愛の歌に言葉を添えて
夕日を浴びる小麦畑のような、少し焼けた暖かな山吹色の髪。
獅子獣人の特徴が美しいアレクセイ・ゼファード伯爵子息は、金色の目を細め、目の前のロザリア・バレンシア子爵令嬢に婚約破棄を言い渡した。
「茶会で気まぐれに囀らせれば、ゼファード家の優雅さを誇示出来ると思って、わざわざひ弱で地味な鳥獣人を妻にと思ったが……。まさか鳴けない鳥とはな。これなら、同じ獅子や豹や虎を娶った方が良いに決まってる。分かるだろ?」
目の前で破られた両家で交わした婚約の書面。
ハラハラと散る紙吹雪を目で追いながら、ロザリアは心の中でため息をついた。
(散々申し上げたのに、やっと気付いたの? どれだけ人の話を聞いていないのかしら。ホント、肉食獣人は傲慢な人が多いわ)
面識もないのに「今日の午後訪問する」とだけ書かれた手紙が届いたと思えば、一方的に婚約を進め、またまた一方的に婚約破棄。
結局、爵位と肉食獣人という強さを合わせ持つ者は、人の話など聞かないのだなと、ロザリアは変に納得してしまった。
紙吹雪が全て床に落ちるのを見送り、ロザリアはゆっくりと顔を上げる。
「わかりました」
ただ一言だけ、そう言い残すと軽く頭を下げ、ロザリアは退室した。
カラスに鳩に、スズメにインコ。
思い付くだけでも、鳥の名前を何個言えるだろうか。それだけ鳥は種類が多いのだ。
獅子や豹などは元となる動物の種類が多くないので、あまりピンと来ないかも知れないが、鳥や犬など、種類が多い獣人も勿論いる。
鳥獣人のロザリアには、常識以前の話だった。
ゼファード家の玄関を目指しカツカツと歩きながら、ロザリアは段々苛立ってきた。
(これだけ多種多様な鳥獣人がいる中で、何で私なのよ!)
茶色や焦げ茶や時折白と黒。
そんなまばらで地味な毛色で、瞳も黒いフクロウ獣人のロザリア。
「鳥なのに歌は普通だね」「鳥ってもっと綺麗な色味かと思ってた」「種族はなんだい? 小鳥、では無いよね……?」「君、本当に鳥獣人なのかい?」
今まで何度も同じようなことを言われてきたロザリアは、流石にそろそろ限界だった。
ロザリアの苛立った雰囲気に、何事かと侍女達が狼狽える。
ロザリアはそんな侍女達の横を颯爽と通り抜け、自分で扉を開け、さっさと屋敷を後にする。
騒がしくなっていく屋敷の中。ロザリアは振り返りもせず、通りに止めていた馬車へと乗り込むと、早く出すように声をかける。
馬車が走り出してすぐ、屋敷の入り口から侍女と執事が顔を出したのが見えたが、執事達には申し訳ないがもう用はない。
両親も、きっと婚約破棄になって胸をなで下ろすだろう。
そんな事を考えながら、肉食獣人の多く住む区画を越え、慣れ親しんだ小動物の多い区画へと帰って行った。
※
大きなコンサートホールに響き渡る美声に、会場中が聞き惚れている。
淡い藤色のふわりとした癖っ毛に、物悲しいオルガンのような澄んだ歌声。
最近話題の稀少な鳥のコカコ獣人、デヴィッドのコンサートは、王都で一番大きな会場がいつも満員に――それどころか、会場に入れず漏れた音を聞こうとする人が外に集まるくらいの盛況ぶりだ。
(綺麗な毛色。綺麗な声。でもとても退屈そうで、でもそこが儚くて美しいのかしら)
一番後ろの席の人は、オペラスコープでも覗かない限り、きっとステージ上の彼は豆粒ほどにも見えないだろう。
ただでさえ暗闇でも夜目が利くロザリアは、ステージを間近で見下ろせる貴族席で、一人ぼんやりとデヴィッドを眺めていた。
美しいと思うのは人の感性なのか、美しいとしか思わないのは自分がフクロウだからか。
慣れたつもりでいたが、アレクセイの言葉が少し心に引っかかっているのか、ロザリアはそんな事を考えてはため息ばかりで、心からコンサートを楽しめないでいた。
一曲終わり、デヴィッドが微笑みながら会場中に手を振る。
わっと押し寄せる歓声に、ぼんやりしていたロザリアの背筋はびくりと伸びる。
(あら、目が合ったわ)
二曲目の前奏が流れ始めた時、見上げたデヴィッドと視線が絡んだ。
ロザリアのいる貴族席は、ステージのほんのすぐ側。目が合っても不思議では無い距離だが、ステージは明るく貴族席は真っ暗だ。
コカコは目も良かったかしらと、ロザリアは小首を傾げたが、貴族の嗜みで反射的に微笑む。
デヴィッドは一瞬不思議そうに目を細めたが、すぐふわっと笑みを作ると、真っ直ぐ会場を見渡しながら歌い出す。
一曲目より明るく朗らかで、優しい音色。
どことなく変わった気がする歌い方に、これぞ鳥獣人ねと変に納得してしまった。
曲毎にコロコロ変わっていく多彩な声がすっかり気に入ったロザリアは、頻繁にデヴィッドのコンサートに足を運ぶようになった。
(今ので三回目)
目の合う回数も増え、数えるのも楽しみに。
こちらは暗くあまり見えていないだろうと、時折手を振ってみたりもする。
最初はつまらなそうに歌うと思っていたが、それはロザリアの心が沈んでいたからだったようで、いつの間にか楽しそうに歌う人だなと印象が変わっていった。
そしてロザリアは、複雑に歌い分けるデヴィッドの歌い方で、一つ好きな歌声を見付けた。
それは決まって、曲と曲のつなぎ、お客さんにご挨拶したり雑談をしたあとに、ほんの少しだけ聞ける歌声。
ベルのような音色で、跳んで跳ねて転がって、コロコロと楽しげに上下する音階。
それは楽しそうに目を細め、どんな歌よりも通る声で。
それを聞きに来る人もいるのか、デヴィッドが歌い出すと客席から黄色い歓声が上がる。
大満足に帰路につく観客達と同じ顔をしたロザリアは、踊るように軽くステップを踏みながら、貴族席の階段を駆け下りる。
デヴィッドの声を思い出しながら、鼻歌を歌いながら降りていくと、階段の上の方から短いため息のような笑い声が聞こえた。
反射的に見上げれば、アレクセイの姿が。
もしかしたら顔に出てしまっていたかも知れない。小さく息を詰めたロザリアだったが、すぐにドレスの裾を軽く持ち上げ挨拶をする。
「アレクセイ様、お久しぶりでございます」
「では失礼します」と出来ないのが、貴族の悲しいところ。
ロザリアはにっこり微笑んだまま、ゆっくりと降りてくるアレクセイを見詰め続ける。
「薄暗いところで見ると、目だけ光っていて何かと思ったぞ。まぁ、残念な歌声で誰かはすぐに分かったがな」
「折角ならデヴィッドに歌でも習ったらどうだ」と、どこかご機嫌なアレクセイに、ロザリアは微笑みを崩さない。
(一つ上の貴族席にいたのね。反対側しか確認していなかったわ……)
そんな事を考えながら、ニヤニヤと笑うアレクセイを見上げていると、その背中からひょっこり女性が顔を出した。
ん? とつい見詰めてしまったロザリアに、女性も驚いたように見詰めてきた。
真っ黒な艶やかな髪に、美しい金の瞳。ドレスの上からでも分かる、スラリとした長い手足。
ロザリアと女性が同時ににこりと微笑むと、アレクセイが女性を隠すように背中に追いやった。
「まだ正式には決まっていないが」と前置きし、アレクセイは不気味な程ニッコリと微笑んだ。
「紹介しよう。俺の婚約者、黒豹獣人のグロリアだ」
グロリアはアレクセイの後ろからどうにか顔だけだすと、あらためてニッコリと微笑んだ。
ロザリアも挨拶をと思った矢先、またアレクセイの後ろに隠されてしまった。
ふいっとアレクセイを見上げると、何故か勝ち誇ったような顔でロザリアを見下ろしていた。
「ご婚約おめでとうございます」
ニッコリと淑女らしく微笑み、端に寄る。
満足そうな笑顔のまま、アレクセイはグロリアの肩を抱き、ロザリアの隣を通り過ぎていく。
二人の足音が聞こえなくなるまで、ロザリアは階段の端に立ち尽くしていた。
最高の気分だったのに、一気に台無しになってしまった。
とぼとぼと階段を下り外に出てみると、いつの間にか雨が降っていた。
今日に限って、少し会場の周りを見て歩きたいからと、迎えの馬車を遅らせてしまっていた。
とことんついていない。いや、あそこでアレクセイにさえ会わなければ、この雨も楽しめたかも知れない。
次々あふれ出すため息を隠すことも無く、ロザリアはロビーのソファーに沈み込む。
ガラス張りのロビーから、ポツポツと降り続く雨と、走り抜けていく人達が見える。
あの人足が速いなぁや、あの人買い物袋がびしょ濡れだわなど、落ち着いて座ってみると、思ったより周りを見る余裕があった。
外を見ていたら、無意識に鼻歌を歌ってしまう。
勿論それは、お気に入りのデヴィッドの曲。
(やっぱり上手く歌えないわね、こうかしら)
そんな事を考えながら外を眺めていると、ふと背後に気配を感じた。
振り返れば、目を丸くしたデヴィッドが、ロザリアを見つめたままホールの扉を開けた体勢のまま固まっていた。
変なところを見られてしまったと、ロザリアが立ち上がろうと腰を浮かせると、デヴィッドが少し問うような困惑した音色で、ロザリアのお気に入りの曲を口ずさむ。
ついロザリアは嬉しくなり、デヴィッドの歌を真似してみる。
すると、満面の笑みを浮かべたデヴィッドは、今度は今までで一番楽しげな声色で歌い出す。
また負けじとロザリアが真似をすれば、デヴィッドがまた答える。
気付けば二人並んでソファーに座り、楽しく歌を歌い合っていた。
「お嬢様! 大変遅くなりました!」
突然割り込んできた声に顔を上げると、迎えの馬車が気を利かせて急いで来たらしい。
高齢の御者は、頭からずぶ濡れになりながりも、ロザリアの顔を見てほっと安心したように笑った。
「やだ、ずぶ濡れじゃない! そちらの売店に何か拭くものが無いか見てくるわ!」
「いえお嬢様、大丈夫ですので……」
「良くないわ! 風邪を引いたらどうするの!」
「だから少しだけ待ってて!」と、ロザリアはデヴィッドに軽く挨拶だけ済ませると、売店の方へ走って行ってしまった。
会場で買った、デヴィッドのコンサート限定タオル。
買ってすぐに御者の頭をガシガシ拭くのに使ってしまったが、洗い直してからは綺麗に部屋に飾っている。
デヴィッドの髪と同じ、淡い藤色のタオル。
部屋の中でどうしても浮いてしまうその色味に、ロザリアは何故か少し気恥ずかしくなった。
デヴィッドの愛の歌という曲が人気らしく、貴族席もなかなか取れなかった。
ようやくチケットが取れたのは、デヴィッドと一緒に歌ったあの日から一ヶ月半後のことだった。
久しぶりのコンサートは、立ち見席も出来るほどに賑わい、恋の曲を聞きに来たであろう女性客が多く目立っていた。
最初姿を現したデヴィッドは、少し浮かない表情をしていたが、会場をぐるりと見渡すとにっこりと微笑み、いつにも増して華やかな歌声を響かせ始めた。
そして、ロザリアの好きな曲へ。
(あ……)
ロザリアは思わず息を飲んだ。
デヴィッドはくるりとロザリアのいる貴族席を見上げると、いつもとは少し違う、ロビーで一緒に歌っていた時の楽しげな音色を奏でだした。
途端に、会場中からワッと悲鳴に近い歓声が上がり、デヴィッドの歌はかき消されてしまう。
この曲が聞きたいのにと、ロザリアは少しムッとしながら客席を見下ろす。
やはり何人かロザリアと同じ思いの人がいるのか、不機嫌そうに周りに注意している人がちらほら見える。
しかしそれ以上に、デヴィッドに夢中な女性達は、ステージに上がらん勢いで興奮していた。
そのまま会場の興奮は収まらず、コンサートは終了。
少し残念な気持ちのまま、また鼻歌を歌いながら階段を下っていると、また馬鹿にしたような笑い声が降り注いだ。
振り返らなくても分かる。アレクセイだ。
「ほう、少しは上手くなったんじゃないか? もう一度」
もうロビーへの扉は手の届くところなのに。
あと一歩早ければアレクセイに会わなかったかも知れない。
ロザリアは挨拶もせずに、言われたままもう一度歌う。
アレクセイの後ろでニコニコしているグロリアがいるだけ、少し心が救われた。
ある程度歌うと、アレクセイがもう良いと手を上げた。
「相変わらずイマイチな鳴き声だが、まぁ、以前よりはって所だな。なぁ、デヴィッド」
アレクセイがくいっと顎をしゃくった先に視線を向けると、驚きに満ちた顔で目を見張るデヴィッドの姿が。
「どうだデヴィッド」と、アレクセイが更に言葉を重ねると、デヴィッドは一瞬ロザリアを見たものの、何故か顔を歪ませふいっと視線を反らしてしまった。
途端、ロザリアは走り出してしまった。
後ろからはアレクセイの笑い声だけが聞こえた。
王都でのコンサートももうあと僅か。
それが終われば、デヴィッドは全国ツアーに行ってしまう。
しかし、ロザリアは部屋でくすぶっていた。
デヴィッド色のタオルを見るのも苦しく、今は棚の中にしまわれている。
何もやる気が起きずため息ばかり。気晴らしに散歩でもと部屋を出ると、廊下の向こうから執事が急いで走ってくるのが見えた。
「お嬢様にお客様です。ですが……」
「お客様? そんな予定無かったはずだけど……」
なんとも困惑顔の執事に続き、応接室に向かう。
応接室に居たのは、アレクセイの婚約者グロリアだった。
驚き固まるロザリアに、グロリアは困ったように笑った。
「いきなりごめんなさい。どうしてもお話したくて」
「いえいえ! 私も一度しっかりとお話したいと思っていたのです! わざわざお越し頂き、ありがとうございます」
驚いたものの、グロリアに嫌な印象はない。
むしろ、会う度にいつもニッコリと微笑みかけてくれ、本当は話し好きなんだろうなと分かる、そわそわした可愛らしい猫目が気になっていた。
軽い挨拶といきなりの訪問の謝罪を済ませ、二人向き合って座る。そして執事はお茶の準備へ。
扉が閉まったのを確認し、先に口を開いたのはグロリアだった。
「アレクセイが申し訳ありません。ロザリア様のお話は、彼からよく聞いております」
「婚約者に元婚約者のお話を、ですか……!?」
思わずはっきりと言ってしまった事に、ロザリアは自分でも驚き口を抑える。
グロリアはたまらずぷっと吹き出してしまった。
「そうですよね! やはりそう思いますよね! 失礼を承知で、勇気を出して押し掛けて良かった!」
婚約者と元婚約者。
普通なら気まずく、会いたくないものだ。
しかし、お互いアレクセイが勝手に決めた婚約とあって、その辺りはなんとも思っていなかった。
そして「いっぱいお話したいの! でもその前に、申し訳ないのだけど、思いっきりアレクセイの愚痴こぼしたいの。聞いて下さる?」と言い出したグロリアに、ロザリアは親友になれそうだわと前屈みに。
「笑い方が下品」「食事のマナーが最悪」「そもそも性格が悪い」「肉食獣人の悪いイメージを全部集めてギュッと固めて生まれた人」など、グロリアの愚痴にロザリアも首がむちうちになるほど何度も強く頷く。
「分かります! 歯と顎が丈夫なのは分かるのですが、ステーキにそのままかぶりついたりしませんか!? 獅子獣人であって獅子ではないのですよ!? なんのアピールですの!? ナイフを使いましょう!?」
「今日のお昼もまさにそれでした! もう恥ずかしくて恥ずかしくて、直さないのなら外食は貸し切りにして欲しい!」
泣いて笑って笑って笑って。
少し悪趣味かとは思いつつ、グロリアとの愚痴大会でロザリアは久しぶりに思いっきり笑うことが出来た。
「それにしても、ロザリア様の歌を下手だ下手だって、ほんっとうにムカつきましたわ! あんなに素晴らしい愛の歌を響かせられるのに!」
ふうっとお茶を飲んでいると、グロリアがそんな事を言い出した。
作法も気にせず、カップに口をつけたまま「愛の歌?」と小首を傾げれば、グロリアもうんっと大きく頷く。
「そう、デヴィッド様の愛の歌ですわ。愛するお相手の声や雰囲気に合わせて声色を変える鳥獣人の愛の歌。デヴィッド様の愛の歌は、ずっと相手を探しているような物悲しい音色でしたのに、いつからか暗い夜道を思わせる低音から、楽しげで涼やかな眩しい高音へと駆け上がっていく楽しいものに。そう、ロザリア様の雰囲気にピッタリでしたわ!」
「え? ……え!?」
思わずごっくんと音が鳴るほど勢いよくお茶を飲み込んでしまったロザリアは、ゴホゴホと咳き込みながらグロリアの言葉を反芻する。
確かに、以前のデヴィッドは退屈そうに歌っていた。
しかし、デヴィッドの歌が楽しげなものに変わって、随分と経ってからロビーで会った。
そう、順番が逆だ。面識はなかった。
その事をどうにかグロリアに伝えると、グロリアはうーんと小首を傾げ、悩む込む。
何度か咳払いをし、どうにかロザリアが落ち着いた頃、グロリアは「もしかして」と立ち上がる。
部屋の明かりを消し、キョロキョロと見回してから、部屋中のカーテンを閉める。
重苦しいカーテンを締めてしまえば、応接室は一筋の光も無い真っ暗な空間になった。
「今からロザリア様をつかまえて見せますね」
暗闇の中から響くグロリアの声に、不思議に思いながらもロザリアは席を立ち移動する。
夜目が利くロザリアにはグロリアの姿が見える。
だから分かる。ずっとグロリアと目が合っているのが。
そそっとロザリアが移動すると、グロリアもそそっとついてくる。
「……とってもとっても怖いですわ!」
「んーふーふー。狩りをしている気分です……わ!」
ニコニコじりじりと近付いてきていたグロリアが、目に見えない速さでロザリアに飛び掛かる。
悲鳴も無くピタリと固まってしまったロザリアは、そのままコロリとグロリアに横抱きされる。
「捕獲です! では、いただきます!」
「いただかないでくださいまし!?」
ハッと我にかえったロザリアは、大慌てでグロリアの腕から逃げ出すと、急いでカーテンを開ける。
光に照らされたグロリアは、少し眩しそうに目を細めながら、明かりをつける。
「ロザリア様は暗闇で目が光るのです。ですので、薄暗い貴族席に居ても、デヴィッド様からは見えていたのではないかしら」
「でも、目だけですよね?」
「気を引くには十分過ぎると思いますけど……?」
そう言えばやけに目が合っていたし、始めて行った時の不思議そうに目を細めていた表情の理由も、それで全て納得できる。
そして、話の一つも聞いていなかったが、アレクセイも目がどうとか言っていたような気もしないでもない。
「それに、最近ロザリア様コンサートに行かれていないでしょう? あれから、どうにもデヴィッド様の様子がおかしいのは、そのせいでなくて?」
もじもじと縮こまるロザリアに、グロリアはデレデレと目尻を下げっぱなし。
鳥獣人だと言うのに鳥の魅力がないのを気にし、あまり友達も作れずに居たロザリアには、楽しそうに嬉しそうにするグロリアが、少し眩しい。
女友達って良いなと思いつつ、恥ずかしいとも思いつつ。
もじもじしっぱなしのロザリアに、グロリアは「でね」と、バッグの中に手を入れニッコリ目を細める。
※
「あんなに激しく想いを伝え合って愛し合ったのに、それなのに、何で他の男に愛を歌ったの? 僕の事は遊びだったの?」
ロザリアは今、ステージの裏でデヴィッドに詰め寄られていた。
ロザリアとグロリアは、デヴィッドの王都のラストコンサートに揃って来ていた。
あの日「私、狙った獲物は逃がさないの」と言いながらグロリアが差し出したのは、コンサートのチケット。
コンサートが始まってすぐ、デヴィッドはたぶんロザリアに気付いたであろう視線を向けたが、それっきり。
以前のように何度も目が合うことも無ければ、以前のように楽しそうに歌うわけでも無い。
始めて聞いた時より、もっと暗く怒りすら感じられる、重く苦しい歌い方だった。
ラストコンサートは、通常より一時間ほど長い特別なもの。
その為、休憩時間があり、ロザリアも少し席を外した所をデヴィッドに捕まって今に至る。
そして、ロザリアは今絶賛パニック中だ。
(想いを伝え合って愛し合った!? 他の男!? 遊びってなに!? 一度しかお会いしてないわよ、ね? 誰かと間違えて……ないわよね!)
何も理解できない。
少し分かった事は、グロリアが言っていた事はどうやら正解だったという事と、デヴィッドがとても怒っているという事。
あと、分かりたく無かったが、どうやらアレクセイに愛を歌ったと誤解されている事。
始めて歌以外でしっかりデヴィッドの声を聞いたが、怒っているからか印象がガラリと違う。
正直怖い。逃げ出したい。しかし、デヴィッドの震えるほどの怒りの中に、辛そうな苦しみが見えてしまった。
怒られても幻滅されても良い。デヴィッドのその苦しそうな感情が少しでも楽になるなら。
ロザリアは勇気を出し、自分の想いを口にする。
「その、相手を思って作る愛の歌の話は、つい最近友人に聞いて知りました。私は知らなくて、ただ素敵な歌だなと思っていて……」
想いを口にしていくと、デヴィッドの表情は途端に曇っていく。
「教えて貰って意味を知ったのですが……ですが、お互いに言葉で想いを伝え合ったわけではありませんでしたので、勘違いでしたら失礼かと思いまして……。ですので、言葉で聞くまで、ファンサービスだったと思うことにしまして……」
「そん――」
「そんな方では無いと分かってはいます! でなければ、あれほど素晴らしい歌は歌えません。ですが、鳥の本能もありますが、人の心もあります。……獣人って厄介ですね」
上手く伝えられないと分かっていたロザリアは、この日の為にある物を準備してきていた。
常に持ち歩いていて良かった。
ロザリアは小さな袋に包まれたそれを出しながら、辿々しく想いを伝え続ける。
「私たちフクロウは、自身の羽根を贈り求婚いたします。ですが、生憎羽根がありませんので、デヴィッド様のお色のハンカチの隅に、フクロウの羽根の刺繍を刺して参りました」
すっとハンカチを差し出すと、デヴィッドは反射的に受け取り、見つめたまま驚き動かなくなってしまった。
そしてその隙にと、ロザリアは深呼吸すると、しっかりとデヴィッドの顔を見据えた。
「それがフクロウの気持ちを伝えるカタチ。そして」
もう一度深呼吸。
「デヴィッド様、はじめてあなた様の歌声を聞いたときから、私の心は決まっていたのかも知れません」
「これが、人の気持ちを伝える言葉」と結び、ニッコリと微笑むと、デヴィッドの顔がゆるゆると緩んでいく。
たまらずデヴィッドは、押し倒さんばかりに強くロザリアを抱き締めた。
「ごめん! 言葉が足りなかった。ごめん!」
何度も謝るデヴィッドに、ロザリアも何度も謝り返す。
「チケット経由で、誰が何処に座っているのか分かる。始めて見たとき、吸い込まれそうなその瞳が気になって、すぐにあなたの情報を調べて、ロザリアって名前を知って嬉しくて。綺麗な目が見えたらまた嬉しくて。いつの間にか夢中になって、それで」
うんうんと相づちをうつロザリアの声は、段々涙声に。
「僕の歌を歌ってくれて、伝わったんだって舞い上がっちゃって、大切な事を言葉で伝え忘れていて……」
ロザリアはもう、返事も出来ない。
「ロザリア、ロザリア。愛しています。僕の番になって欲しい。僕だけにその歌声を聞かせて欲しい」
溢れる涙に俯くも、デヴィッドがそれを許さない。
ぐいっと顔を上げられ見上げた先には、自分と同じくらい泣いているデヴィッドの顔。
アレクセイの事を馬鹿に出来ない。ロザリアも、同じ鳥獣人なのに習性を理解していなかった。
こみ上げてくる感情を抑えきれず、ロザリアは返事の代わりに、震える声で愛の歌を歌った。
コンサートの後半は、がらりと変わったデヴィッドの歌声に、会場中が湧いた。
胸に差したハンカチを時折撫でる姿が悩ましく、歌声も軽やかに伸びやかに。
割れんばかりの拍手の中、コンサートは大成功に終わった。
コンサートが終わりロビーに降りると、アレクセイが気まずそうに二人の後ろを駆け抜けていった。
振り返ると、変にすっきりした顔のグロリアと目が合った。
もしやと思い何かあったのかと問うと、まさかの答えが。
「休憩中に、上の階にいるアレクセイに婚約破棄を突き付けてきたの」
「え!?」
まだロビーにはまばらに人がいる状態。
一度人の居ない階段に戻ろうと背中を押すも、グロリアはカラッと笑って「大丈夫だから!」と気にもしない。
「だってね『鳥獣人はポップコーン臭い』なんて言うのよ!? 鼻なんて殆ど利かない癖に、肉食獣人以外を下に下にって! もう頭来ちゃって!」
「私の大切な友人が鳥獣人なのによ!?」と、おかしな理由に、ロザリアは思いきり吹き出してしまった。