【019】ミルフォード穀倉地帯の戦い(1)
翌朝、おれは神になった。……というのは言いすぎかもしれないが、水のいらないシャンプーとボディシートは、風呂のないキャラベルの船上では女性陣から大好評で、このときばかりは剣聖ベルトウィンの人気を上回っていたかもしれない。それどころか、マクセンさんをはじめとする船員の皆さんや、サミュエルさん、セキネ先生など、男性陣からの評価も上々だった。
「いやー、船旅では清潔さを保つことが一番難しいのですが、この液体と、濡れた紙は非常に心地よいものですなあ」
マクセンさんにもすっかり気に入ってもらえたようだ。スーパーの袋いっぱいに詰め込まれていたシャンプーとボディシートは、船の全員分を用意してくれたのだろう。
「ナミリさん、このいい香りのする洗髪用品は、どこで手に入れたものでしょうか?」
ミレーユさんとサラスさん、控えめに聞いてはいるが、目がマジだ。どうして女性というのは、美容アイテムには敏感なんだろうか。
「すみません、実はわたし、商人ギルドに登録している者でして、仕入れ先は商売上の秘密といいますか……。お答えすることは難しいのですが、もっといい品もたくさんありますから、お二人には後日お届けしますね」
「ナミリさん、商人さんなんですか?? 魔法使いなのに……。でも、これだけの品をお持ちなら納得です」
「ナミリの商品はすごいぞ。風のせいで乱れたこの髪も、ナミリの品を使うと、驚くような艶とまとまりが出るからな」
エレンの一言に、ミレーユさんとサラスさんのおれを見る目が一変する。もはや信仰の対象でも見ているような、そんな眼差しだった。
他愛もない話題で和やかに盛り上がっていたおれたちだったが、ミルフォードの街の郊外に差し掛かったあたりで、空気が一変した。ミルフォード郊外の広大な農地が火に包まれ、立ち上る黒煙が空を覆い、昼間だというのに、あたりはまるで夜のような暗さに沈んでいた。
特に火の勢いが強い地点まで近づくと、ミルフォード郊外の農地が、複数のデーモン、インプ、そしてヘルハウンドによって襲撃されているのが見えた。
アークジェネラルの下位に位置するのがアークデーモン、さらにその下にデーモンが属している。
悪魔の最下層にあたるのがインプであり、ヘルハウンドはデーモンの護衛や戦闘の先鋒を担う存在だ。魔界の猟犬とも呼ばれ、その獰猛さは広く知られている。
「マクセン! できるだけ岸に近づくことはできるか?」
「ベルトウィン様、お任せください!」
マクセンのキャラベルは、川岸から50メートルほど離れた位置に停泊し、すぐに何艘かの小舟が用意された。
船に乗り込んだのは、おれとカナミとセキネ先生、ベルトウィンさん、エレンのエムセブルグメンバー、それにサミュエルさんとコラントさんだ。
マクセンさんや他のウィッチロードメンバーは船の護衛で待機している。
「あそこ、人が襲われていますね」
セキネ先生が指す方を見ると、農家の一家と思われる人たちがインプ一体とヘルハウンド三体に追われていた。
「セキネ先生、座標!」
「はい、どうぞ」
すでに弓に矢をつがえ、引き絞っていたカナミの背にセキネ先生の手が添えられる。
「カナミ殿、さすがにこの距離は無茶です!」
距離はおよそ三百メートル、サミュエルさんがそういうのも無理はない。
「大丈夫……だって!」
放たれた矢は風を切り裂く音を残し、はるか先の悪魔へと吸い込まれるように飛んでいった。
続けざまに第二射、第三射と矢を放つ。五本目の矢が放たれたときには、インプたちの群れの動きは完全に止まっていた。
「一本、はずしちゃった……。やっぱりまだ難しいな」
「いやいや、ゴードウィン男爵に伺った通り、見事なものだぞ」
カナミは不満そうだが、エレンは感嘆していた。
そしてサミュエルさんとコラントさんは、もはやお約束となりつつある、口をぽかんと開けたままの表情を浮かべていた。
「ケガはありませんか?」
この家族の父親らしき男性に確認すると、男兄弟の二人の子供のうち、弟が転んでケガをした程度で、それ以外は無事とのことだった。おれが弟君のケガの治療をしている間、ベルトウィンさんは父親から事情を聞いていた。
父親によると、一時間ほど前にどこからともなく現れた悪魔たちが農地に火を放ったという。
火が放たれた範囲は広く、組織的に行われているのではないかとのことだが、農家と農家の間はおよそ弾百メートルほど離れており、全体の被害状況や悪魔の数は把握できていない。
安全のため、家族を小舟に乗せてキャラベルへ避難させる。家族を乗せた小舟の操舵手に、おれたちは徒歩で北上するから、キャラベルをゆっくり移動させて欲しいと、マクセンさんへの伝言をお願いした。
北へ向かうと、より惨状が明らかになってきた。
悪魔の狙いは、人間を襲撃することではなく穀物を焼き払うことにあったようで、火を放った後の撤退が早く、船から見えていた悪魔の群れは姿を消し、捕捉は難しかった。
「北西に1Kmくらいの位置に悪魔がいます。かなりの数ですね」
セキネ先生の『解析』で捕捉した悪魔を目指し、少し北西に進んだ位置で悪魔の影を捉えた。数体のデーモンとかなりの数のインプ、ヘルハウンドの集まりで、五十体を超えていそうだ。
「私とエレン殿とナミリ殿で、デーモンを狙います。カナミ殿とセキネ殿、サミュエル殿、コラント殿は、周りのインプやヘルハウンドに遠距離からの攻撃を行い、足止めをお願いします」
そう言いながら、カナミとセキネ先生が最後方、サミュエルさんとコラントさんが中段、その前方におれが立ち、最前列はベルトウィンさんとエレンが進む陣形を組む。
敵を射程に捉えたところでベルトウィンさんが手を上げる。
カナミの放った矢に加え、サミュエルさんとコラントさんの魔法を掛け合わせた熱風が、インプとヘルハウンドの一団を襲う。
悪魔たちの注意がそちらに集まった隙を逃さず、「今です!」というベルトウィンさんの掛け声に合わせて、おれたちも飛び出す。
まずはおれからだ!
デーモンの集団の中心に『三眼の火』をぶち込む。
拳より少し大きな火球が着弾し、火柱が立ち上る。火柱が消えた後には、デーモンの姿はなく、五体ほど居たと思われるデーモンは完全に消滅していた。
「えっ?!」
ベルトウィンさんとエレンが、同時に声を上げておれを振り返った。
「ナミリさん、今の炎は……。もしかしてただの火魔法ではなく、聖属性も付与された聖火ですか?」
シヴァ神様の力は、神様ってことで……聖属性もおまけでついているかもしれない。
「えーっと、たぶんそうだと思います……」
デーモンを失った悪魔の群れは、剣聖ベルトウィンを擁するおれたちの敵ではなかった。悪魔たちは一掃され、戦いは瞬く間に終わった。
「カナミ殿の弓も見事でしたが、ナミリ殿の魔法も格別ですね。聖火を自在に操るとは……。どこでそのような高位魔法を修得されたのですか?」
銀髪がよく似合う、紳士然としたサミュエルさんが、興味深そうに近づいてくる。その眼差しは研究対象を見つけた学者そのもので、どうやら完全にロックオンされてしまったらしい。
「いえ、気がついたら、自然と使えるようになっていて……」
曖昧にごまかしていると、セキネ先生が何かに気付いたようで、話題を切り替えた。
「あちらから、多数の人間が来ます。おそらく兵士でしょう」
全員の視線がセキネ先生の示した方向に向かう。整然とした隊列を組んで近づいてくる一団があり、人数はざっと百名ほどか。
おれたちから少し離れた位置で兵団の足が止まり、兵団の長と思われる人物が、おれたちの方へと歩み寄ってきた。




