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「僕を忘れろ」と言った義兄が忘れられません【連載版】  作者: 矢井瀬 月


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36.僕の苦手な“別の男”(エルネスト視点)


 僕は、クラージュ様が苦手だった。


 いや、過去形ではない。正直に言えば、今も苦手だ。愛に飢え、闇を見てきたその瞳は、いとも簡単に人の本心を暴く。


 彼は、僕さえ気づかなかったアリシアへの懸想を初対面で見抜き、そして挑発してきた。おそらく、彼が慕う男(イヴォン)の息子という僕の立場にも、何か思うところがあったのだろう。


 ──アリシア。

 父と同じように、僕も“家族として”愛していこうと決めていた存在……だったはずなのに。

 いつからその形を変えてしまったのか、自分でもわからない。自覚してからは、理想の兄(エルネスト)であることをより意識し、胸の奥底に潜む荒んだ自分を押し隠して、取り繕ってきた。


 だから、エルネストの自我がなくなり、23(ヴァズリー)が前面に出てしまった()()は、真っ先にアリシアに手を出したのだろう。唇が触れたときの気が狂いそうなほどの歓喜と、彼女への渇望を()に植え付けて。けれど記憶が戻った以上、僕はまた彼女の“兄”でいなければならない。


 父は孤児だった僕に、生涯アリシアを護る役目を与えた。


『エルネスト。君はアリシアを愛している?』


 あの日の問いは、今も忘れられない。


『家族としてでも、()()()()()()()()()()()女性としてでも』


 父はそう言った。命を賭けられるほど、僕がアリシアを愛せるのなら、その手段は問わなかったのだ。近い将来、別の男(クラージュ様)の元に嫁ぐことがわかっているのに、なんて残酷なことだろう。

 それでも、アリシアを愛せて良かったと思う。父には感謝しているし、父を家族として愛してもいる。


 そして今、僕はその“別の男”の前にいた。


 ロイさんに手配を頼んで、クラージュ様に時間を作っていただいたのだ。個人的感情はさておき、謝罪と報告は必須事項だった。


「前回の計画失敗の原因が、私にあったと知りました。申し訳ございませんでした。お許しいただけるとは思っておりません」


 頭を下げる僕に、クラージュ様は書類を整理しながら淡々と答える。


「密告の原因はわかった。今は対策もしている。報告書を受け取りながら、裏切りの種に気づかなかった俺にも責任がある。失敗を活かし、次は必ず成功させる。その気概があるなら、前回のことは不問に付す」


「はっ。必ず挽回してご覧に入れます」


 更に深く礼をとる僕に、クラージュ様は視線を向けた。


「はぐれてから、記憶を失っている間のことを教えてくれるか」


「はい」と返事をすると、僕は順を追って報告を始める。


「あの後、私は衛兵たちの前で、三人分の投身を装い、川に身を投げました。そして川下の村の医者に瀕死状態で拾われ、手当を受けました。偏屈な方で、私が回復したとみると直ぐさま追い出されました」


 頷きながら、僕の話に耳を傾けるクラージュ様を見ながら続ける。


「それゆえ都に戻りましたが、貧民街が無くなっていたので行き場を探していたところ、貴族の使いに『仕事をしないか』と声をかけられました。あちら側の質問には『自分のことは分からない。報酬さえ貰えるなら、何でもやる』と答えています」


「なるほど、その貴族の名はわかるか?」


「本人は遠巻きに見たのみです。顔は隠され、名乗りもしなかったのですが、依頼内容を考えると、かなりの大物なのは間違いありません。

 確証はありませんが……身体的特徴も考慮すると、宰相のマルセル侯爵ではないかと」


 生前の父に見せられた、貴族の背格好や特徴などが記された資料を思い浮かべながら答える。肖像画も覚えさせられたが、裏の世界では大抵の貴族が顔を隠すため、殆ど意味がない。


23(ヴァズリー)だった私は、貴族のいざこざに関心がなく、淡々と与えられた任務をこなしていました。

 政敵と思われる人物を陥れるための証拠捏造や脅し、謎の女性の護衛が主です。

 幸い、次の任務までは間が空いていましたから、こちらに来てからの期間については誤魔化せると思います。続けて23(ヴァズリー)として潜入させてください」


「そうしてくれるとありがたい。ただし、無茶はするな」


 そして、クラージュ様は話題を変えた。


「ところで、アリシアが貴族の区画で襲われたそうだが」


「あれは豪商に雇われている連中です。裏金や取引先関係で(やま)しい事でもあるのでは。ひとまず、この計画に支障が出ることはないと思います」


「わかった」


「次回は明後日、任務を受けてまいります」


 報告を終え、礼をして退室しようとした時、クラージュ様に呼び止められた。


「ところで、アレクシスからは許可が出ている。身体に支障がないのなら、酒でも酌み交わさないか」


 その言葉に、僕は呆気に取られた。


「え、私とですか?」


「ああ。イヴォンが言っていた。時には身分関係なく、“男同士”本音で語り合う場も必要だと。あまり贅沢も良くないが、今日は特別だ」


「……わかりました」


 恐らくアリシアの件で、何か釘を刺されるのだろう。僕は憂鬱な気持ちで、クラージュ様の指し示した席へと腰をおろした。


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