【048】白魔導士ナミリ
今日はエムセブルグの会計監査官ロゼウィンさんが、三か月に一度の巡回でエムセルを訪れていた。彼の務めは領内の各村を回り、徴税と役人たちへの俸給の支払いを行うことだ。
畜産を主産業とするエムセルの村は、どうしても税収が少ない。家畜や農作物からの収穫はまず自分たちの生活に回され、余った分だけをエムセブルグに卸すことで、ようやく貨幣を得ている。その貨幣の三割が税として徴収される仕組みだ。
もっとも、正確な「利益」を算出することは難しい。会計監査官ですら全容を把握できず、納税者自身も自分の利益を正確には把握していない。結局、牧場の規模や農地の面積といった目に見える指標から、推定で税額が決められているのが実情だった。
「今期の税収は金貨九十枚。その半分を、エムセルの次の三か月の予算としてお納めください」
予算として割り当てられた金貨は四十五枚──日本円に換算すれば約四百五十万円。その五パーセントが総督であるおれの給料となる。つまり、手取りは二十二万五千円。
「……初任給くらいか。でも三か月分だから、月給に直すと……」
思わずため息が漏れる。あちら側でバイトして、『交易の門』を使い円を銀貨に変えたほうが効率がいいかもしれない、と頭をよぎった。
なお、役人として雇われているセキネ先生とカナミには、それぞれ金貨三枚が支給される。……おれより高給取りじゃないか……。衛兵の三人には一人あたり金貨二枚。衣食住は福利厚生でまかなっているとはいえ、やはり、もう少し収入を増やす手立てを考えたいところだ。
「ロゼウィンさんも、皆さんもお疲れでしょう。食事を用意していますので、一階へどうぞ」
会計監査官ロゼウィンさんへのささやかなおもてなしとして、ポールさんが腕を振るってくれることになった。彼の収入は、食堂の利益からおれたちのまかない分を差し引いた額だが──この店は旅人たちに評判となり、いまや人気の食堂へと成長している。そのため手取りは月に金貨四枚ほど。数字だけ見ても、かなりの稼ぎだと言えるだろう。
(おれの四倍か……)
「やっぱり、手に職をつけないとダメだなぁ」
思わず漏れたぼやきに、カナミがポンッとおれの肩を叩き、フッと笑った。
ロゼウィンさんの旅の労をねぎらいながら、皆で食事を楽しんでいたその最中、食堂の扉が静かに開き、ロミが入ってきた。少し遠慮がちな顔つきで、こちらに歩み寄る。
「ナミリ総督にお会いしたいという旅の家族が来ておりますが……。かなり深刻そうな面持ちで、おそらく病人がいるかと……」
場の空気が一瞬張り詰め、おれは手にしていたグラスをそっと置いた。カナミもポールさんも──おそらく同じことを考えているに違いない。クラウゼの細菌兵器……。まさか、この近辺で再び動き出しているのではないか。そんな不安を抱えながら、おれは訪ねてきた家族と面会する。
「……これは、ひどい皮膚病ですね」
様子を見ていたセキネ先生が、低く唸るように言った。現れたのは三人家族。娘は十五歳ほどだろうか。体を覆う布の隙間から覗く肌は、赤黒くただれ、所々が膿んでいる。目を背けたくなるほどの痛々しい姿だった。
「ナミリ様ですね……。エムフィビレでのご活躍を耳にし、もしかすれば娘の病も癒していただけるのではないかと……藁にもすがる思いで参りました」
必死に頭を下げる父親の声は震えていた。隣に立つ母親は、堪えきれずに肩を揺らし、涙を流している。
「ミランダ様お抱えの白魔導士、ナミリ様……治療費はいくらかかっても構いません。どうか娘をお救いください」
そう言って差し出された小袋には、金貨がぎっしりと詰まっていた。家族の必死さが一目で伝わってくる。
「ちょっ……これは多すぎます。お金のことは後でいいので、まずは治療してみましょう。どうかお待ちください」
小袋を押し戻しながら、おれは娘に向き直り、静かに手をかざす。次の瞬間、『慈悲の力』が淡い光となって少女の体を優しく包み込んだ。
膿は引き、赤黒くただれていた皮膚はみるみるうちに癒え、瑞々しい白い肌へと変わっていく。その変化は夢か幻かと思うほど一瞬の出来事だった。
肌を覆っていた布を外すと、そこには年相応のあどけなさを残した、愛らしい少女の姿があった。両親は息を呑み、次いで堰を切ったように涙を流しながら娘を抱きしめた。
「これが……ナミリ殿の回復魔法ですか。初めて拝見しましたが、まさに神業と言うほかありませんな」
『慈悲の力』を目の当たりにしたロゼウィンさんが、感嘆の声を漏らす。
「あの、ロゼウィンさん。この場合の治療費って、いくらくらいが相場なんでしょうか? 正直、全然見当がつかなくて……」
こちらの世界の医療費に疎いおれは、専門家であるロゼウィンさんに助言を求める。
「ただ皮膚病を癒やすだけでなく、ただれて変色した肌までも、ここまで綺麗に再生してしまうとなれば……金貨十枚でも格安かと存じます」
「き、金貨十枚……」
思わず声が裏返る。日本円にしておよそ百万円。そんな大金を請求して、ぼったくりだと非難されないかと心配になったが、父親は逆に恐縮し、「それでは安すぎる」と口にしている。
……あの小袋の中、いったい何枚の金貨が詰まっているんだろうか。
「あまり治療費を安くし過ぎると、他の白魔導士から苦情が来ますので……」
ロゼウィンさんの忠告はもっともだと、金貨十枚を受け取っておいた。
一時中断されていた宴会を再開し、せっかくだからと三人の家族連れも食堂に招いた。最初こそ固辞していたが、「旅の話もぜひ聞きたい」と皆で勧めると、ようやく席についてくれた。
「それでは……アイリちゃんのために、宿を手放されたんですか?」
問いかけに、父親はうなずく。アイリちゃんとは、先ほどまで皮膚病に苦しんでいた少女だ。話を聞けば、家族はもともと遥か西方の街で宿屋を営んでいたという。しかし、病を患った娘を救うため、宿の権利を売却し、その金貨を懐に白魔導士を探す旅を続けていたのだそうだ。
「魔法の盛んなウィッチロード領に向かえば、あるいは治せる方がいるのではと考え、この地を通るさなか、エムフィビレで疫病治療の噂を耳にしました。そしてナミリ様ならと縋る思いで、図々しくも押しかけてしまったのです」
「それは、おじさん運が良かったね。ウィッチロードじゃ、あの皮膚病はきっとお手上げだったと思うよ」
いつの間にか席に加わっていたミレーユが、ワイングラスを片手にほんのり頬を赤く染めながら口をはさむ。気づけば、おれの隣に座っていたサラスもウンウンとうなずいている。
「わたしたちはウィッチロード家に縁がありまして、この二人はその中でも特に将来を嘱望されている魔法使いなんです」
嘱望されていると紹介され、サラスとミレーユは少し照れくさそうに視線をそらす。
「ナミリさんの治癒魔法は、ウィッチロード家の筆頭魔法使いですら驚くほどの、信じられない回復力なんです」
なぜか、得意げに自慢するサラス……。
「しかし、これほど噂が広まれば、不治の病を抱えた患者が次々とナミリ殿を訪れることになりましょうな」
ロゼウィンさんが、おれの胸に引っかかっていた不安を代弁するように口にする。
「だったら、いっそ病院でも開業したら?」
気安く言い放つカナミに、思わず肩をすくめた。
「そうは言っても、おれたちは度々村を空けるだろ? その間に重い病人が訪ねてきて、おれが戻る前に亡くなった……なんてことになったら、さすがにいたたまれない」
「じゃあ、ナミリさんが留守のときは白魔導士に治療を任せて、病気の進行を抑えておいてもらえばいいんじゃないかな。もし良ければ、腕の立つ白魔導士を紹介しますよ」
その一言に、席についていた全員の視線が、自然とミレーユへと集まった。




