【006】遺跡めぐりについて
「こちらの世界と『地球』の記憶が共有されたナミリさんであれば、この世界は科学が進んでいない代わりに魔力という概念が存在し、魔力を利用した魔導具が、電灯や調理器具といったあらゆる生活の場面で利用されていることはご存じですね?」
セキネ先生の問いかけに、おれはうなずいた。
先生の言う通り、この世界の人間には、生まれながらにして自然の力を魔力へと変換する能力が備わっている。
魔力の使い方は大きく二つに分けられる。ひとつは集めた魔力を直接放つ「魔法」。もうひとつは「魔導具」と呼ばれる道具に魔力を込め、その力を利用する方法だ。
魔法を得意とする者は、扱う自然現象によって「火の魔法使い」「水の魔法使い」といった呼ばれ方をする。
一方で、魔導具を駆使して治療を専門とする者は白魔導士、攻撃を得意とする者は黒魔導士、そして魔道具を作り出す者や、魔導具に魔力を込める職人は魔導技師などと呼ばれる。
細かく分ければきりがないのだが、それでも魔力を何らかの形で職業に活かせる者は、十人に一人いるかどうかといった割合だ。強力な魔力を扱える者なら、生涯安泰といってもいい。
もちろん、おれにはそんな力は備わっていないから、毎日羊の世話をして暮らしているわけだ。
そういえば――白魔導士、黒魔導士……。呼び名がどこか、日本のロールプレイングゲームを思わせる。
もしかすると、遥か昔、この世界と日本人の誰かが意識を共有してしまい、そのときの記憶をもとに、ロープレにちなんだ命名がなされたのかもしれない。
「魔力をどの程度扱えるかは、生まれつきの才能と、そこに積み重ねる修練によって決まります。しかし、多くの人はそもそも才能を持たず、魔力をうまく扱うことすらできません。
しかしながら、『地球』と意識を共有した者はその限りではありません。
この世界に現れる「地球の遺跡」へ立ち入ることができ、遺跡に所縁のある神や英雄の力に触れることで、その力を魔力や魔導の技として利用できるのです」
「そうすると……遺跡を巡れば、おれでも魔法が使えたり、魔導具をうまく扱えるようになったりするってことですか?」
半ば期待、半ば不信の念を込めて尋ねると、おれの戸惑いを見透かしたようにセキネ先生は静かにうなずく。
「そのように考えてもらって問題ありません。ただし、授かる力は誰にでも同じように与えられるわけではなく、その人が本来持っている資質――最も秀でた才能にちなんだものとなります」
先生はそこで言葉を切り、自らの胸に手を置いて続けた。
「私の場合は、『解析』や『鑑定』に関する力が与えられました。そして、カナミ君は魔力を弓に込め、より強力な矢を放つ力を得ています」
そうなると、おれに与えられるのは……羊を育てる才能? チーズを作る才能? どう考えても戦いや冒険では役に立たなさそうだ。
それに、村にはおれ以上に羊の世話やチーズ作りに長けた人間がいる。おれにとって牧畜やチーズ作りは、果たして「才能」と呼べるものなのだろうか。
そんな疑念が胸にわいたところで、セキネ先生が続けた。
「遺跡で得た力――つまり神や英雄から授かった力の最も驚くべき点は、その力が地球でも発現するということです。そしてさらに、神や英雄の力を受けた者の体には、地球側にも魔力が巡りはじめる。結果として、これまで治療不可能だったケガや病気すら回復していくのです。たとえば、完全に断裂した腱や神経が再びつながる、といった具合に」
セキネ先生のその言葉を聞いた瞬間、先ほどまで抱いていた疑問が、一気に答えへと結びついた。
「……それが、カナミの左手が回復するかもしれないって話に繋がるんですね」
セキネ先生の話は、要点が整理されていて実に分かりやすい。
だが、本当にそんなことがあり得るのだろうか。地球で魔力を扱えるようになったり、治らないはずのケガが治ったりするなんて。
もしそれが事実なら、とっくにテレビや動画サイト、新聞や雑誌で大々的に取り上げられているはずだ。
「そうは言っても、実際に体験してみなければ信じられないでしょう。この遺跡――アンコールワットは三つの回廊で構成されており、その中心にある建築物には像が収められているはずです。まずはそこを目指しましょう」
セキネ先生の言葉に、重厚な石造りの回廊を見上げる。幾重にも重なる回廊は圧倒的な存在感を放ち、荘厳な気配を漂わせていた。
少し間を置いてから、カナミが口を開いた。
「アンコールワットには、弓に所縁のある神様や英雄はいるの?」
おれたちの会話が一区切りつくのを待っていたかのように、カナミはセキネ先生へと問いかけた。
「はい。第一回廊の壁面に荘厳なレリーフが刻まれていましたよね。あれは『ラーマーヤナ』という叙事詩――英雄ラーマの物語を彫り込んだものです。ラーマは弓の使い手として知られており、彼自身はヒンドゥー教の三大神のひとり、ヴィシュヌ神の化身とも伝えられています。そして、ヴィシュヌやラーマが用いる弓は“シャーラガ”と呼ばれているのです」
カナミの目がぱっと輝く。
「それは期待大ね! 強力な弓の力を授かれたら……もしかしたら、そろそろ指が動かせるようになるかも」
彼女は左手をぎゅっと握りながら、小さな希望をにじませる。
セキネ先生はやさしく微笑み、「そうなればいいですね」と静かに返した。
左手が動かなくなるという大怪我を負いながらも、明るく前向きでいようとするカナミを見ていると、不思議とおれまで「自分も怪我から立ち直れるのではないか」と思えてくる。
さぁ、そろそろ進もう――そんな雰囲気になった矢先、セキネ先生はまだ語り足りないとばかりに口を開いた。
「実は、まだありますよ。ヒンドゥー教の三大神のひとり、シヴァ神にも「ピナーカ」という弓の伝承がありまして――」
「いや、長くなりそうですし……先に進みましょ」
カナミがそう言うと、セキネ先生はほんの少し不満げな表情を見せたが、おれは、あえて見ないふりをして歩き出す。
こうしておれたちは、アンコールワットの第三回廊へと足を進めた。