25.それからと、2年後
それから半年ほどかけて、11と18は、すっかり回復した。いくつかの傷跡はあえて残してある。各地の貧民街を回る際、王国軍の非道を説明しやすくするため。そして、彼ら自身が己の戒めとして望んだからだ。
ただ、思惑以上に私を崇めるようになってしまい、「姐さん」と呼ぼうとするのが困りものだ。私よりも年上の男たちにそんな呼び方をされたら、近所の人に妙な目で見られてしまうではないか。
「だから“姐さん”はやめてってば。外では“ノア”。それと、ぜっったい敬語は使わないで!」
「ですが、姐さんは俺らの恩人……」
「恩を返したいなら、仕事で返して!」
私がそう言うと、二人は目を見合わせ、どこか子どもじみた表情で肩をすくめた。
体こそ屈強だが、心を許した彼らの中身は存外素直で、私の言葉を律儀に守ってくれるのだった。
レオとアンドルーを見ていると、貧民街の人々の心は、生まれ持った性格とは違う形に、日々の暮らしの重さによって押しつぶされてきたのだと気づいた。
きっと、彼らのような人が他にも大勢いるのだろう。平民ですら心の余裕を失い、小さな諍いをあちこちで起こしている。
こうした光景に直面する度、今の世のままではいけないと、更に強く思うようになった。
レオとアンドルーは、揃えられた資料とエル兄の報告書を手がかりに、各地の貧民街へ赴き、説得と支援活動を粘り強く続けた。やり取りの記録は逐一心理分析者に見せ、その助言を受けながら、少しずつ貧民たちの結束を築き上げていった。
一方の私は、各地の農村を巡り歩いた。農家の未来に絶望して、貴族の私兵を志す若者たちを、革命軍へ勧誘して回るためだ。
最初は必ずといっていいほど舐められる。だから私は、その地で一番の力自慢と一戦交えることにしていた。実戦を見越して“お客さん”から訓練を受けていたので、ただの力自慢程度ならば瞬殺だ。
「女に負けるなんて……。何でそんなに強いんだ?」
呆然とした若者が呻く。
「訓練してるもの。あなたたちだって、きちんとした訓練受ければもっと強くなれるよ。どう、私たちの同志にならない? 今の腐った貴族の私兵なんて、使い潰されて終わりだよ」
その一戦を見届けた者たちは私を持ち上げ、耳を傾けるようになる。密告者が辿る末路についても忘れずに伝えながら、私は彼らを取り込んでいった。
クラージュ様は主に王都に留まり、王政の動きを注視しながら、支援者と計画を練り上げていた。
時にはアルノー領にも足を運び、統治を行いながら、領民の意識改革を水面下で進めているらしい。
一方、追放初日からの“偽クラージュ様”は表向き変わらず、うつけを演じていた。
そして皆、それぞれにエル兄の行方を追い続けていた。似た人物がいると耳にすれば、そのわずかな手がかりを頼りに各地へ足を運んだ。けれど確かめてみれば、すべてが別人。消息はいまだ掴めぬままだった。
そうして、気づけば2年の歳月が流れていた。私が19歳、クラージュ様が29歳となる年。
クラージュ様と私との距離は、以前と殆ど変わらなかった。私が距離を縮めるのをどこか恐れているのもあるが、何より計画準備で、それどころではない状況だったのも大きい。
ただ、私を最初に想うようになった経緯は伺った。父さんが語る私への愛と誇り──その、呆れるほどの娘バカぶりに感化されたのだという。父さんのせいで私への期待値が上がっていたと知ったときには、少しばかり恨めしくも思った。けれど、父さんが心の底から私を自慢に思ってくれていたのだと知れたことは、何より嬉しかった。
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冬の初め、私も王都へと本格的に移った。
食糧不足は以前よりもさらに深刻化し、人々の表情からは日に日に生気が失われている。
そんな折、クラージュ様のもとに、王城の高官が突然失脚したという報せが届いた。
その人物は、現王に長く重用されてきた“お気に入り”だったらしい。
「……何があったかはまだ掴めんが、この流れは利用できるかもしれない」
クラージュ様の声は低く、しかし確かな熱を帯びていた。
「アリシア、お前は外から市井の不満を広げてくれ。噂を操り、流れを作る。今、小さな暴動は封じ込めておき、時が来たときに爆発させたい」
指示を受け、私は変装して街に出た。露店の軒先や井戸端、安酒場。人々の耳に届きやすい場所で、さりげなく言葉を織り込み、不満の火種をくすぶらせる。小さな暴動を先導しそうな人物には、「まだ時ではない」と説得した。
そんなある日、私は情報が集まりやすいと聞いた裏通りの茶屋に、女給として潜り込んでいた。
店の奥の卓では、兵士らしき男たちが声を潜めて話し込んでいる。聞き耳を立てながら、店先を掃き掃除していると──。
「……あれ、君、前に会ったよね?」
軽く笑う声に顔を上げた。
赤茶色の髪と瞳、唇の端に貼りついた軽薄な笑み。以前、王都の市場で絡んできたあの男──ゲイルが、私の肩にするりと腕を回してきたのだった。




