秘めることだけは、どうかお赦しいただけませんか」


「ほう……」


 クラージュ様の声は低く響き、次の言葉は試すようだった。


「ならばお前は、数日前に俺がアリシアを夜の私室へ招いたと聞いても、平静でいられるのか?」


「……!」


 血の気が引く。

 それを見透かすように、彼は静かに笑った。


「顔に出ているぞ」


「……すみません」


「なぜ秘める必要がある。アリシアもそれを望んでいるというのに」


「え……?」


「……すまない。意趣返しが過ぎた。俺はその時──いや、とっくに振られていたのだ。はじめからアリシアにとって、俺は“男”ではなかった。彼女の想い人は、お前だ」


「まさか……」


「何がまさかだ。アリシアがお前に向ける表情も、距離感も、すべて俺に向けるものとは違う」


「……けれど、父は僕にアリシアへの愛が女性としてのものであるならば秘めろと。それだけ、クラージュ様との婚姻を望んでいたのならば……」


 声に迷いがにじみ、自分でも苦いものを覚える。


「いや、恐らくイヴォンの理想の男はお前だったのだと思う。俺には結局、最期までアリシアと会わせてはくれなかった。

『アリシアを本当に愛してくれる男じゃないと認めません』『クラージュ様は天下さえ取れれば選り取りみどり』などとほざいていた。

 ……間違いなく愛したのだがな。俺とでは波乱万丈な人生になることを約束されたようなものだ。

 それを懸念していたのもあろうが、きっとイヴォンは、お前の愛を心の底から認めていたのだろう」


 その言葉が胸に突き刺さり、世界が揺らぐ。信じ難さと歓喜、そして罪深さが綯交(ないま)ぜになり、あまりの複雑さに返事の仕方も、クラージュ様へどのように視線を向ければよいのかもわからなくなった。


「生まれも地位も関係ないのだな……。俺はお前が心底羨ましい。俺の欲しいものを、すべてお前は持っているのだから」


「クラージュ様……」


「だからせめて、アリシアには“家族愛”をくれと頼んだのだ。お前もよければ、俺の“弟”のように思わせてくれないか。イヴォンはお前のことも、よく自慢していた」


 胸の奥に、ぽうっと温かなものが灯る。孤児だった自分の身には到底望めぬほど過分な提案に、僕は目を伏せ、深く頭を垂れた。


「クラージュ様の御心のままに」


 僕の言葉を受け入れて下さったクラージュ様は、ふ、と微笑んだ。


「では、アリシアはお前に任せよう。ただし俺の前では見せつけてくれるな。子を成すのも、しばらくは禁止だ。その程度の罰は受けてもらおう」


「な……ッ!?」


 虚を突かれ赤面する僕を見て、クラージュ様は声を立てて笑った。


 やがて笑いを収めた彼に、僕は問いかける。


「ところで……それならば、アリシアの護衛の重要性はどうなりますか? もしも軽くなるのなら……」


 クラージュ様はじっと僕を見つめ、重々しく言った。


「いや、アリシアの護衛がお前にとって最優先なのは変わらん。……アリシアは俺の婚約者候補であったが、それ以外にも役割を背負っている。何があっても、必ず護れ」


 その神妙さに、僕は姿勢を正して応える。


「はい、命にかえても」


「そして色々思うところはあろうが、11(ウィレイズ)18(ウィアード)はもう、頼りになる同志だ。アリシアを護るため、幾度も力になってくれた。各地の貧民街をまとめる役目も、お前の信念を受け継いで頑張ってくれている。信じてやってほしい」


 確かに、23(オレ)がアリシアに手を出そうとしたとき、あいつらが必死に彼女を守り、説得してくれたことを思い出す。そして、それがひどく心に響いたことも……。


「わかりました。あいつらともう一度、しっかりと話し合います」


「ならば今、ここに呼ぼう。俺たちの話はもうついた。まだ起きていると良いが……」


 そう言うと、クラージュ様は扉の向こうに声をかけた。


「ロイ、レオとアンドルーを呼んでこい。もう寝ていたら構わん。そしてお前も加われ」


 まさかの展開に度肝を抜かれた僕は、クラージュ様の意外な社交性に、思わず笑いをこらえきれず噴き出した。

 レオとアンドルーはすでに就寝していたが、ロイさんの声に飛び起き、慌てて駆けつけたようだ。


 僕たちはそれから、色々と話し合った。

 互いの考えや不安を素直にぶつけ合いながらも、笑い声がときどき混ざり、自然と信頼を確かめ合う時間になった。


 やがて、部屋の外にうっすらと明かりが差し込み始める。疲れはあったが、心は軽く、柔らかな温かさに包まれていた。


 僕は本当に、ここに戻れて良かったと思う。




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