【053】若き日のダーウィン
ガレオンの甲板に足を踏み入れると、昨日とは打って変わった晴れやかな笑顔のレイモンドさんとシャオメイさんが迎えてくれた。キャラベルよりも一段と高い甲板の縁からは、広々とした海原が望め、緩やかな波の彼方にフェルナンディナ島が淡く浮かんでいた。
「シャオメイさんには、神や偉人の居場所が分かると伺いましたが……本当ですか?」
問いかけに、彼女は静かに頷き、自らの体験を語り始めた。
――清の都・北京に暮らしていたシャオメイは、病に伏して意識を失った折、目覚めた時にはこの世界の自分と意識が重なり合っていた。こちらの世界のシャオメイは、南の大陸で小麦や大麦を育てる農家の娘として生まれた。ある日、農地の果てに、これまで見たこともない建物が現れた。砂色の街並みに無数の尖塔が林立する、不思議な光景だった。人影のない街をさまよっていると、一人の男性と出会う。ディオゴと名乗るその人は、この幻の街で神か偉人を探しているという。シャオメイは彼の後に従い、ともに探索を続けた。そしてついに現れたのは、イブン・バットゥータと名乗る偉人であり、彼はシャオメイに『探索』の力を授けてくれたのだった。
「イブン・バットゥータは、十四世紀にイスラム世界からアフリカ、インド、そして中国にまで足を延ばした偉大な探検家です。その数十年に及ぶ旅の記録は後世に受け継がれ、当時の世界を知る貴重な手掛かりとなっています」
セキネ先生がさりげなく解説してくれる。
「『探索』の力は、望むものが近くにあれば見つけ出せる力です。この力で、幻の建物や、私たちと同じように二つの世界を行き来する者を見つけました」
「シャオメイに声を掛けられたときは、本当に驚いたものだ」
東郷さんは当時を思い出し、笑みを浮かべる。
「北の大陸へ向かう途上で、幻の建物の気配を探知してくれたのもシャオメイの力だ」
レイモンドさんは両腕を大きく広げ、その巨体をさらに大きく見せながら驚きを表現する。彼が仲間に加わったのはまだ最近であり、ガラパゴス諸島こそが彼にとって初めて出会った異世界の遺産だった。
「そして、いざ偉人と出会おうというその時に、二人そろって病に倒れてしまったのさ」
ディオゴさんは二人の肩を軽く叩き、呆れたようにため息をついた。もっとも、それも二人が無事だったからこそ言える冗談である。
フェルナンディナ島へ向かう船上で、おれたちは互いに情報を交わし、遺跡について知る限りを共有した。ディオゴさん達も、遺跡で得た力が、もう一方の世界の自分たちにも影響を及ぼしていることには薄々気づいていた。しかし、悪魔やモンスターを討伐することで次の遺跡が現れるという話には、大きな衝撃を受けた。
さらに、ベルトウィンさんやエレン、ミレーユ、それにサラスには本来あちらの世界との接点がなく、そのつながりをおれの力で作り出しているのだと説明すると、四人は「そんなことがあり得るのか」と顔を見合わせ、言葉を失った。
一方、ディオゴさんの話では、神や偉人は力と共に、魔道具のような不思議な神器を授けてくれることもあるという。そして彼は、そのひとつを見せてくれた。
「これはギリシャ神話の神、ヘルメスから授かった神器です。ナミリ殿、試しにこの神器に魔力を込めてみてください」
差し出されたのは翼の生えたサンダル……らしきものだった。デザインは正直、微妙だなと思いつつも、言われるままに魔力を注ぎ込む。すると、サンダルからゴルフボールほどの大きさの玉がふわりと現れた。
「その玉を身に着けたまま、しばらく待っていてください」
そう告げるとディオゴさんは席を立ち、どこかへ姿を消した。やがて、不意に脳裏へ声が響く。
『ナミリ殿、声は届いていますか?』
驚いて辺りを見回すが、彼の姿はどこにもない。
『そのまま私を意識し、頭の中で言葉を返してみてください』
『えぇっと……ディオゴさん、聞こえますか?』
『ええ、はっきりと。これは神と人とをつなぐ力――ヘルメス様の力です。サンダルから生み出されたこの玉を持つ者同士なら、魔力さえあれば、いつでも会話できるのです』
まるで電話のような力だ。これは実に便利だ。ちなみにサンダルは、かなり古くからある言葉で、古代ギリシア語でサンダロンと呼ばれていたそうだ。
おれたちはさっそく「ヘルメスの玉」を作り、いつでも会話できるよう備えておいた。ただ、魔力に不慣れなマクセンさんだけは、玉を作るのに一時間近くもかかってしまったがミレーユとサラスが親身にサポートしていたからどこか嬉しそうだった。
(そういえば、カナミの弓も那須与一から授かった神器だったはず。いまは普通に弓として使っているけど、もしかするとまだ秘められた力があるのでは……)
そんな思いにふけっていると、ディオゴさんが船を停め、島に到着したと告げてきた。
フェルナンディナ島は山がひとつだけの島で、複数の火山に覆われたイサベラ島に比べるとずっと小さい。セキネ先生によれば、現代でも手つかずの自然が残り、その唯一の山――ラ・クンブラ火山は今なお活発で、頻繁に噴火を繰り返しているという。
「ま、まさか今ドカンと噴火したりはしませんよね?」
不安げに問うミレーユに、セキネ先生は落ち着いた口調で答えた。
「この火山は爆発的に噴き上がるタイプではなく、溶岩がゆるやかに流れ出す火山です。ですから、近づかなければ危険はありませんよ」
「でも……今、近くにいるんですよね」
サラスのつぶやきに、場が一瞬しんと静まり返った。
海岸は緑が乏しく、黒々とした岩肌が目立ち、ところどころにウミイグアナやガラパゴスアシカの姿が見られた。シャオメイさんによれば、ここから三十分ほど歩けば偉人の気配にたどり着けるという。
「そういえば、今回の旅ではモンスターに一度も出会わなかったね」
「ここはガラパゴス諸島だから、他の生き物はたどり着けないんじゃないかな」
カナミとポールさんのやり取りに耳を傾け、なるほど、と感心する。外界から隔絶された島に異なる生態系が存在しないのも道理だった。
岩と火山性の土に覆われた大地は歩きにくく、やがてミレーユやサラス、そしてシャオメイさんの顔に疲労の色がにじみ始めた。その時、遠くに一人の男性の姿が見えた。背はやや高く、がっしりとした体格。栗色の髪と髭を蓄えた、西洋風の青年であった。
「あの人がダーウィン? ちょっとイメージと違うんだけど」
「確かに……私も少し面食らっています」
カナミとセキネ先生の言葉が耳に届いたのか、青年がこちらに気づいた。
『おや、これは今までにない大人数ではないか! こちらの世界の人間が何度か来たが、これ程の人数とは驚いたぞ!』
栗色の髪をなびかせた青年が、軽やかな足取りで近づいてくる。
「失礼ですが……あなたはチャールズ・ダーウィン様でしょうか?」
『その通り! どうせ白髭の老人を想像していただろう!』
豪快に笑い声を上げながら一団に加わり、セキネ先生の肩をポンと叩く。その仕草はどこか人懐っこく、教科書に載っていた威厳ある白髭の老人像とはまるで別人だった。
「そういえば……失念しておりましたが、ダーウィン様がガラパゴス諸島を訪れたのは、確か二十代の頃でしたね」
『おお、詳しい人間がいるようだな。ところで、あんたは西暦何年の人間だ?』
「1997年です」
セキネ先生が答えると、ダーウィンは目を輝かせ、手をポンと叩いた。
『未来の人間か! それは面白い! 未来の人間は大歓迎だ!』
そう言うと、ダーウィンはその場にどっかりと腰を下ろした。好奇心そのものといった様子に押されるように、おれたちも輪になって座り、会話を続けることにする。
ダーウィンはまず、おれたち全員に向かって、あちらの世界でいつの時代を生きているのかを次々と尋ねていった。そしてセキネ先生より過去に生きていた者や、こちらの世界の人間には「しばらく離れていてほしい」と促した。
『すまないな。未来のことを知っても、いいことは何もないのだ』
そうして場を整えると、本題が始まった。そこからが長い。ダーウィンと話し続けて、すでに八時間。途中でポールさんが腕を振るった料理を挟みながら、ダーウィンの問いにセキネ先生はひたすら答え続けていた。驚いたのは、ダーウィン自身も『これは旨いな!』と目を輝かせ、料理を一緒に楽しんでいたことだ。これまで出会った神や偉人たちにも、捧げものを用意しておくべきだったのかもしれない。
セキネ先生の知識の深さゆえに、ダーウィンとの会話は次々と広がり、途切れる気配を見せない。皆が顔を見合わせ、これはまだまだ続くぞと覚悟を決めたのだった。




