16.クラージュの過去③(三人称視点)
イヴォンの庇護下で過ごすクラージュのもとへ、次々と彼を支持する者たちが姿を見せ始めた。
王宮では常に孤独を感じていたクラージュだったが、実のところ、自らの周囲に密かに多くの味方が潜んでいたことを、このとき初めて知った。
だが彼ら一人ひとりには、クラージュを救い得るだけの力がなかった。ゆえに、口を噤み、時の到来をじっと待っていたのだ。
「殿下……我らは、ずっと見守っておりました」
そう口にしたのは、年配の文官だった。かつてクラージュが幼少の折に、学問を授けてくれた男である。
「決してお一人ではございません。貴方様こそ次代の王にふさわしいと、我々は常々考えておりました」
それに続くように、控えていた騎士団の男も深く頭を垂れた。
「恐れながら、我らも同じ思いにございます」
思いも寄らぬ者たちの言葉に、クラージュは言葉を失った。 胸の奥で、長く凍りついていた何かが、静かに、そして確かに、溶けてゆくのを感じていた。
ジルベールの陣営に集う者の多くは、金銭で釣られた者、あるいは弱みを握られ逆らえぬ者たち。そして王太子妃の実家筋である公爵家に連なる一門。父王をはじめとする“長男崇拝”の重臣たちもまた、そちらに与していた。
だが、ジルベール本人を心から支持する者は、意外にも少数だった。彼の立太子は、恐怖と損得で築かれた脆い均衡の上に立っている。裏切れば職を奪われ、報復を受ける。黙って従えば、地位と報酬が得られる。
誰もが「本心」を封じ、面子と利権のために生きている。
「……腐っているな」
クラージュがぽつりと呟くと、イヴォンが頷いた。
「はい。ゆえに、正す力が必要なのです」
そして彼は、言葉を選びながら告げた。
「初代国王陛下は、このような御言葉を遺されています──『王が暴君と化す日が来たならば、これを正す力が必要だ』と。
そのご遺志を継ぎ、我ら“影の一族”レジェ家は、この国を裏から見守ってまいりました。それは、王家に仕えるためではなく、王家が誤った道を進んだとき、それを“正す”ためです」
「正す……」
クラージュの目が細められる。
「ええ、殿下。元より王位継承権第二位の王子は、国を建て直すための、もう一つの柱であると初代国王陛下は定められておりました。
例えそれを廃されても、殿下こそが王にふさわしいと、私たちは信じております」
そう言って静かに微笑むイヴォンに、クラージュは自らの未来を託してみたくなった。
✽
夜の帳が王都を包む頃、クラージュは隠れ家の一室に集まった面々を前に、静かに口を開いた。
「……俺は、王を目指してもいいのだろうか」
一瞬の沈黙。誰かが、息を呑む音が聞こえた。
「奪われた名誉を取り戻すためではない。民を守り、国を変えるために……俺は、王になりたい」
その場にいた全員が、感極まったように膝をつき、頭を垂れた。
「クラージュ様の御心のままに。命の限り、お供いたします」
クラージュは、その顔ぶれを見渡す。胸の奥が、熱く満ちていくのを感じた。追放されたあの日には、想像すらできなかったことだ。己の真意を語れる者が、これほど傍にいたとは。
クラージュを王として擁立するにあたり、実際に革命を起こすのはイヴォンであるという。
自分はぬくぬくと安全地帯で見守るだけ──そんな役回りに、最初は到底納得がいかなかった。
だが「万が一にも命を落としてはならない」と、何度も何度も繰り返し説得され、結局は渋々ながら承諾するしかなかった。
ロイは時折ジルベールの元へ赴き、「クラージュは腑抜けになった」などと、さも嬉しそうに、彼がいかに無能であるかについて、虚偽報告を重ねていた。偽のクラージュも、表でわざとヤル気のない態度を周囲に見せつけていた。
少しずつ計画を積み上げていくなかで、クラージュとイヴォンの間には、次第に心を許し合う時間が生まれていった。
何度か酒を酌み交わすうちに、イヴォンは自然と自身の私生活を語るようになった。その大半は、娘の惚気話である。
「本ッ当に可愛いんですよ、うちの娘。賢くて、家族思いで……。この間なんか僕がちょっと怪我したからって、マチルダと一緒に薬作ってくれて。もう、言葉にできないくらい可愛いんです! あーもう、殿下にも見せびらかしたい!!」
その語り口は、いつになく饒舌だった。
あまりに楽しげに話すので、クラージュがからかうように言う。
「いいぞ、見せに来い。俺の婚約者候補なのだろう?」
するとイヴォンは、ぐいと杯を煽ったあと、ぷいと横を向いて拗ねたように呟いた。
「……僕のアリシアだから、まだダメですぅ〜」
その様子に、クラージュは思わず吹き出す。
冗談めいたやり取りの奥に、たしかに父としての深い情愛が滲んでいた。クラージュは、かつて自分が渇望していた“父”の姿を、目の前の男に重ねずにはいられなかった。
ある晩、クラージュはぽつりとこぼした。
「……お前は、父上よりも、よほど父らしい」
イヴォンは目を丸くし、それから気恥ずかしそうに笑った。
「え、ええと……ああ、22の時の子だとしたら……」
「年齢の話をしているんじゃない」
クラージュは、目を細めて言う。
「俺は本当はずっと、父とこういう関係を望んでいたのだと思う」
イヴォンは静かに、クラージュの言葉を受け容れた。それ以上、何も言わず、ただ酒を注ぎ足す仕草が温かかった。
「アリシアが俺の元に来れば、お前は俺の義父になるのか。悪くないな」
そう呟いたクラージュに、
「僕目当てですか!? ちゃんとアリシアを好きになってくれる男じゃないと、僕、許しませんからね!」
そうイヴォンは、ぷりぷりと怒ってみせるのだった。
いつしかクラージュは、まだ見ぬイヴォンの娘、アリシアという少女に思いを馳せるようになっていた。
どんな顔をしているのだろう。どんな声で笑い、どんな瞳で人を見るのだろう。
イヴォンの娘であれば、きっと優しく、賢く……。
誰よりも大切に育てられたに違いないその娘に、胸の奥にふと灯る興味と、淡い羨望。
ただし、それを自ら律する自覚も、同時にあった。
まだ見ぬ少女に心を傾けるには、あまりにも成すべきことが多すぎる。
王の器を問われるこの時期に、私情に溺れることなど、あってはならないのだから。
だがそれでも、彼女の存在を思うとき、クラージュの胸は不思議と静まった。いつか、その娘に顔向けできるような自分でありたい。
その微かな想いが、クラージュの密かな糧になっていた。




