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「僕を忘れろ」と言った義兄が忘れられません【連載版】  作者: 矢井瀬 月


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34.合わぬ視線に気づく(クラージュ視点)


 『エル兄が……見つかりました』


 アリシアからその言葉を聞いたとき、まず胸を突いたのは、焦燥感だった。


 俺が感情を抑えきれず、アリシアを怖がらせてしまったのは、もう3年ほど前のこと。あのときの彼女の怯えた表情を思えば、名実ともに我がものにしようと性急に迫る気には到底なれなかった。


 たとえ初めは俺を兄のように慕っていたとしても、既に『妃にする』と明言してある。

 気持ちを整理し、緩やかにでも接していけば、アリシアの心も固まるだろうと考えていたし、事実、彼女もそう意識しようと努めているように見えた。


 だが、俺は悠長に構えすぎたのかもしれない。


 エルネストが、『本当の兄ではない』と告げて姿を消したことが、ここに来てアリシアの心にどう作用するのか。

 それを思うと、感じたことのない苦しみに襲われた。


 事実、エルネストの捜索を始めてしばらく経つと、あれほど真っ直ぐに俺を見ていたアリシアと、視線が合わなくなった。どこか熱に浮かされたような眼差しで宙を見ていることがある。

 23(ヴァズリー)と何かあったのか。それを知っているかとロイに尋ねても、彼は首を振り、曖昧に笑うばかりだった。


 そして遂に、エルネストが運び込まれた。記憶が戻らぬ場合、隠れ家を知られるわけにはいかない。そこで、行き来できる距離にある空き家を手配した。


 その日。エルネストと共にいるアリシアを、あの生き別れた夜以来、初めて見た。そうして、熱で苦しむエルネストに寄り添う彼女の表情と距離に、俺は愕然とした。


──ああ、既に手遅れだったか。


 胸の奥が、鈍い刃で抉られるように痛んだ。



 エルネストが記憶を取り戻した翌晩、俺はアリシアを私室に連れてくるよう、ロイに命じた。


「殿下……、いっそ既成事実を」

「俺が、それを出来ると思うか?」


 低く遮った俺に、ロイは短く「いえ」と答え、視線を落とした。


「誰にも知られぬよう、お連れいたします」



「……アリシア、よく来た」


 夜更け、人払いをした静けさの中。俺の私室へと足を踏み入れた彼女は、不安げに俺を見上げた。


「……クラージュ様」


 俺は歩み寄り、その瞳を覗き込む。理由は告げていなかった。けれど、夜伽だと察しているのだろう。戸惑いと恐れの交じった表情──忘れたくても忘れられぬ、彼女を怯えさせた夜の記憶を呼び覚ます。


 けれどもう、明確にせねばなるまい。


 手を伸ばし、その肩に触れる。アリシアが小さく身じろぎした。


「お前と近頃……視線が合わぬのが、どうにも苦しい」


 声が震えた。積み重ねた想いが、堰を切ったように零れ落ちてゆく。


「アリシア……俺は、待ちすぎたようだ。お前が欲しい。名実ともに、俺の元へ来ぬか?」


 彼女を抱き寄せる。決して解きたくないと願う熱を、自らの腕に彷徨わせて。それが叶わぬと気づいていながら、ほんのひとときだけ、欲を零したかった。


 頬に触れると、指先にさらりと銀の髪が流れ落ちる。彼女の目は、どこか遠くを見ていた。それが答えなのだと分かってはいても、なお視線を追わずにはいられなかった。


 切なさに駆られるまま、そっと顔を寄せる。あと少しで唇が重なる──その瞬間。


 柔らかな掌が、そっと俺の口元を遮った。

 反射的な仕草。だが俺にとっては、それだけで十分だった。


 アリシアは、自分の行動に驚いたように目を瞬かせると、「……すみません、私……」と掠れ声を零した。


 「……わかっていた」


 喉を通って出た声が、自分のものとは思えないほど弱々しかった。

 そのまま彼女が怯えぬよう、声を落とす。


 「何もしない。だから……」


 そう告げて長椅子に腰掛け、ただ腕を広げる。アリシアはためらいがちに傍に寄り、俺はその華奢な身体を自分の腕で包んだ。体温が触れ合った瞬間、胸の奥に空白と痛みが同時に広がる。


 抱きすくめる腕に、せめて温もりだけを求める。アリシアの細い身体は、抵抗もせず、ただそこに在った。


 「……昔話をしよう」


 囁くように言葉を落とすと、アリシアが小さく瞬いた。


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