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作者: 雉白書屋

 むかし、三吉という男がいた。大の酒好きで、毎晩のように呑みに出かける。今夜も、上機嫌で暗い夜道を歩いていた。

 たまによろけるたびに、「おっとと」と呟いては、へらへら笑う。自分が転びそうになることすら楽しくて仕方がない。そんな頃合いだった。


「へへへ……おや?」


 三吉はふと、向こうからよろよろと歩いてくる人影に気づいた。あちらさんも酒にやられた口かな? そう思って面白がり、その動きを真似しながら近づいてみる。だが、様子がどうも違う。

 よく見れば、杖も持たずに歩く足の悪そうな老人だった。背中は大きく曲がり、ひょろりとした身体を揺らしながら、一歩ごとにやっとの様子。こんな真っ暗な道を一人で歩くなんて危なっかしいな……と思ったら案の定。老人はその場でぺたりと膝をついた。


「へへっ、こりゃいけねえ」


 三吉は駆け寄り、「じいさん、大丈夫かい?」と声をかけた。すると、老人は今にも泣き出しそうな顔で言った。


「いやあ、あっちまで行きたいんだが、足がねえ……」

「あっちって、近くかい? よければおれが付き添おうか?」


「いいのかい? ありがとねえ……」


 酔っ払い仲間というわけでもないが、ここで見捨てたんじゃあ、せっかくのいい気分に水を差す。たまには人助けもいいもんだ。三吉はそう思い、老人に自分の腕を掴ませて、ゆっくりと歩き始めた。

 少し歩いたところで、老人がぽつりと口を開いた。


「あのう、もしよかったら、肩を貸してもらえないかい?」

「肩? ああ、いいよ、いいよ」


 三吉は自分の肩を差し出し、老人に腕をしっかりと回させた。そして、また歩き始める。だが、酔っているせいか、どうも足元がふらつく。二人でよろよろと進んでいると、また老人が言った。


「あのう、すまないんだが、おぶってくれないかい?」

「ああ、いいとも。ほら、乗りなよ」


 そっちのほうが早くて楽だと思い、三吉はひょいと身を屈めて、老人を背中に担ぎ上げた。


「ところでじいさん、どこまで行くんだい?」

「ああ、川まで行きたいんだ」


「川ってえと、向こうの角をちょいちょいと曲がればすぐだな。へへへ、川沿いに飲み屋があるんだが、まだ開いてたらどうだい? 一緒に行くか?」

「……いやあ、あたしゃ、酒は呑まないもんで」


「なんだ、そうかい。……ところで、川で何をするんだい?」

「いやあ、ちょっと身を清めようと思ってねえ……」


「へえ……そりゃいいことだ」 


 三吉はくんくんと鼻をひくつかせた。もしかして、このじいさん、小便でも垂れたんじゃないかと思ったのだ。けれど、背中に湿った感じはない。安心して歩き続けた。

 しかし、少し歩いたところで、妙な感覚に気づいた。

 ずっしり……ずっしり……と、老人が少しずつ重くなっている気がするのだ。


「大丈夫かい? 疲れたんじゃないのかい?」

「ん、ああ、大丈夫だよ……」


 そうか、疲れただけか……。酔いのせいで感覚が鈍っているのかもしれない。

 三吉はそう納得して歩き続けたが、やがて息が上がり始めた。


「手が疲れて重く感じるだろう?」

「ああ、そうだなあ……」


「足もだいぶきてるんじゃないかい? だから重く感じるのさ」

「ああ、そうだなあ……」


 三吉がふと妙だと思うたびに、老人は諭すように囁いた。そんなやり取りを繰り返しながら、三吉はよたよたとした足取りで歩き続け、ようやく川のほとりにたどり着いた。水面にはぼんやりと月が浮かんでいる。


「ありがとねえ……それじゃあ、川の中に降ろしてくれるかい?」

「ああ……」


 三吉は呟くように返事をし、水辺へと一歩、また一歩と近づいていった。水面を見つめるその目は、どこか焦点が定まっていない。

 だが、ふと立ち止まり、首を傾げた。


「川の中……? なあ、じいさん、この辺でいいんじゃな――」

「おい、あんた、何やってんだい?」


「へえ?」


 不意にかけられた声に、三吉は驚いて振り向いた。そこには、通りすがりらしい男が立っていた。男は目を見開き、まじまじと三吉を見つめながら言った。


「あんた、石なんか背負って、いったい何してるんだい?」

「石……? 石って、なんのこと……あっ!」


 背中のものを地面に降ろすと、三吉は驚いた。それは老人ではなく、子供の背丈ほどもある、大きな石だったのだ。


「しかもこんな夜中に……あっ、まさか」

「え……あ、違う違う。身投げなんて考えてねえよ。ちょっと、あの、身を清めにって……」


 何がどうなっているのか、さっぱりわからず、三吉はつい老人の言葉をそのまま口にした。


「身を清めにねえ……ん? それ、お地蔵さんが彫られてるじゃないか」

「えっ? 本当だ。あっ、このシミ……」


 月明かりの下、目を凝らしてその石を見ると、確かにお地蔵さんの姿が彫られていた。そして顔の一部には、痣のような黒いシミがうっすらと浮かんでいる。鼻をひくつかせると、かすかに臭いがした。

 それで三吉は思い出した――以前、酔ってこのお地蔵さんに小便を引っかけたことを。


「身を清めたいって、そういうことだったのかあ……」


 三吉はその場に尻をつき、力なく笑った。

 男も呆れたように笑いながら、ゆっくりと三吉のほうへ歩み寄った。


「大丈夫かい? 手を貸そう」

「ああ、ありがとさん。あんたも飲んできた口かい? 何か臭う……あ、おいおい、あんたがよろけてどうす、あ――」


 男の手を掴み、立ち上がろうと三吉がぐっと力を入れた瞬間、男の身体が崩れるように倒れ込み……



 ――翌朝。

 がやがやと、人々が三吉の周りに集まり、口々に囁き合っていた。


「この男、お地蔵さんと観音様を運んで何をするつもりだったんだろうねえ」

「そもそも、どうやって運んだんだか……」

「さあねえ、よっぽど身を清めたかったんじゃないかい?」

「まあ、それは叶っただろうなあ。腹の中身まですっかり吐き出してらあ」


 三吉を押しつぶした観音様の石像の顔には、いつかの晩に三吉が吐いたものの痕が、うっすらと残っていたのだった。

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