23.今はまだ
(※アリシア視点→)
恐怖を感じた時に似た心音が、まだ胸の奥で鳴り止まない。
ざわつく感覚が、身体にずっと残っていた。
──あれは何だったのだろう。まるで知らない人のようで怖かった。あの眼差しも、あの言葉も、あの距離も……。
へたり込んだまま、背中を壁に預けて、そっと息を吐く。目を閉じて、指先を握り合わせて、震えが収まるのをじっと待っていると、突然自分の真横から軽やかな声がした。
「ア〜リシ〜アさまっ!」
思わず、肩がびくりと跳ねた。
「ロイ……」
一体いつの間にそこにいたのだろう。声の主は、私の隣にしゃがみこんで、にこにこと笑っていた。
ロイは“自称・王族マニア”として、時折店に顔を出していた人物だ。クラージュ様の生い立ちや、“影の一族”について教えてくれたのも、彼だった。
実はクラージュ様の腹心の従者だと知ったときには、本当に驚いたものだ。
初めは“ロイさん”と呼んでいたのだが、「“ロイ”でいいですって」と毎回言われるので、最近は敬称なしで呼んでいる。
彼は普段と変わらない、にこかな笑みを浮かべながら、軽い口調で言葉を続けた。
「で、どうです? 殿下に脅された気持ちは」
「……からかってます?」
「とんでもない、からかってなんて。むしろ心配して来たんですよ?」
ロイはそう言って、しゃがんだ姿勢のまま頬杖をついた。
「殿下ね、珍しくかなり動揺してました。あそこまで感情を顕にされたの、ボクも初めて見ましたよ〜。正直、すっごく新鮮でした」
軽く笑うロイに、私は目を伏せた。
「……私が余計なことを言ったせいでしょうか」
「まあ……想い人から、あんな提案されちゃあね。ボクは殿下の気持ち、わかりますよ」
「想い人……ですか。婚約者候補であることについて、“悪くない”と言っていただいたことならありますが、そう想っていただけるようになった過程がわからないんです。だって出会ってから日も浅いですし、お役に立てたと実感できたことも少ないです。むしろご迷惑をかけることのほうが……」
「んー……まあ、その辺りは殿下に直接聞かれたほうが。ボクがお話できることもありますが、それ以上はどうしても憶測になりますし」
ロイは私の言葉を遮ることなく、じっくりと話を聞いてくれた。そのおかげで、少し気持ちが落ち着いてくる。私が顔を上げると、彼は穏やかな目で私を見ていた。
「殿下はね、距離の詰め方が、とーっても下手くそなんです。きっと、初めて愛した女性が貴女なんでしょう。だから、あまり気に病まずに、ゆっくり考えてあげて下さい……、殿下のこと」
「……はい、そうしてみます」
私も、誰かをそういう意味で愛したことはない。だから、ロイに時間の猶予を提案されたのは、とてもありがたかった。
「急にアリシア様に避けられたりしたら、たぶん殿下、泣いちゃいますよ。……ま、ボクとしては、そんな殿下も、ちょっと見てみたいですけどね」
くすくすと笑うロイにつられて、私も少し笑った。
「そういえば、貴女のために護衛をつけるよう、すぐに指示が出ましたよ。目立たないような配置で二人。だからって、無茶はしないでくださいね!
では、はい! 深呼吸〜〜!」
ロイは、おどけたように大きく自分も深呼吸して見せた。彼の号令にあわせて、私も息を整える。
「……落ち着きました。ありがとうございます」
そう返すと、ロイは「どういたしまして」と、オーバーに一礼した。
「では、今回のボクの優しさは、殿下に加算しておいてください。これにて失礼」
そう言ってロイは、「ヨイショっ」と声をあげて立ち上がり、去っていった。
動揺はだいぶ落ち着いた。
数日の都での滞在中は、クラージュ様のことを、しっかり考えてみようと思った。
ロイ初登場=ep14




