【057】東京の夜
ホテルに入る前に立ち寄ったコンビニで、カナミがこんなにも大量の酒を買い込んでいたとは思わなかった。並んでいるのはストロング系の酎ハイやハイボールばかりだ。
「さっき日本酒をたらふく飲んだんやから、チャンポンはやめとけ」
忠告もむなしく、カナミはコンビニで買った氷をグラスに山盛りにし、ハイボールを注ぐ。なみなみと満たしたグラスを二つ用意すると、その一つをおれに押し付けて乾杯してきた。
氷で薄まっているはずなのに、一口で強烈なアルコールの濃さが分かる。おれは慎重に口をつけるだけだが、カナミは豪快に半分近くを飲み干してしまう。
夜景を楽しむために、部屋の照明は落としている。
窓際の小さなテーブルに向かい合って座り、窓の向こうに見える東京タワーをじっと眺めながら無言の時が続く。もう真夜中だが東京の夜は明るく、おれたちの表情をほのかに照らし出してくれる。
「あっちの世界じゃ絶対に見れない景色やね」
そうやな、と頷き、そしてまた沈黙が続く。
いつの間にか彼女はベッドに腰を下ろし、おれとの距離を縮めていた。
「ナミリもこっち来てや」
普段なら冗談で流すところだが、この日は酔いも手伝って、自然な流れでおれもベッドに移動してカナミの隣に腰を下ろしていた。
少しの間はあちらの世界の話やこの前の学園祭の話しで盛り上がっていたが、やがてカナミは左手首の時計をうっとりと眺め、その手首をおれの目の前に捧げる。
「これ、めっちゃ嬉しいんやけど……」
喜んでもらってよかったわと言うと、その腕をそっとおれの右腕に絡めて寄りかかってきた。
静寂が二人を包む。
この流れなら、今日はきっと……。大人の夜を想像すると、かなり酔っているおれの頭が急に目が冴えてきた。
右腕を自分側に引き寄せるとカナミの座り姿勢が崩れ、こちら側に倒れ込む。
少し驚いた声が漏れたていたが、抵抗することなく彼女はおれに体を預け、頭をそっと右肩に添えた。
長い沈黙が続く。おれは窓の外で輝く夜景をじっと見つめていた。
(この後どうしたらいいんやろ……)
もしかしたら、同じことをカナミも考えているのかもしれない。そんなことを考えていると、ただただ時間が過ぎ、部屋に沈黙が漂う。ふと気が付くと右腕を抱えていたカナミの左腕に、ギュッと力が加わっていた。
おれは自然に、彼女の首筋に手をあてこちら側へと力を加える。抵抗はなく、むしろこちら側へと力を感じ、お互いの口が重なる……。
翌朝、目を覚ますとカナミは先に起きてシャワーを済ませていた。おれが目ざめたことに気付いた彼女は、そっと近づき両腕をおれの首筋に絡める。
「おはよう。もう起きてたんや」
そう言って、カナミの肩を抱き寄せると、しばらくの間じっとしてから「はよ、シャワー浴びてきいや」とつぶやき、立ち上がる。
化粧をはじめるカナミの後ろを通り、バスルームへと向かった。
ホテルで朝食をとり、チェックアウトを済ませる。まず東京タワーの展望台から東京を一望した後、昼食は月島に移動してもんじゃ焼きを楽しむ。もちろん、昼にもかかわらずビールもしっかりいただいた。昼食後は上野に移動して、博物館や美術館を巡った。
旅の最後にもう一度、ポールさんの店へと立ち寄った。明日、帰る前に絶対に顔を見せてくださいと言われていたからだ。
店に入ると、ポールさんは、おれたちに帰りの弁当を手渡してくれる。
「帰りの新幹線で食べてください。あちらの世界で毎日会えるんですが、やはりこちら側で会うのとは違いますね」
「そうですね。毎日会ってるのに感動しちゃいますね」
少しの間、雑談していたが、ポールさんは仕事中で、おれたちもそろそろ帰る時間だ。
またすぐ来ますね!と別れを惜しみつつ店を出た。
東京駅から新幹線に乗り込み、缶ビールを片手にさっそく弁当の封を開けると、その中身はふんだんに高級食材が使われた、デパートで買えば何千円とするであろう驚きの内容だった。しかも、よく食べるおれ達に合わせてボリュームも満点だ。
「また、ポールさんのお店に行かなあかんなぁ」
しばらく二人で次の東京旅行について盛り上がっていたが、よっぽど疲れていたのか静岡あたりで眠りについてしまったカナミを京都駅で叩き起こし、大急ぎで別れた。
おれは新大阪駅までのわずかな時間で、カナミに旅行を企画してくれたことへのお礼をメッセージにしたためて送信し、カナミから変なウサギの「くるしゅうない!」というスタンプを受け取り帰路についた。
* *
食堂では、向かいの席に座ったカナミが、じっとりとした目でこちらを見つめている。
「ねぇ、ナミリ。ガラパゴス諸島の途中くらいから、私に冷たかったよね。私、何かした?」
「いや、そんなことないよ……」
まさか、地球側のあなたと一夜を供にしたせいで気まずかったんです。と言うわけにはいかず、言葉を濁すと、さらにテーブルに突っ伏してじとっとした目でこちらを見つめ続ける。
そんなカナミの様子などお構いなく、同じテーブルで席につくクロスフォードさんが仕事の話を続ける。
「病院に仕立て屋、鍛冶屋がそろい、宿も無事に開店しました。隣接する浴場はもう少し時間がかかりますが、村の敷地も広がり、移住を望む人々もちらほら訪れるようになってきています。特に西のヤームシュタット領からの移住希望が目立ち、移住希望者に話を聞くと、ヤームシュタット男爵の専横がひどく、領民への抑圧も相当なものらしいのです」
「領主様がひどい人なら、逃げてきて正解じゃない」
カナミは、まだテーブルに突っ伏したままの状態で話し続けている。おれがちゃんとした回答を用意できるまではずっとこのパフォーマンスを続けるのだろうか。たった二歳違うだけでこうもお子様になるものだろうか。
「もしかして、ヤームシュタット男爵からクレームが来るとか……」
「ええ、一番の懸念はその点にあります。ホルフィーナ王国では国民の居住地の自由を認めていますが、古くからの貴族には、領民を私財だと思っている者も少なくないですからね」
いつ、どこの世界にも嫌な奴ってのはいるからな。クロスフォードさんがそこまで言うからには、かなり高い確率で事は起こるのだろう。ガイモン達に警備を強化するよう伝えておくことにしよう。
数日後、想定のかなり下を行く嫌がらせで、ヤームシュタット領の動きが筒抜けとなった。今時、ごろつきに扮したヤームシュタット領の人間に街のあちこちで問題を起こさせ、エムセルの悪評を喧伝しようといった、漫画や小説で使い古された手段で仕掛けてこようとは誰も思っていなかった。
こともあろうに、食堂で食事中の女の子達にウザ絡みし、酌をしろだの、この後一緒に宿に来いと誘ったりと、古典的手段のオンパレードだ。聞いているこっちが恥ずかしくなる。
ごろつき達がそのなかの一人の金髪の美少女に滅多打ちにされたところで、この古典的な喜劇は完結する。
エピローグは、おれの『観察』の力で、ごろつき達の特技や実力をことごとく言い当て、最後に「どうですか? ヤームシュタット領の皆さん」とカマをかけてフィナーレを迎える。
「言質も取れましたし、やり返しますか?」
ミランダ様から拝領したユキヒラの名刀をごろつき達の目の前でちらつかせながらそう言ったエレンをクロスフォードさんがなだめる。
「王国内での争いは両成敗です。武力での報復はやめてください」
まあ、そうだよねとため息をついたエレンに、騒ぎを聞きつけて食堂に駆け付けていた鍛冶師のドワイトさんが近づくと、ユキヒラの名刀を手に取り、この騒ぎはそっちのけで刀剣談義に夢中となった。
おれはふと、ヤームシュタットがそれと分からぬように仕掛けて来るのだから、こちらもゴードウィンと分からぬように仕返しをすればいいんじゃないか、そしてそれに相応しい力があることを思い出した。




