【049】海の男たち
ティーチアス家はウィッチロード家に仕える下級貴族であり、その一族のひとりがミレーユ・ティーチアスだ。彼女が紹介しようとしている白魔導士は、従弟にあたるクリス・ティーチアスである。
クリスは二十四歳。白魔導士としての才覚は同年代の中でも群を抜いているが、ウィッチロード家に出仕することも、医院に勤めることもきっぱりと拒んできた。
彼が心血を注いでいるのは、剣でも魔法でもなく、ただひたすら机に向かって文字を綴ること。夜明けまで執筆に没頭し、昼は山のような書物を読み漁る――文筆家になる夢だけが、彼を動かしていた。
「勤めに出れば執筆の時間が削られる」と断言し、安定した将来を顧みるよりも、紙とインクに人生を賭ける奇人ぶり。時に閃いた物語を誰彼かまわず語り出し、聞かされる側を困惑させることも珍しくない。
その奔放さに手を焼いたクリスの両親は、ついにはミレーユの両親へと度々相談を持ちかけているのだった。
「ただ、最近はさすがにこのままじゃ不味いと思って、執筆活動を続けつつ副業で白魔導士の仕事を探してるみたいで……。副業って言っても本業はほとんど稼げていないんですけどね」
ここまで聞いて、話の筋が読めた。おれがエムセルにいる間は、執筆活動を認めることを条件にエムセルで働いてもらえばいいってことだな。
「そうなんですけど、それじゃダメですか?」
「いや、ウィッチロード家の優秀な白魔導士が村にいてくれるだけでありがたいよ。早速、話を進めてもらってもいいかな?」
満面の笑顔で、引きこもりの従妹を引き取ってくれることへの感謝を述べるミレーユに、他には聞こえないように言葉を追加する。
「エムセルに来れば、異世界の書物が読めるって書いておいてくれ」
不思議なことに、暇つぶしにとあちら側の本を持ち込んだのだが、ミレーユやサラスにも読めるみたいで、この世界ではすべての言語が統一されるようだ。
エムセルに病院を開業する件はひと段落し、話題は再びアイリちゃん一家へと移った。彼らはすでに故郷の宿を手放しており、帰る家を持たない身の上だ。人当たりのよさそうな家族だけに、なんとか力になれないかと考えたおれは、ふとウッドウィンに声をかけた。
「この村の宿の従業員は、もう集まったのか?」
商売人のウッドウィンはすぐに意図を察し、おれの背を軽く叩いて笑う。
「ナミリ、それはいい案だ」
そう言うと、早速アイリちゃんの父親に、エムセルの宿で住み込みで働かないかと提案した。
「願ってもないことですが……本当に、よろしいのでしょうか。アイリの病を治していただいただけでなく、職と住まいまでご用意いただけるなんて……」
両親は恐縮しきりだったが、その横でアイリちゃんが元気よく口を開いた。
「わたし、この村に住みたい!」
そう言って、ちらりとこちらに視線を寄越す。
(……まさか『慈悲の力』の影響じゃないだろうな?)
背筋に冷たい風が吹き抜けるような、なんとも嫌な予感がした。もっとも、アイリちゃん一家にとっては、娘がそこまで言い切るのは珍しいことだったらしい。その一言が決め手となり、一家はこの村で暮らす決意を固めてくれた。
翌朝、会計監査官のロゼウィンさんがエムセブルグへと帰っていった。帰る直前、アイリちゃんの治療費として受け取った金貨十枚から、きっちり三枚を徴収し、そのうち半分をエムセルの予算に残し、残りを本領に持ち帰ったのは、さすがと言うほかない仕事ぶりだった。
そして、ロゼウィンさんと入れ替わるように一通の手紙が届き、その内容におれとベルトウィンさんは思わず顔を見合わせる。
「マクセンさんからの手紙です。……明日の昼にはエムフィビレ沖に到着する、と。水と食料の準備は整っていて、いつでも出航できるそうです」
セキネ先生がコーヒーを吹き出し、仕込みの手を動かしていたポールさんの包丁がピタリと止まった。
「いきなり明日ですか?! 私は大丈夫ですが……ナミリ君は準備できるんですか?」
「……たぶん、大丈夫じゃないです。今からクロスフォードさんに、めちゃくちゃ怒られてきます……」
案の定、その後三十分ほど「エムセルの仕事もきちんとこなしてください」と小言を浴びせられる羽目になった。
それでもなんとか旅の了承を取り付けたおれたちは、午後にはエムフィビレへと出発した。
エムフィビレに到着すると、マリヌスさんが真っ先に出迎えてくれた。
「いきなりキャラベルが沖に現れたものですから、村では海賊だと大騒ぎでしたよ。けれど、上陸した船員の話では「ナミリさんを迎えに来た」とのことでして……今はもう村をあげての歓迎になっています」
そう説明しながら案内された海岸では、マクセンさんたちが村人と肩を並べ、魚を肴に酒を酌み交わしていた。樽を囲んで笑い声が絶えず、波打ち際まで賑やかな歌声が響き渡っている。
おれたちに気づいたマクセンさんが大きく手を振る。すると、それに呼応するように船員や村人たちも一斉に歓声を上げた。
「村の皆さんから聞いたぞ! ナミリさんたちは、ここでも大活躍だったそうじゃないか!」
そう言いながら近寄ってきたマクセンさんは、カナミと軽快にハイタッチを交わし、そのまま当然のように輪の中へ加わってくる。
ベルトウィンさんが「いくらなんでも急すぎる」と苦言を呈すると、彼は悪びれるどころか胸を張って答えた。
「手紙なんかより、船のほうが早いですから」
この日は、エムフィビレの村人たちの厚意に甘え、もてなしを受けることにした。村人とマクセンさん率いる船乗りたちは、海の男同士らしくすぐに意気投合し、笑い声と酒の香りが夜風に広がっていく。
さらに今回は、カナミに加えてエレン、ミレーユ、サラスといった“華”の面々も顔をそろえている。場は自然と華やぎ、男たちの盛り上がりは一層熱を帯びていった。
セキネ先生はどうやら海の男たちのノリが少し苦手らしく、村のご婦人方と穏やかに談笑している。一方、ポールさんは手際よく料理の手伝いに回り、村の台所でもすっかり人気者になっていた。
そんな中、村人たちの耳目を最も集めたのは、この国でも名の知れた剣聖ベルトウィンさんである。噂に名高い剣聖の武勇譚を聞こうと、男たちが次々と集まってくる。しかし、当の本人は物静かに酒を口にするばかりで、その隣でマクセンさんが得意げに剣聖の活躍を声高に語り立てていた。
やがて話題は自然とベルトウィンさんの過去の武勇伝からミルフォードの戦いへと移り、特にマクセンさんがカナミと共にアークジェネラルを討ち取ったくだりには力がこもる。歓声が上がるたびに「嬢ちゃん、すげえな!」と持ち上げられるカナミは、輪の中でご機嫌に杯をあおっていた。
おれはといえば、ミルフォード穀倉地帯での働きやアークロードを討ち取った話が出るたびに、村人や船乗りたちから大きな喝采を浴びていた。胸の奥では誇らしさが湧き上がる一方で、顔が少し熱くなるような照れくささも拭えない。それでも悪い気はせず、勧められるまま杯を重ねてしまっていた。
「今日のような楽しい夜を迎えることができるのも、すべてナミリさんのおかげです。いくら感謝してもしきれませんね」
焚火の赤い炎が夜風に揺らめき、マリヌスさんの横顔を柔らかく照らし出す。薪がパチパチと弾ける音に混じり、マリヌスさんは目を細め、感慨深げにつぶやいた。
(少しでもこんな人たちを増やせるならエムセルで病院を開業するのも悪くないかもな……)
白魔導士ナミリとして、病に苦しむ人たちを救いたいと本心から思い、村に戻ったら本格的に治療活動を始めよう。
翌朝、村人総出で見送りを受けたおれたちはエムフィビレの村を出航する。そしておれはと言うと、エムセルに戻るまでもなく、野戦病院と化したキャラベルの船上で治療活動を行う。もちろん病名は船酔いと二日酔いだ……。




