20.ニコラスに会う
「アリシア、平気か」
最近、クラージュ様は褒め言葉よりも先に、私の心を気遣ってくれるようになった。
「ええ、意外と。許せない気持ちはまだありますが、途中からは、本当に彼らを立ち直らせたいと思いました」
私の言葉に、クラージュ様は“ヨルカ”の時のような微笑みを向けてくれた。ここでは演技をしなくてもいいはずなのに、まだヨルカが抜けきっていないのかもしれない。
「よくやった。名を与えたのは、俺の想像を超えていた。あれも、最初から考えていたのか?」
「先ほど咄嗟に。クラージュ様が、“エル兄”が別の人だった可能性もある……とお話くださったから思いついたことです。クラージュ様のお陰です」
「そうか」と答えるクラージュ様の表情がふわりと綻ぶ。“ヨルカ”の時ですら見たことのない笑顔に、きゅっと胸が疼いた。もしかして、私を認めて下さったのだろうか。
そう思った矢先、クラージュ様は少しだけ顔を曇らせた。
「……お前を睨んで、悪かった。あれも必要な演出だったのだ」
「わかっております。本当に怖かったですけれど」
私は冗談めかして笑ってみせた。今日のクラージュ様は、いつになく感情を表に出している。私の心情を気にかけてくださっているのだろう。却って気恥ずかしく感じた。
「そういえば、内通者。いないようで良かったです」
私が話題を変えると、クラージュ様の表情が不意に引き締まる。
「ああ──そう思いたいところだが、実は気がかりなことがある」
「気がかり……ですか?」
「お前も聞いていたはずだ。11と18の密告の内容は、確かに計画にとって致命的なものだった。だが、その情報が俺の元には届かなかった」
「……直前だったからでは?」
「直前でもだ。せめて事後に、貧民からの密告であったと、報告が来ないのはおかしい」
私は思わず息を呑んだ。
「では……衛兵の中に、情報を遮った者が?」
「そう考えるのが自然だ」
クラージュ様の目に、鋭く冷たい光が宿る。
「ニコラスに会う」
✽
ニコラスさん。
父さんと親しかった、陽気で力持ちな兵士のおじさん。休みのたびにうちの店を訪れては、私とエル兄を無理やり外へ連れ出し、体力作りだと称して、坂道やら獣道やらを一緒に走らされた。
筋肉馬鹿だ、面倒くさいと文句を言いながらも、私はその時間が嫌いではなかった。
そして、あの日々のおかげで決起集会の夜、私は山道を逃げ延びることができたのだと思う。
けれど今は──その記憶に、ほんの少し翳りがさしていた。
『ニコラスに会う』
あのときのクラージュ様の声には、確かな緊張感があった。
私は、その名前を聞いた衝撃と、彼の纏う冷ややかな空気に、思わずそれ以上問い返すことができなかった。
そうして私たちは、マチルダさんにレオとアンドルーの療養を託し、再び王都の隠れ家に身を寄せながら、密かにニコラスさんを呼び出すことになった。
夜が更けた頃。隠れ家の仕掛けが外から解除されていく音がした。警戒を解かぬままクラージュ様が合図を送ると、一人の男が現れた。
「……お久しぶりです。クラージュ様」
現れた彼は、かつての馴れ馴れしさを感じさせることなく、低く一礼した。陽気な笑顔もなく、あの豪快な声も控えられている。
「ああ、遅い時間にすまないな」
クラージュ様が落ち着いた声で返すと、ニコラスさんは「いえ」とだけ答え、視線をこちらへ向けた。
「……アリシア様も、よくご無事で」
顔を見ただけで郷愁に駆られる。けれど丁寧な言葉遣いに壁を感じて、私はそっと俯いた。そもそも彼は、もしかすると──……。
そんな私たちの様子を見ていたクラージュ様が、静かに口を開いた。
「ニコラス、単刀直入に訊こう。……お前の部下はどんな様子だ」
「えっ、部下!?」
思わず、私は声を上げてしまった。
「ああ、そうだが……?」
クラージュ様が不思議そうな顔を向けてくる。それに私は慌てて問いかけた。
「ニコラスさんを、疑っているのでは!?」
その言葉に、ニコラスさんが「へっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「い、いやいやいや、俺っすか!? ちょっ、疑いって、何のですか!? 俺、何もしてません! 信じて下さい!!」
慌てふためくその姿に、私の知っているニコラスさんが垣間見えて、思わず肩の力が抜けた。
クラージュ様は、そんなニコラスさんをまっすぐに見据えたまま、少し呆れたように口を開く。
「ニコラスが内通者でないのはわかっている。そもそもニコラスがそうなら、アリシアを連れてくることはせんし、あの計画の裏に俺がいるのも露見していたはずだからな」
冷静に考えればそうだ。ニコラスさんという名前に動揺しすぎていた。私は恥ずかしくなって顔を伏せた。
「だが、衛兵に計画の密告があったにもかかわらず、最後まで密告者に関する情報が、俺の耳に届かなかったのが気になっている。各隊にお前の信頼できるものを置いているのだから、隊が違うというだけでは理由にならん。ニコラス自身に異変がないということは、お前に届く前に、情報がどこかで止められていたということだ」
「……ああ、そういう……」
ようやく事情を理解したのか、ニコラスさんは頭を掻いて息を吐いた。
「それなら、ひとり気になるやつがいます。下級貴族出身のゲイル・フォードって男なんですけど、最近急に出世してきて。やたらと顔が利くんですよ。
俺がイヴォン様の店に出入りしてたのは知ってるんで、もしかしたら警戒されてるかもしれないっすね」
クラージュ様はわずかに眉をひそめ、指で眉間を揉んだ。
「ならば、お前から情報を仕入れるのは暫く控えよう。ニコラスはそのゲイルという男を探ってくれるか?」
「わかりました。……イヴォン様の酒が無くなった今じゃ、部下の本音聞き出すのも、懐柔するのもかなり難しくなってきてますからね……。俺の方は暫く大人しくしておきます」
少し場が落ち着いたところで、ニコラスさんが私の方を振り返った。
「あ! アリシア、……様」
「ニコラスさん、“様”はいりません。どうか、今まで通りでお願いします」
そう返すと、ニコラスさんはほんの一瞬だけ口ごもり、それからふっと肩の力を抜いたように、いつもの調子で二カッと笑った。
「そうか、アリシア。お前が元気で、本当によかった。こっちでもエルネスト、できる限り探すから。一緒に頑張ろうな!」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。あの頃と変わらない笑顔に、涙と笑みが一緒にこぼれた。




