第12話 元勇者のおっさんはダンジョンの恐ろしさを見るそうです
光の幕に包まれた扉なき入り口に足を踏み入れると、そこを境界線として草木の生い茂る自然豊かな地が目に映る。
遺跡としか思えぬ外観だったのに、そんな姿からはあり得ない程広大なその場所には原住民がいると思わしき村があった。
人ではない。異種族でもない。どの種族にも当てはまらないそれは民同士で言葉を交わし、文明を持って暮らしている。
「あれがチェシニーか」
村に降りる長い階段の上、ダンジョンと外を繋ぐ隔たりの前でリッカは警戒した様子で対象を見る。
小さな緑色のダンジョン生物。チェシニーと名付けられた生物は成人男性の腰程までの大きさしかなく、二頭身の丸っこい体と大きく垂れたふっくらとした耳を持っている。愛嬌のある見た目も相まって、ただそこで過ごしているだけで害はなさそうに見える。
しかしそれは大きな間違いだ。
「分かっているだろうが奴らとは目を合わすな。だが、万が一あちらからのアクションがあった場合は拒否せずに受け入れろ。いいな、行くぞ」
ノルバ達のパーティーの隊長を任されているリッカはメンバーに注意を促すと階段を降り始める。
それに続いてノルバ達も降りていく。
目的地は第二階層へと続く扉。村を一直線に抜けていけば辿り着くダンジョンにしては比較的簡単な部類。既に他のパーティーも続々と村を抜けていっている。
「本当に大丈夫なのでしょうか」
階段を降りている最中、エルノが不安の声を溢す。
「そう心配すんなよ。何かあってもオレ達が守ってやる」
「そうだよ、心配しないで。エルノの初めてのダンジョン、皆で攻略しよ」
ダンジョン突入前、ノルバ達はエルノにダンジョン参加が初めてである事を聞かされていた。
ダンジョンは魔王との争いの際に出現、攻略され続けた結果なのか、近年ではその数は多くはない。故にダンジョン初心者など珍しくもない。
エルノもその内の一人。そして経験がない故に未知の存在に不安を抱いているのだ。
それを理解しているノルバとシャナは優しい言葉をかけるが、リッカは違った。
「大丈夫かどうかなど誰にも分からん。だが命を懸ける覚悟もないのなら退く事を勧める。気の迷いは自分だけでなくメンバーの生死にも直結するのだからな」
棘のある言い方。しかし正論。
ノルバはどうしてそんな言い方しか出来ないんだと頭を掻くが、その後ろでエルノはハッとした様子を見せた。
「すみませんでした。そうですよね。ここはダンジョン。こんな気持ちでは出来る事も出来なくなります」
そう言うとエルノは目を覚ます為に自身の両頬を挟む様にバチンと力を込めて叩いた。
「ちょっ、エルノ!?」
「ごめんなさい。もう大丈夫。一緒に頑張りましょ」
リッカは振り向く事なく進んでいる。しかし不安を払拭したエルノの姿に、その背中が少し笑っている様にノルバは見えた。
そうこうしてノルバ達は村への階段を降りきる。
「このまま進むぞ」
レンガが敷き詰められてある程度舗装された通路。同じく赤いレンガを組み合わせて造られた住居の数々。
ある程度の知性を持っているのが伺えるその村をノルバ達は警戒しつつも迷う事なく進んでいく。
何も起こらない。
そう思っていた。しかし、エルノが一歩進んだその時、そこがダンジョンである証拠が突き付けられる。
言葉を失った。悲鳴すら上がらぬ嫌悪感とおぞましさ。
競り上がってくるそれを喉元に押し込み、エルノは呼吸を整える。
「趣味の悪ぃ場所だ」
同じくそれを踏んだノルバは足をどけて呟いた。
その時、最後尾を歩くシャナの服を何かが引っ張る。
振り向くとそれは他のチェシニーよりも一回り小さい子供のチェシニーだった。
チェシニーからのアクションがあった場合は拒否せずに受け入れる。この階層を穏便に通過する為に事前に知らされた術だ。
子供チェシニーの手には見た事もない幼虫が掴まれている。そして無垢な笑顔でうにゅうにゅと動くそれを差し出してくる。
「くれるのか。ありがとう」
事前調査によるとこの幼虫はチェシニー達の食事。つまりはご飯のお裾分けという訳だ。
拒否する事は許されない。
嫌な顔一つせずに受け取るとシャナは幼虫を口に入れる。
そして動く幼虫を噛み潰すと柔らかな中身が弾ける音と共にドロッとした液体が口の中に広がる。
口内に纏わりつく液体は苦さ、酸味、えぐみ、そして微かな痺れを感じさせる。
冒険の中では時に虫を喰らう必要もある。
シャナはこの役目がエルノではなく自分で良かったと思いながら咀嚼を続けてそれを飲み込んだ。
その様子を見て満足げに走り去っていった子供チェシニー。
エルノは心配した様子でシャナに声を掛ける。
「シャナ、あんなの食べて大丈夫なの……?」
「害はないって言ってたじゃん。虫も食べた事ない訳じゃないし大丈夫だよ」
流石に上級冒険者となればこの程度の事で動揺はしないらしい。
ノルバは感心を覚えながら足を進めていく。
そんな時だった。
「嫌だー! 放してくれ!」
「やめて! お願いだから! ねぇってば!」
「クソが! 放しやがれ、クソ野郎!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
他パーティーの叫び声が響く。
声の方向を見ると複数のチェシニーに引き摺られて何処かへ連れてかれている。
何をしたのかは分からない。だがチェシニーの顔を見れば怒りを買った事は明白だ。
穏やかだった顔にははち切れんばかりの血管が浮かび、緑から深紅へと皮膚の色は変化している。
口の悪い一人の男が剣を振り暴れるが傷付くどころか気に止める様子もなくチェシニーはある場所へと男を連れていく。
そこは村の中心にそびえる一際巨大な建築物。自然に満ちた村には見合わない機械仕掛けのその場所にチェシニーは男達を放り込む。
その建築物は天井の開いた巨大な容器となっており、中には他にも捕まった人間が入れられている。
喚く男達。しかし無情にも蓋が閉められると駆動音を鳴り始める。何かが削れ、千切れ、混ざっていく音の中で人々の悲鳴が響き続ける。
その間、助けようとする者は誰もいない。ある者は無視して、ある者は呆然とその光景に立ち尽くしている。
そうしてひときしり機械が動き続けると、今度はゴウンゴウンと繋がる管から赤い粘土が吐き出される。
それがかつて何であったかは語るべくもない。その粘土をチェシニー達は器に移して運んでいく。
型にはめてレンガを作る者。破損した箇所の修復に者など手慣れた手付きで作業は進められていく。
吐き気を催す光景だ。しかしそれがここでの日常。そもそもの常識が違うのだ。
それにチェシニーからすれば勝手に乗り込んで来たのは人間の方だ。どう扱おうと文句を言われる筋合いはない。
「行くぞ」
一連の様子を見終えた後、ノルバ達は再度歩み始める。
通路に浮かび上がる犠牲者の顔を踏まぬ様、注意を払いながら。