【021】ミルフォード穀倉地帯の戦い(3)
全部隊が川岸の陣から西へと移動する。アリアル軍団長の指揮する1,000名の部隊は、川岸から10km地点で進軍を停止した。
最も東に位置する2,500名の部隊は、川岸から5kmの地点に陣を構えた。中央の2,000名の部隊は、そこからさらに西へ5km進み、布陣する。さらに西へ5km進んだ地点には、最も西に位置する2,500名の部隊が展開する。この最西部隊にとって、川岸からの行軍距離は合計20kmに及ぶため、全軍の布陣が完了する頃には、すでに日が沈んでいる見込みだ。
悪魔は夜目が利く。夜間の移動は、奇襲を受けるリスクが極めて高くなるため、明朝早くから北上を開始する手はずとなっている。
アリアル軍団長の好意で、部隊が保有するテントの中でも最大のものが提供され、小隊長以上にしか使用が許されていない簡易ベッドが、人数分用意されていた。「アリアル殿、我々を特別扱いする必要はないですよ」というベルトウィンさんに、「剣聖率いる客将のみなさんを地面に寝かせたなどとあっては、ミルフォード南東軍の恥になるからベッドを使え」と半ば押し付けられた形だ。アリアル軍団長直属の部隊長一同からも「ぜひお使いください」と丁重に頼まれたため、断るに断れなかった。さらに、水の魔導具を利用したシャワー(というより高い位置の蛇口から水が出てくると言った方が適切かもしれない)まで用意してくれた。
そして今、テントの中では女子会が開かれている。
「すごいです。このシャンプーとトリートメントですか。こんなに髪がしっとりしたのは生まれて初めてです」
「ナミリ商会の至高の逸品だからね。品質は保証します」
いや、そこは日本の化粧品メーカーに保証してもらってください。
「船で使った、水を使わない洗髪剤にも驚きましたが、こちらの効き目は比べ物になりませんね」
「私も初めて使った時は感動したなぁ……」
エレンも今日は剣術談義ではなく、女子会に混ざっている。
「これは絶対にウィッチロードに持ち帰らないといけませんね」
ミレーユさん、サラスさんがチラチラこちらをうかがっている。分かってます。なんとか用意しますから……。
「大人気ですね、ナミリ殿は。少し妬けますなぁ。しかし、食後に出していただいたコーヒーは絶品でした。南方大陸のものとは香りが違いますね」
「おれは、コーヒーは苦手だな……」
「そうか? そのままだと苦味が強いけど砂糖とミルクを入れると味がまろやかになっておれは好きだなあ」
サミュエルさんたちは、コーヒー談義に花を咲かせている。一方で、コラントさんにはあまり口に合わなかったようで、それが少し残念だ。そういえば、ユミルさんが「砂糖なんて高級品、もらってもいいんですか?」と言っていたっけ。こちらでは、甘味はあまり手に入らないのかもしれない。
ベルトウィンさんと、マクセンさんは剣聖の手ほどきを受けたいという熱心な兵士達に稽古をつけている。エレンが女子会に混ざっているのも「今日は兵士の皆さんのために私は遠慮しておいたのさ」ってことらしい。
* *
簡易ベッドで横になったおれは、気が付くと病院のちゃんとしたベッドの中にいた。やっぱ、こちらのベッドのほうが寝心地がいいな……。
今日は、土曜日ということもあり、父親が見舞いに来てくれた。医師から、おれの怪我の回復が想定していたケースでの最も良いケースを上回っていると聞き、とても安心してくれたようで、「早くリハビリが始められるといいな」と言って帰って行った。
その後に、高校時代の友人が見舞いに来てくれて、ありがたいことに「見舞いならフルーツだ」といって、けっこうな量の果物の盛り合わせを持ってきてくれた。友人たちが帰ったあとに、果物の盛り合わせを『破壊』の力でアイテムボックスに収納した。スーパーの袋一袋分より多かったが、ギリギリ収納できたということは、おれの魔力を扱う力も少しずつ成長しているのかもしれないな。
* *
「これはひどいな……」
翌朝、北に向かい進軍を開始したが、通過した穀倉地帯の被害の大きさにマクセンさんが思わずつぶやく。
広大な穀倉地帯の、はるか地平線の先からも煙が上がっている。移動開始から三時間ほど経過したが、斥候からの報告も、隣接する部隊からの報告も、共に「悪魔の群れは発見できず」であった。
所々で立ち上る火の熱気により、遠くの空気はゆらぎ、まるで砂漠を進んでいるかのような錯覚を覚える。
時刻はまもなく正午だというのに、黒煙のせいで空は暗く、まるで日暮れのような陰鬱さが漂っていた。
「悪魔の群れ発見。およそ千体!」の報が、斥候により伝えられたのはさらに翌日の15時くらいだった。
「セキネ殿の予測通り、悪魔どもはミルフォードの街を急襲する可能性が高いですね。軍を移動していなかったかと思うとゾッとします」
そう言いながら、アリアル軍団長は、進軍の歩を早めた。斥候からの続報では、ミルフォードの街まで10Km地点で正規軍と悪魔の群れが交戦中で、正規軍は数が少なく、押され気味だという。
進行方向に砂埃が見え、砂埃の中に悪魔を視認したタイミングで、アリアル軍団長の号令が飛ぶ。
「今なら敵を挟撃できる!突撃しつつ太鼓を打ち鳴らし、散会している部隊を集結させろ!」
挟撃を受ける形となった悪魔の群れは、統率を失い、一気に人間優勢となる。
このまま行けば、敵を駆逐できると思ったその時だった。戦場の一角で、暴風が巻き起こり、風の刃で切り裂かれながら兵士たちが舞い上がる。
「あそこに強力な悪魔がいます。気を付けてください!」
状況から見て、あの暴風の中心にはアークジェネラル、もしくはアークロード級の悪魔がいる可能性が高い。セキネ先生の『解析』も、その可能性を察知しているのだろう。
「あれを討てば、一気に戦局がこちらに傾きます! 私が斬りこみますので、皆さん支援をお願いします!」
ベルトウィンさんが駆けだすと同時に、エレンとマクセンさんが後に続く。エムセブルグ・ウィッチロード混成チームの他メンバーがその少し後ろに続く。
「やはりアークジェネラルです!」
サミュエルさんが大声を上げる。砂埃から姿を現した悪魔は、3メートルをゆうに超える巨大な体躯で、その体に見合った大きな矛を持ち、全身を堅固な鎧に包まれている。刹那、アークジェネラルが矛を薙ぎ払う。風魔法だ!先を行く三人が危ない。とっさの判断でおれは『保護の力』で、前衛に防御結界を張り、風魔に対抗する。
ヴィシュヌ神『慈悲と保護の力』。慈悲の力は何度も使っていたが、『保護の力』を使うのはこれが初めてだ。頼む!アークジェネラルの風魔法を防ぎきってくれ!
三人を襲う真空の刃。その目前に、透き通るような淡い赤色の結界がふわりと現れた。真空の刃ははじき返されることなく、そのまま静かに吸収されていく。あるいは、しなやかに受け止められたようにも見えた。それはまるで、剛速球のボールを、大きなスポンジが衝撃を和らげながら包み込むような光景だった。
「ナミリ殿!支援感謝する!」
そう叫ぶと、ベルトウィンさんはアークジェネラルの間合いへと踏み込み、鞘から刀を一閃、逆袈裟に左脇腹を斬り上げた。続けざまに、マクセンさんとエレンが左右の足を狙って斬りつける。一瞬のうちに背後へと回り込んでいたベルトウィンさんが、体勢を整え、すかさず背中に一撃を叩き込んだ。
アークジェネラルの体勢が大きく崩れ、地に膝をつく。だが、まだ意識は残っていた。片手と片膝を支えに、こちらを鋭く睨みつける。その額を、光の矢が正確に貫いた。
「追い風最高! ありがとう、サミュエルさん!」
カナミの矢は、サミュエルさんの風魔法による強烈な追い風を受け、威力と速度を増していたのだ。
アークジェネラルを失った悪魔の群れは完全に統率を欠き、数時間後にはすべて沈黙した。




