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世界遺産は異世界に  作者: 石太郎
第2章 エムセブルグ開拓記
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【042】湯舟と水風呂で整う

 カナミが「絶対に見たい!」と言っていた学祭の目玉企画――ゲスト漫才師によるお笑いライブが始まった。「西都大学のみなさーん! しっかり笑って、勉強したこと全部忘れてってなー!」


教授が聞けば青ざめそうな掛け声とともに、軽快な掛け合いが繰り広げられ、会場はあっという間に爆笑の渦へと飲み込まれていく。


おれも秋彦も腹を抱えて笑い、由美さんは涙を拭きながら「お腹痛いわー」と秋彦の腕にしがみついている。カナミもおれの隣で体を震わせるほど笑っていて――そういえば、こっちの世界でこんなに笑ったのは、本当に久しぶりだな……。


 ライブが終わると、会場は拍手と歓声に包まれたまま、笑いの熱気にあてられた観客たちは、ゆっくりと解散していく。舞台の照明が落ち、静けさを取り戻した会場を背にしながら、カナミが申し訳なさそうにおれに声をかける。


「せっかく学祭に来てもらってるのに悪いんやけど……ちょっと弓の練習、付き合ってくれへん?」


「もちろん、いいで」

そう答えてから「秋彦たちはどないする?」と尋ねると、秋彦は目を輝かせて頷いた。


「弓道って、生で見たことないし。見てみたいわ!」


由美さんも「わたしも!」と笑顔で続き、結局、四人そろって弓道場へ向かうことになった。



 学祭で賑わう大学の中にあって、弓道場は不思議なほど静まり返っていた。外からは喧騒が聞こえてくるものの、場内にはおれたちのほか誰の姿もない。


「これやったら集中して練習できるわー」


カナミはそう言って矢をつがえ、ゆっくりと弓を引き絞った。

放たれた矢は一直線に飛び、六十メートル先、直径一メートルの的を正確に射抜く。


矢は中心から左上へ、わずか二十センチほど外れた位置に突き立った。その精度に秋彦と由美さんは思わず息をのむ。だが、おれの頭に浮かんだのはまったく別の展開だった。


(……これ、絶対に文句言うやつや)


案の定、カナミは「うわぁ……恥ずかしい」と顔を伏せてしまった。


「いいとこ見せようと思って、ミスったんやろ?」


おれがからかうと、「だまっといて」と小声で返しながら二射目を放った。矢はまっすぐに飛び、見事ど真ん中。秋彦と由美さんが思わず拍手する。カナミは軽く目くばせと笑顔で「ありがとう」と伝え、その後に続けて放った矢も、すべて的の中心から十センチ以内に集まった。


「……ごめん、あと十本だけ」


「ええで、ええで」

秋彦と由美さんが快く答えるのを確かめると、カナミは再び矢をつがえた。


ゆっくりと引き絞られた弓。次の瞬間、矢は淡い光をまとって放たれる。さっきまでの軌道とはまるで違う。比べものにならない速度で一直線に走り、放物線を描く間もなく的の中心を貫いた。


――間違いなく『シャーラガ』の力を使っている。

だが、あんなふうに矢が光っているところを見せてしまっていいのか……?


不安に駆られて秋彦と由美さんの様子をうかがうと、二人は「今の矢のスピード、ヤバすぎやろ!」と興奮気味に騒いでいた。ツッコむところはそこじゃないだろと思っていたら、カナミが小さな声でおれにだけ聞こえるように囁いた。


「魔力の光が見えるのは、『表裏一体の現象』が発現してる人だけやから、大丈夫やで」


そう言ったあと、カナミは『シャーラガ』の力を込めた矢を次々と放った。十射を終えるころにはさすがに魔力が尽きたのか、少し肩で息をしながら弓をおれに差し出す。


「ナミリもやってみいや」


促されて弓を受け取るが、六十メートル先の的を狙う自信はない。そこで、おれたちは距離を半分ほどに縮めた射位へ移動した。そこには直径三~四十センチほどの小さな的が並んでいる。カナミに尋ねると、それが「近的用の標準サイズ」だと教えてくれた。


 おれだって、ここ二か月ほどは弓の練習を続けている。ただし、それはあちら側の世界での話だ。教えてくれているのは、もちろん今ここにいるカナミ……から二年前のカナミだ。


カナミから弓の使い方を教わるまでもなく、自然に弓を手に取り、矢をつがえる。スッと引き絞り、一瞬静止したのち矢を放った。

矢は一直線に飛ぶが、的の十センチ右下に突き立つ。


「惜しい!」


三人が口々に声をかけてくれる。だが二射目も外れ、三射目でようやく的の右上隅に命中した。


「言い訳みたいやけど……やっぱまだ右腕の調子がイマイチやな」

「ええやん、リハビリやと思っとき。十分ようやってはるで」


おれとカナミがそんなやり取りをしていると、秋彦が怪訝そうに首をかしげた。


「お前、いつから弓の練習してたんや?」

「カナミに教えてもらってん」


そう答えると、秋彦は呆れ顔で「のろけ話はいらん」と言い、ドンッと背中を叩いてきた。


その後、せっかくだからと秋彦と由美さんにも弓を体験してもらい、弓道場を出て学祭へと戻った。二人と意気投合したカナミは、「次は大阪で遊ぼなー!」と勝手に予定まで組んでしまっていた。



「ごめんな。このあと片づけとか打ち上げがあるから……」


申し訳なさそうに頭を下げるカナミと別れようとしたとき、彼女がそっと近づき、耳元で囁いた。


「今日、なんか大人しいけど……あっち側で何かあったん?」


「全然……。初めて来る大学やったから、ちょっと緊張してただけやで」


そう言い訳しながらも、カナミの目をまともに見返すことができなかった。


その後、秋彦と由美さんと同じ電車に乗り、大阪方面へ戻る。梅田駅に着いたところで次の約束を再確認し、おれたちはそこで解散した。



 自宅に戻ったおれは、布団に潜り込みながら次に目覚めたときのことを頭の中でシミュレーションしていた。


どうすれば誰にも迷惑をかけず、あの場を切り抜けられるのか――。


考えを巡らせているうちに、いつしか意識はぼんやりと薄れ、そのまま眠りに落ちていった。


* *


 目を覚ますと、ベッドにはおれ一人で、サラスの姿はなかった。


頭が少し重く、昨日の酒がまだ体に残っているようだ。時刻を確かめると朝八時を少し回っている。普段より遅めの起床だが、仕事は九時からと決めているので寝坊というわけではない。


体のだるさを振り払うように身を起こし、とりあえず風呂に入ってさっぱりするかと階段を下りる。


その前に水を飲もうと一階の食堂へ立ち寄ると、サラスとミレーユが朝食を取っていた。


チラッとサラスと目が合う。瞬間、彼女は視線をそらして顔を赤らめる。対面に座るミレーユが、その様子に気づいたのか、こちらへ視線を向けてふっと笑った気がした。



(サラスは昨日のことを覚えているんだろうか……。どんな気持ちで部屋を出たんだろう……)


湯舟に浸かり、朝風呂を楽しむ村人たちと軽く挨拶を交わしながらも、頭の中はその考えでいっぱいになる。


(おれは悪くないと思うんだけど……やっぱり謝ったほうがいいのかな。部屋を出るとき、誰かに見られてなきゃいいけど……)


湯舟から上がり、氷の魔道具で冷やされたキンキンの水風呂にゆっくりと体を沈める。熱気が一気に引き、寝ぼけていた頭が冴えわたっていく。


(……っていうか、サラスって、おれのこと……?)


ふと浮かんだ可能性に胸がざわつく。だが同時に、別の世界ではカナミと付き合っているという現実がのしかかり、思わず頭を抱えた。


(こっちでは付き合ってるわけじゃないし、浮気にはならない……よな。でも、地球側のカナミはどうしておれとの交際を続けてくれてるんだろう。本当に、おれのことを好きでいてくれているんだろうか……)


長く浸かりすぎた水風呂を出ると、思わず体が震えた。再び湯舟に戻り、ようやく落ち着きを取り戻す。


風呂から上がって食堂を通ると、サラスとミレーユの姿はすでになく、食器だけが片づけられたテーブルが残っていた。

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