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世界遺産は異世界に  作者: 石太郎
第2章 エムセブルグ開拓記
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【045】緊急医療活動

 天候は穏やかで、陽の光も降り注ぎ本来なら心地よい陽気を楽しめるはずだった。だが、エムフィビレの村に漂っていたのは不快な異臭であり、道々からは人の気配がまるで感じられない。


村の様子を窺っていると、遠くで煙が立ち上っているのが見えた。そこになら人がいるだろうと足を向けたおれたちが目にしたのは、絶望的な光景だった。


並べられていたのは、何人もの遺体。その煙は、彼らを火葬するために焚かれたものだった。


カナミとサラスは顔色を失い、その場から思わず距離を取る。おれ自身も、これほど悲しい光景を目にするのは初めてで、正直、二人と共に背を向けたくなった。だが、村の状況を把握するには、遺体を荼毘に付している老人から事情を聞くしかない。動揺を押し殺し、おれは前へと歩を進めた。


「旅の方々、あまり近寄らないほうよい。(やまい)が移りますから」


老人はそう言いながらも、遺体を天国へと導いてくれるであろう炎から目を離さない。


「私はエムセルの村から来たナミリといいます。病を癒す治癒魔法でこの村のお役に立てると思います」


その言葉を耳にした途端、初めてこちらを振り向いた老人は膝から崩れ落ちる。


「あぁ……神は、まだ我々を見捨ててはいなかった……」


 火葬の炎に照らされたその姿は小さく、弱々しく見えた。だが実際に隣に並んで歩くと、驚くほど逞しい体つきをしているのがわかる。聞けば六十五歳という高齢ながら、今も現役の漁師だという。


息子夫婦と幼い孫が疫病で伏せっており、すでにまともに動ける者は老人ひとり。せめて村人の亡骸だけでもと、彼は一人で弔いの火を絶やさずにいたのだという。


老人の名はマリヌス。彼はおれたちを息子夫婦の家へと案内し、戸口で深く頭を下げた。


「どうか……家族を救っていただきたい」


家の中には高熱にうなされる三人の姿があった。息子夫婦は体力が残っているのか意識こそ保っていたが、苦しげに咳き込み汗に濡れている。そして三歳ほどの女の子は、すでに意識が朦朧とし、浅い呼吸を繰り返すばかりだった。


おれはためらわず女の子に『慈悲の力』を発動する。淡い光が幼い体を包み込むと、荒い呼吸は少しずつ落ち着き、熱もみるみる下がっていく。紅潮していた頬はやがて白く健康的な色合いを取り戻し、少女はかすかに寝息を立てはじめた。


続けて息子夫婦へも『慈悲の力』を注ぐ。かなりの魔力を消耗したが、その甲斐あって二人の顔色はみるみる回復し、力強く上体を起こす。まるで今まで病に伏していたのが嘘だったかのように、互いに自分の体を確かめ合いながら立ち上がった。


病気の治療が済み、立ち上がった二人とは対照的に、おれは膝をつき、その場にへたりこんだ。


「ナミリさん大丈夫ですか?!」

「ナミリ大丈夫?!」


サラスとカナミの声掛けに「大丈夫だ」と答えはしたものの、内心では治療で消費した魔力量に愕然としていた。これは単なる病気の治療ではない。まるで強力な呪術か呪いを打ち破ったかのような、重く鋭い消耗感が残っている。


「マリヌスさん。治療が必要な人は、あとどれくらいいますか?」


老人の答えに、おれたちは息をのんだ。村の人口はおよそ三百。そのうち二百人以上が疫病に侵されているという。


今の三人を治療しただけで、すでに魔力の半分を失った。サラスが持つマナポーションでは到底追いつかない。重篤な者を優先して治療し、数日かけて少しずつ村人を癒していくしかないだろう。


「……これは長期戦ですね」


状況を最も早く把握したのはサラスだった。冷静な表情の裏に、長期に及ぶ厳しい活動を覚悟しているのが見て取れる。カナミもポールさんもまた、険しい顔をしながら互いに視線を交わし、この治療が決して一筋縄ではいかないことを悟っていた。



 「疫病治療のため、ミルフォードよりミランダ様直属の白魔導士様が遣わされた!皆安心して、治療を待つように」


どこの誰とも分からない人間が治療にあたったのでは、村人に疑念を抱かせるだろうと判断し、王族の名を借りることにした。治療さえうまくいけば、ミランダ様ならあとでバレても笑顔で許してくれるはずだと信じて……。


まずはマリヌスさんの息子夫婦から不要になった布を分けてもらい、熱湯で煮沸する。今回の旅では、カナミの火の魔道具が大活躍だ。


煮沸した布を、鼻から口を覆える大きさに切りそろえ、簡易的なマスクを作る。


「本物のマスクほど効果はないけど、何もないよりはマシだと思う」


サラスは「マスクって何?」と怪訝そうにしながらも、おれの指示に従い、布で鼻と口を覆った。


「まさか、こっちの世界でコロナ対策が役に立つとは思わなかったね」


カナミも半ば呆れたように苦笑いを浮かべながら、布を顔にあてがう。


次に、余った布を人差し指ほどの大きさに切り分ける。白布と、炭を溶かした汁に浸して黒く染めた布の二種類を用意した。


「これを家ごとの目印に使います。黒い布をドアに貼った家は、治療前という印。治療が済んだら白布に変える。黒布の家の者は決して外に出ないように伝えてください。食事は白布の家の人たちで用意するよう、手配もお願いします」


マリヌスさんと息子夫婦は「任せろ」と頷き、各家に伝達に走っていった。


「ポールさんとカナミは、集められた食材で炊き出しの準備をお願いします。サラスはおれと一緒に動いて、必要に応じてマナポーションを用意してほしい」


そう言い残し、百戸ほどある村の家を隈なく訪問する。疫病の症状が出ていても、体力に余裕があれば、今日の治療の対象外とする。著しく重篤な症状は、老人や幼子に多く、優先して治療するようにする。ただし、一度の治療で完治させるのではなく、症状が少し軽くなったところで治療をやめる。そうしないと、魔力がもたない。


村の各家を一通り回り終えると、すでに日は落ち夜となっていた。治療の最後の処置として、念のため自分自身に『慈悲の力』を使い、疫病をもらってしまう可能性を排除する。村人たちへの料理の配給を終えた、カナミやポールさん、それにサラスにも同様に『慈悲の力』で疫病にかからないよう処置をして今日は眠りにつく。


 翌日から、いよいよ本格的な治療が始まった。おれはあちらの世界から持ち込んだ医療用マスクと除菌用アルコールを皆に配り、まずは疫病のさらなる拡大を防ぐ対策を徹底する。


「マリヌスさん、この村で乗馬に長け、体力に自信のある人を紹介してください」


おれの求めに応じ、マリヌスさんがひとりの男性を紹介してくれた。まず彼を治療し、回復したところでエムセルへの伝令を依頼した。


「この手紙には、私たちが当分エムフィビレで治療活動に専念すること、そしてもしエムセルで同様の症状が現れた場合の対処法を記してあります。どうかクロスフォードさんに確実に届けてください」


男性は力強くうなずき、馬にまたがって村を後にした。


「あとは、ひたすら治療だ。エムフィビレのみんなのために、全力を尽くそう!」


おれの言葉に、皆、力強く応じる。


ポールさんとカナミは、炊き出しの準備に取りかかり、回復した村人たちも次々と加わっていく。


おれとサラスは、昨日の戸別訪問で症状が重かった家を優先に、一軒一軒を巡り、治療を続けていった。



 数日がたち、順調に治療も進み村に活力が戻りだした。


 病から癒えた村人たちは漁を再開し、おれたちには、その日の釣果で最も良い魚を提供してくれる。その魚をポールさんが調理すれば、滋味あふれる絶品の魚料理となり、疲れた体と心を癒やしてくれる。まるで、疫病の惨状が嘘のように思えるほど、村には笑顔が戻りつつあった。


すべてがうまくいっている――。


そう思っていたが、村のはずれから、突如として悲鳴が上がった。


慌てて駆けつけたおれたちの目に映ったのは、紫色の炎に包まれ、地面に倒れ込む村人、そしてその背後に立つ一体の悪魔だった。


その悪魔は、恨めしそうな瞳でこちらを見据え、ゆらめく紫炎をまといながら、不気味な笑みを浮かべていた。

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