【031】シディ・ヤヒヤ
土色の分厚い扉をくぐった途端、外の砂漠の熱気がすっと遠のいた。泥のレンガが熱を遮り、内部はひんやりとした静けさに包まれている。
日干しレンガの壁は淡い黄色に塗られ、ところどころに手作業の跡が残る。頭上を見上げれば、黒光りする木製の梁が低い天井をしっかりと支えている。足元には粗織りの敷物が整然と並び、その上に漂うのは、祈りと学びが積み重なった年月の匂いだった。
モスクに足を踏み入れ、奥へと進むと正面に窪みを見つけた。
「あの窪みは『ミフラーブ』というもので、メッカを指し示すものです」
セキネ先生がそう教えてくれたが、この世界でもあの窪みの方向にメッカは存在するのだろうか。
「あそこに人の気配がする・・・」
カナミが指差した方向に、確かに人の気配を感じる。気配のする方向に足を進めると頭の中に声が響いた。
『できれば、サンコーレ・モスクではなく、シディ・ヤヒヤ・モスクに来てほしかったが・・・』
「もしや、あなたはシディ・ヤヒヤ様でしょうか?」
セキネ先生が、頭に響く声に問いかける。
『ご推察の通り、私はシディ・ヤヒヤです。聖人などと崇められていますが、一介の神学者にすぎません』
「先生、シディ・ヤヒヤ様ってどなたですか?」
カナミが全力の小声で、セキネ先生に尋ねた。
「トンブクトゥでは、1400年頃に、イスラム教の宗教指導者のシェイク・エル・モフタル・ハマラが近い将来、聖人が現れると預言してモスクを建立しました。そのモスクの初代のイマーム(モスクでの礼拝の先導者や宗教的指導者)がシディ・ヤヒヤ様です。そしてそのモスクが、現代まで残るシディ・ヤヒヤ・モスクと呼ばれるモスクです。シディ・ヤヒヤ様は、宗教指導だけではなく、マドラサ(イスラム神学校)で多くの弟子を育てたとも伝わっています」
『・・・あなた、詳しいですね』
シディ・ヤヒヤ様が若干引いているように感じるのは、気のせいだろうか。
「セキネ先生の説明は正直よく分からないけれど、シディ・ヤヒヤ様の声は頭に直接響いているな」
どうやらこの声は、エレンたちにも聞こえているらしい。ユミルさん、サラスさんと目を合わせると、二人もうなずいている。つまり、ここにいる全員にシディ・ヤヒヤ様の声が届いているようだ。
「是非、後ほどシディ・ヤヒヤ・モスクにも訪れて、『終末まで開かない門』をこの目で見てみたいものです」
「週末の門? 土日の休みの話ですか?」
ボケているつもりのないサラスさんが、セキネ先生にお約束のような質問をしてしまう。
「その週末ではなく、『終末』ですね。この世の終わりのことです」
「え、やだ・・・怖い・・・」
「トンブクトゥでは、サンコーレ大学やジンガリベリ・モスクのほかに、シディ・ヤヒヤ・モスクの『終末まで開かない門』も見どころです。『終末まで開かない門』は、世界の終わりの日に預言者イエスが再臨するときだけ開かれるとされている門です」
「ん? イエスって、イエス・キリストですか?」
ポールさんが、不思議そうに質問する。そういえば、フランス人のポールさんにとって、キリスト教はおれたちよりもずっと身近な存在なのだろう。
「イスラム教では、最後の預言者ムハンマドの前に現れた預言者たちの系譜に、イエスも含まれています」
「わたしは敬虔なクリスチャンというわけではありませんが、キリスト教徒には受け入れがたい説ですね」
『まぁ、待て。そのあたりの教義は、現世の宗教指導者や学者が定義した事実であって、実際の神々の世界とは異なる事実も多く存在する。現に、そこにいる人間はヒンドゥー教の大いなる加護を受けているではないか』
「おれがヒンドゥー教、三柱神の力を授かっているのが分かるんですか?」
『もちろん分かりますよ。あなたが授かった力は、私が持つ力の比ではありませんから』
「もし分かるなら教えていただきたいのですが・・・。ヴィシュヌ様から、遺跡がこの世界と『地球』との接点で、両方の世界で意識を共有した者だけが遺跡の存在に気付き、足を踏み入れることができると伺いました。でも、ここには意識を共有していない者が三人います。彼らはどうして遺跡に気付き、足を踏み入れることができたんですか?」
ダメ元で質問してみたが、シディ・ヤヒヤ様が明確に答えてくれた。
『ヒンドゥー教、三柱神の一注、ブラフマー様の創造の力で、無理やり接点を付与しているからでしょう。あなたにその気がないのであれば自動発動の力ですね。あなたと遺跡を訪れた者は、地球との意識の共有がなくとも強制的に接点と結び付けられるようですね』
「なるほど! ナミリの力なんだ! なんか、ナミリって何でもありになってきてるよね」
カナミが呆れ気味にこちらを見ている。おれだって、好きでそんな体質になったわけじゃないんだが・・・。ふと他を見ると、エレン、ユミルさん、サラスさんがおれたちの会話についていけず、ただただ呆然としている。地球の宗教の話なんか、分からなくて当然だろう・・・。
『さて、ここから本題だ。私は宗教指導者であり、教育や学問に力を注いできた者だ。そのため、セキネには新たな力を授けることができても、他の者に対しては魔力を少し上昇させることしかできない。地球との接点を持たない三人には、セキネたちの半分しか魔力を上げることができないのだ。正直なところ、ヒンドゥー教三柱神のような、地球でも最上位の神と同等の結果を求められても困る』
「ついて来てくれたエレン姉さんや、ユミルさん、サラスさんの魔力も上がるんですか!? ありがとうございます! シディ・ヤヒヤ様!」
『い、いや、喜んでもらえると、こちらもうれしいぞ』
その言葉とほぼ同時に、俺たちの体が光に包まれ、全身に魔力がみなぎる感覚が広がった。
「うわっ、すごい。魔力が体中を流れてるのが分かる」
「ああ、これはすごいなぁ。これでナミリさん達の半分か・・・。皆が羨ましいな」
「ん、なんか体が温かい。これが魔力か?」
ユミルさん、サラスさんには分かるみたいだが、エレンはいまいちよく分かっていないようだ。
『本来なら、ゆっくりイスラム教の教義について語りたいところだが、力を授けると、こちらの世界に存在できる時間が限られる。せっかくだから、ぜひ『終末まで開かない門』を見ていくといい』
「セキネ・トモヤス、シディ・ヤヒヤ様のご配慮に感謝いたします」
「シディ・ヤヒヤ様、力を授けていただきありがとうございました」
「シディ・ヤヒヤ様、またね!」
それぞれが思い思いの礼を述べ、サンコーレ・モスクを後にした。
「さぁ、遺跡が消える前に『終末まで開かない門』をじっくり見物しましょう!」
セキネ先生が急ぎ足で先頭を進む。数時間まえに、そうやってサンドワームに急襲されたことをもう忘れているようだ。
気が付くとおれたちは、ミルフォード穀倉地帯にいた。トンブクトゥの遺跡は跡形もなく消え、俺たちも元の世界へ(といっても、おれやカナミにとって、元の世界がどこかがよく分からないが)戻っていた。遺跡内を移動していたからか、馬車を見つけるのに少し苦労したが、セキネ先生が『解析』の力で探知し、なんとか探し当てた。
「ところで、セキネ先生がシディ・ヤヒヤ様から授かった力って何ですか?」
思い出したようにポールさんが尋ねる。
「はい。シディ・ヤヒヤ様の力を授かり、『鑑定』の力が強化されたようです。この力を使えば、人間はもちろん、悪しき者やモンスターの魔力を数値化できるんです」
「えっ、それってスカウターみたいな物ですよね!?」
ポールさん、日本のアニメもしっかり押さえているのか・・・。
『終末まで開かない門』は、2012年、マリ北部での紛争の際に、武装組織によって、破壊されたことにより開かれてしまっていますが、セキネ先生は1997年の人なので、本件には触れていません。門自体はユネスコの協力で復興されていますが、『終末まで開かない門』の破壊は、現地の住民にとって信仰や伝統を踏みにじられる行為で許されるものではありませんでした。




