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世界遺産は異世界に  作者: 石太郎
第2章 エムセブルグ開拓記
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【052】一之太刀

 淡い光が消えると、二人はゆっくりと身を起こした。病は癒えたものの、長く食事をとれなかったせいで体力は著しく落ちており、手足に力が入らず、まともに立ち上がることすらできない。


「今は栄養が不足しているだけです。体の機能は回復していますから、食事を取ればすぐに元通り動けるようになりますよ」


東郷さんとディオゴさんは互いに目を見合わせ、やがてそろってこちらに視線を向けた。


「ナミリ殿……あなたは実に素晴らしい力をお持ちだ。きっと偉大な神の加護を受けておられるのでしょう」


ヒンドゥー教三柱神の加護をもれなく受けております――などと口が裂けても言えず、苦笑いで返すしかなかった。



 しばらくすると、ポールさんが二人のために用意した料理が運ばれてきた。骨付き鶏肉とたっぷりの野菜をじっくり煮込んだ滋養豊かなポトフ風スープで、にんにくと生姜の香りが立ちのぼり、体を芯から温めてくれる。病み上がりの体力回復にはこれ以上ない一品だった。


黒人の男性はレイモンドと名乗り、アメリカ生まれで1930年代を生きているという。当時アメリカで大流行していたジャズのトランペット奏者でもあった。


もう一人の女性はシャオメイ(曉美)。清の康熙帝の時代に生きていたと語るが、おれには歴史の知識が足りず見当もつかない。セキネ先生の推測によれば、おそらく1700年頃だろうとのことだった。


二人には今日一日ゆっくり休んでもらうことにし、おれたちは東郷さんとディオゴさんを入り江に招き、海辺で食事を共にすることにした。



 「それでは、南の大陸ではコレラが大流行しているのですか?」


セキネ先生の問いに、東郷さんが静かにうなずいた。彼やディオゴさんの話によれば、昨年の暮れから激しい下痢と嘔吐を繰り返す病人が現れ、病は瞬く間に広がっていったという。東郷さんは、開国の折に耳にした「コロリ」の話を思い出し、これこそがそれだと直感。その恐ろしさを知っていたからこそ、南の大陸を離れる決意をしたのだった。


ホルフィーナ王国は南の大陸と交易を続けている。コレラがいずれ上陸するのは時間の問題だろう。もしサウスポートやミルフォードで流行すれば、おれの魔力だけでは到底手に負えない。街の人々の顔が脳裏に浮かび、胸が締めつけられる。


「……それって、あいつの仕業じゃない?」


カナミが小声で、おれにだけ聞こえるようにつぶやいた。あいつ――生物兵器を研究する悪魔、クラウゼのことだ。


「どうだろうな。あいつなら自ら細菌兵器をばらまきかねないが……今回『慈悲の力』で治療した感覚では、呪いのような力は感じなかった。単なる病気のように思えるんだ」


おれとカナミがそんな辛気臭い話をしていたとき、不意に東郷さんがあるものに気づいたように目を細め、ベルトウィンさんの元へと歩み寄った。


「失礼ながら……その刀、日ノ本の刀ではございませんか?」


ベルトウィンさんは少し驚いたようだが、すぐに腰に帯びていた刀を抜いて東郷さんへと手渡した。


「いかにも。どうぞ手に取ってご覧ください」


東郷さんは柄を握り、刃をそっと確かめると、思わず息をのむ。


「……これは見事な業物。こちらの世界では手に入らず、やむなく西洋の剣を佩いておりましたが、この世で日本刀を目にできるとは……」


その感慨に浸る姿を見て、ようやくベルトウィンさんに日本刀の話をしようと思い至った。


「ベルトウィンさん、実はその日本刀は……あちらの世界で、おれたちの国が生み出した刀なんです」


日本刀についてこれまで説明していなかったことを詫びつつ、あちらの世界における日本という国について簡単に紹介した。


「これは、私の師の刀を模して、鍛冶師に無理を言って作らせたものです」


「少し気になっていたのですが……そのお師匠様のお名前は?」


セキネ先生の問いに、ベルトウィンさんは誇らしげに答えた。

「私の師は、ボクデンと申します」


おれとカナミは「ずいぶん変わった名前だな」と思っただけだったが、セキネ先生と東郷さんの表情が一変する。驚愕を隠しきれず、食い気味に問い返した。


「もしや……塚原卜伝のことでは?」


その名を聞いた瞬間、今度はベルトウィンさんが驚きに立ち上がる。


「師を……ご存知なのですか?」


セキネ先生がうなずき、おれたちに説明してくれる。


「塚原卜伝は、戦国時代の剣豪で、のちに“剣聖”と称えられる人物です。鹿島新當流を興し、生涯に一度も刀傷を負わず数多の実戦を勝ち抜いたと伝わっています。室町幕府の将軍、足利義輝にも剣を指南し、日本の剣術史に大きな足跡を残した方ですよ」


「そうなんだ。ホルフィーナ王国の剣聖のお師匠様は、日本の剣聖だったんだね」


カナミの何気ない一言に、東郷さんの目の色が鋭く変わった。


「ホルフィーナの剣聖……。不躾ながらお願いしたい。ベルトウィン殿、一手ご指南願えますか!」


突然の申し出に、ベルトウィンさんは一瞬だけ困惑の表情を浮かべた。しかし、師の故郷の剣士からの挑みを断る理由はないと決意し、おれに稽古用の木刀を出すよう告げる。


アイテムボックスから取り出した木刀を二人に手渡すと、緊張感に包まれる中、立ち合いが始まる。いつの間にかエレンが身を乗り出し、食い入るように二人の戦いを見守っている。


浜辺に緊張が走る。東郷さんは木刀を高々と頭上に掲げ、全身を震わせるような気合とともに、初太刀必殺の一撃へと力を込めた。


「チェエイッ!」


大地を割るかのような踏み込みとともに、木刀が一直線に振り下ろされる。剛剣――その気迫は見物する者すべての胸を打ち震わせた。


だが次の瞬間、ベルトウィンさんの姿が霞のように横へ流れる。東郷さんの木刀は空を切り、その隙を逃さず放たれた木刀が、迷いなく東郷さんの面を打ち抜かんと迫る。


……しかし刃先は額の前でわずか数ミリの隙間を残し、ピタリと止まった。


「これこそ、師より授かった奥義――『一之太刀』です」


静かに告げられた言葉に、場の空気が震える。東郷さんはその場に跪き、地に額をつけて深々と礼を捧げた。


「幻の奥義と伝えられた『一之太刀』を、こうして立ち合いで体験できたこと……この東郷、剣客として生涯の誉と致します」


「東郷殿の初太刀もまた見事でした。これまで幾度も立ち合いましたが、あれほどの気迫に満ちた初撃は初めてです」


互いに称え合う二人の姿に、エレンが一歩前に出て笑みを浮かべた。


「お二人とも、本当に見事でした」


だが剣を志す者同士の話は、いつ終わるとも知れない。おれたちはそっとその輪を離れ、ディオゴさんを囲んで航海の話に耳を傾けることにした。



 翌日、エレンは東郷さんの腰に下がる刀を、羨ましそうにじっと見つめていた。そこに収まっているのは、彼の腕を認めたベルトウィンさんが譲り渡した日本刀だ。刀はいずれ折れるものと心得て、常に数振りを持ち歩くベルトウィンさんだが、エレンはいまだ一本も譲り受けたことがない。


「まぁ、エレンも腕を上げれば、そのうち日本刀を貰えるんじゃないかな」


軽口を叩いたその瞬間、エレンに関節を極められ、おれは苦悶の声を上げる。慌ててカナミとサラスが間に入ってエレンをなだめるが、エレンはなかなか手を緩めてくれなかった。


その頃、マクセンさんはキャラベルに戻り、残ったおれたちはディオゴさんのガレオンに乗り込む。ディオゴさんの仲間のシャオメイには偉人の居場所を『探索』する力があり、西のフェルナンディナ島から気配を感じるという。その言葉に従い、一行は二隻の船を島へと進めた。


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