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タンスの妖精~松井泰子編~

作者: 庄垣彬

     飼い主


「社長、本当に、これ処分してもいいんですか?」


「ああ」


「でも、もったいないですよ、まだ十分使えるのに」


「仕方ないだろ、売れないし」


「デザインもレトロっぽくって、いいと思うんですけどね」


「じゃあ、お前が買うか?それに、それはレトロじゃなくて古いだけ」


「置く場所がないからいいです」


「じゃあ、つべこべ言わないで、さっさと処分しろ」


「分かりました」


ここは、中古家具屋に隣接している作業場。


家具の修復、洗浄、そして売れなくなった家具の処理をしている。


今、処分をしようとしているのは洋服ダンス。


少し古め、木目が上から下に波打つように流れていて骨董品のように見える。


「もったいないような気がするんだけどなぁ」


若い作業員が処分するため、台車に乗せてあるタンスを奥に持って行こうとした時

店舗とつながる作業場の扉が開いて


「こんにちは、おじさんいる?」


若い女の子が作業場に入ってきた。


「久しぶりですね、元気でした」


「元気、元気、で、おじさんは?」


「社長ならあそこに」


若い作業員が指をさす方を見ると社長がトラックの荷台に乗っていた。


「ありがとう」


そう言って女の子はチラッと処理されそうなタンスを見て社長の方に行った。


社長はトラックの荷台に積んである家具を下ろそうと奮闘している。


「おじさん、おじさん」


「あん?」


「おじさん、久しぶり」


「おお、やっちゃん、元気が」


松井泰子、それが女の子の名前


19歳の大学生、ほっそりとした体形で身長は160㎝くらい

たまに広末涼子に似てると言われる事があるらしい(本人談)


「ねえ、おじさん」


泰子はちょっと甘えた声になり


「この間ね、引っ越しをしたのね」


「引っ越し?実家にいたんじゃないのか」


「そう、家から出て、大学近くのマンションに引っ越したの」


「よく、あの厳しい親父さんが許したな」


「説得するのに苦労したんだから」


「で、資金はどうしたんだ」


「もちろん、アルバイト、自分で出したんだから引っ越しのお金はって言いたいところだけど、少しだけおお母さんに出してもらったけれど」


「そうか、1人暮らしは大変だぞ、まあ頑張れ」


「うん、頑張る」


「じゃあ、忙しいから」


「うん、じゃあ」


そう言って泰子が立ち去ろうとして


「じゃ、なくて」


もう一度振り向き


「お願いがあって来たの」


泰子は甘ったるい口調と上目ずかいでおじさんを見つめる。


「な、なんだ、金は貸さないぞ」


「お金じゃなくて」


「じゃあ、何?」


「引っ越ししてね、お金使っちゃったから家具を買えなくなっちゃって」


「で、何?」


「だ・か・ら」


「だから」


「家具ちょうだい」


「そうか、仕方ないなぁ、やっちゃんの頼みなら・・・って訳ないだろ、いくら親戚でも」


「えぇ~どうして」


「うちも商売なんだよ、親戚だからってタダでやる訳にはいかないだろ」


「ケチ」


「あのなぁ、人生そんなに甘くはない、家具がほしかったらアルバイトで稼いでからまたおいで」


作業場の奥から


「社長、このタンス、解体するんですか?」


「おう、解体して焼いてくれ・・・・ちょっと待てよ」


社長がトラックの荷台から飛び降り


「やっちゃんおいで」


社長が泰子を手招きして作業場の奥に連れていく。


「なによ?」


奥に行くと今にも若い作業員がタンスをばらそうとしていた。


「ちょっと待ってくれ」


「はぁ?」


作業員は手を止めて社長を見る


「やっちゃん、これはどう?」


「えっ?」


「このタンス」


「これぇ・・・う~ん、ちょっとデザインが、イマイチかなぁ」


「なに贅沢を言ってるんだ、古めだけどそれがレトロっぽいだろ」


作業員は“話が違う”と心で社長に抗議をしていた


「う~んでもねぇ~」


「3千円でいいよ」


「3千円?処分しようとしていたんでしょ」


「じゃあ、1500円でどうだ?」


「もう一声」


「仕方ないなぁ、1000円でいいよ」


「やったぁ、おじさんありがとう、チュッ、送料込みでお願いね」


「はぁ~それはキツイで」


「チュウしてあげたでしょ」


「おいおい」


社長はデレっとした顔で抗議しようとしたが


「これ、住所ね、じゃあお願いね」


泰子はそう言って住所の書いたメモを渡して走って作業場を出ていった。


「おいおい、やっちゃん」


デレデレした顔でキスされた所を押さえながら若い作業員の方を見て


「届ける準備しておいてくれ、えへへ」


「変態おやじ」


「何か言ったか?」


「いえ、何も」


  タンス到着


泰子の引っ越した所は中古家具屋から車で一時間半の所にあり、大学からは歩いて10分の所にある二階建ての1LDKで家賃が5万円、『アキカゼマンション』全8部屋、言ってみればアパートである。


そこの2階の階段を上がって一番奥の部屋が泰子の部屋になる。


玄関を入るとキッチン&リビング、キッチンの向かい側にバス&トイレがあり

リビングの奥、右側に6畳の和室がある、そこが泰子の寝室になる。


寝室は実家で使っていたベッド、鏡台があり、そして押入れがある。


そこに例のタンスを置こうと思っている。


「今日、来るのね、楽しみ」


引っ越してきて以来、段ボール箱に入ったままの服をベッドの上に広げて、タンスが来るのを待っていた。


ピン・ポン


「は~い」


「やっちゃん、持ってきたよ」


「ありがとう、おじさん」


「大きなマンションだと思ったよ」


「マンションでしょ、小さいけど」


「確かに、マンションて書いてはあったけど、どう見てもアパートだろ」


「うるさい、早く中に入れてよ」


「分かった、分かった」


おじさんは、若い社員と一緒に泰子の部屋のタンスを入れた。

所定の場所にタンスを置いてもらいすぐにおじさんと若い社員は帰っていった。


ようやくタンスの届いた泰子


見栄えはあまり良くないタンス、だけどなぜか嬉しくなってしばらく眺めていた。


「さて、服を入れようっと」


タンスの前に立ち扉を開けると・・・「ん?」


タンスの中、下に小さな紙が置いてあった。


「何、これ?」


泰子は紙を拾い上げて見てみると


『買っていただいてありがとうございます、あなたは命の恩人です、この恩は一生忘れません。本当にありがとうございました』


「何、なんなのこれ?前の持ち主が忘れて売ったのかな?」


泰子は深く考えないで紙をゴミ箱に捨てて服を入れ始めた。


そんなに多くない服の量、タンスの中は大分余裕がある。


「これで、スッキリー」


そう言ってベッドに体を投げ出した。


開いている窓から心地良い風が部屋に吹き込んできる。


「はぁ~いい気持ち」


落ちつた雰囲気の中


「ふぁ~」


泰子はあくびをして


「ぐぅ~」


眠りに落ちてしまった。


ゴトゴト、ゴトゴト


キィー


「はぁ、やっぱりええなぁ家の中は、あんな埃っぽい工場みたいな所はたまらんわ」


男がタンスの中から出てきて体を伸ばして。


コキッ、コキッ


首を左右に振ると骨が鳴る。


「やっぱ久々やし、こってるなぁ」


そして


「今度はこの子か、うん、なかなか可愛いやん、それに若いし、前はなぁ・・・」


男は寝ている泰子の顔を覗き込んで


「そや、身だしなみ、身だしなみ、この子は命の恩人やし、ちゃんとしとかんと、捨てられたら大変やしな」


そう言って泰子の鏡台に向って身だしなみを整える。


「ふふふ♪~」


男は鼻歌を歌いながら鏡に向かって髪の毛を整えている。


「この髪型でいいんやろか?オールバックの方が俺に似合ってるんとちゃうかな?」


そんな独り言を言いながら、男は手のひらで髪の毛を後に持っていってポケットから髪を後で止めるためのゴムを取りだそうと一瞬、鏡から目を離し、再び鏡を見ると


「あっ!」


ガツン


「うっ・・・」


バタン


泰子がゴルフのクラブを男の頭に振り落とし、そして男は気を失って倒れてしまった。


そして泰子はすぐに警察に電話をした。


「もしもし、警察ですか、今、家に怪しい男がいます、すぐに来てください」


泰子は男の手足を縛って動けなくして、警察が来るのをリビングでゴルフクラブを手に待っていた。


数十分後、警官2人が玄関に到着


ピンポン、ピンポン


「はい」


泰子が急いで玄関に行き警官を招き入れて


「こっちです、男がそこに」


泰子は縛られて寝ている男は指さす


「はぁ、どこにいるんですか?」


警官2人は泰子の寝室を見渡しながら


「どこにも居ないじゃないですか」


「い、いや、そこに寝ているじゃないですかぁ」


「だから何処に?」


「だからここに」


泰子はゴルフクラブで男の体をツンツン突きながら言う


警官は泰子の指している場所を見て頭をかしげ


「そこ?・・・・何もないですけど」


「えっ?見えないんですか?」


「見えないって、何もないよな」


1人の警官がもう1人に同意を求めると


「ああ、見えないな」


「ウソ、ここにいるのに」


「あのね、何もないのに呼ばないでくれるかな、こっちも忙しいから」


「何もないって、居るじゃないですか黒いスーツを着た男が、ほら、ここに」


今度は、ゴルフクラブのグリップの方で男の横っ腹をつつく。


「うぅぅ」


男はたまらず呻く。


「まあ、今回は許しますが、今後、何もないのに我々を気軽に呼ばないでください」


「何を言ってるんですか、ここの、居ますって」


「だから、それ以上言うと、逮捕しますよ」


「えぇ、そんな」


「女性の1人暮らしで不安なのは分かりますが、僕達も忙しいんでこんな事で呼ばないでくださいね、お願いします、これで帰りますから」


警官2人はそそくさと帰って行った。


「えぇ、ここに居るのに、どうして?分かってくれないの」


泰子は泣きそうになりながら、自分の寝室で横たわる男をリビングから見ていた。


「うぅぅ」


男の意識が戻りかけると


泰子はゴルフクラブを剣道の構え様に男に向ける。


「イタァ、なにすんねん」


男が目をさまし、泰子の方を見て言った。


「あなた誰?どうして私の部屋にいるのよ」


「これ解いてくれへん、これじゃ動けへんし」


「ほ、解く訳ないでしょ」


「なんで?俺、何もしてへんし」


「何もしてない?勝手に私の部屋の入ってきてるじゃない」


「めんどくさいなぁ」


「何がめんどくさいのよ」


「しゃないか、命の恩人やし、説明せな、やっぱ分かってくれへんしな、人間は」


「何言ってるのよ、命の恩人??あっ」


「あの、手紙見てくれた?」


「み、見たけど、あれあなたか書いたの?」


「おお、そうやぁ俺が書いた」


嬉しそうに男が言う


「そやし、これ解いて・・・ね?」


男は、頭を横に傾け可愛く(つもり)言う


「なにが、そやしよ、そ、それに可愛く言ったつもり、キモイだけじゃん」


「な、何がキモイねん、男前つかまえて」


「はぁ?男前?何処にいるんですか、その男前って」


「そやし、ここに」


男は縛られた腕を自分の方に向けて言う


「私の見えているのは、人に家に不法侵入しているスケベな男だけだけど」


「あのなぁ、誰がスケベなん?もしかして俺?あほな、腐っても俺、妖精やで」


「腐った妖精?」


「ちゃうちゃう、腐ったって言うのはたとえで、俺は妖精やって言うてんねん」


「証拠は?」


「だから、解いてくれたら証拠見せれるって」


「じゃあ、腕のだけ解いてあげる、でも何かしようとしたら許さないからね」


「分かったから、はよ、解いて」


泰子はゴルフクラブを男に向けながら近づく


そして、男の前まで行くと、腕だけ伸ばして男を縛っている紐を緩め、そして急いでまた

リビングに戻る。


「はぁありがとう、これで証明できるわ」


そう言いながら足も解こうとすると


「足はまだよ、あなたが妖精だって事が証明出来てから」


男は両手を広げて


「わかりました、じゃあ、このままで見せるわ」


男はそう言って、まず上着を脱ぐ


「な、なにしているの、やっぱ私を」


「あっ、そうか、そう言えば前に同じ様な事が・・・じゃあ、向うむいて脱ぐから背中を見ててや」


男は泰子に背中を見せながら上着を脱ぎ、ワイシャツも脱ぐ


「ほら、背中に羽があるやろ、小さいけど」


パタパタパタ


背中に一対の透明の羽、光の加減で虹色に光る。


「こ、これが?」


泰子は興味津々で男に近づいてくる。


「ほら、親指程やけど綺麗やろ、これが妖精の証拠や」


「親指?確かに小さいけど指2本位あるよ」


「えっ?ほんま・・・マジで、うそ?」


「本当だよ、鏡で見れば」


「おお、そやな、鏡、鏡」


男は鏡台に行こうとしたが


「ワァ」


ドテッ


足を縛っていたためこけてしまった。


「足、足」


「ああ、分かったわ、解いていいよ」


男が足の紐をほどき嬉しそうに急いで鏡台の前で背中を鏡にうつす。


「おお、大きくなってる・・・なんで、大きくなってるんやろ・・・ん~ん??」


男は鏡台の前で考えている。


「ねえ、この羽、本物?」


泰子は羽をつまんで引っ張る。


「イタッ、やめてくれぇ」


「あっ、ごめん」


「羽は妖精の命やで、むやみやたらに触らんといてくれる」


「ごねんなさい」


「よろしい、許そ」


「ありがとう・・・って、どうして私が、あなたが偉そうにしてるのよ」


「いや、羽を君が引っ張るから」


「元はと言えばあなたが人の家に勝手にいるからでしょ」


「勝手にって失礼な、俺は君に買われたからここにいるんや」


「私に買われたって何?もしかしてタンス」


「そう、俺はタンスの妖精やははは」


「タンスの妖精?どうしてタンスなの」


「しらんがな、たまたま、タンスになったんや」


泰子は頭がこんがらがってきている。


「まあ、何の妖精かはどうでもいいは、あんたは・・・あっ、名前は?」


「泰子、松井泰子」


「泰子かぁじゃあ、ヤーさんにしようこれから」


「はぁ?ヤーさんって、やよ」


「いいやん、暴力的やし」


泰子はその言葉にゴルフクラブを振り上げる


「冗談です、はい、泰子様」


「それで、よし」


泰子は仁王立ちをして、男を見下ろしている


「ところで、あなたの名前は?」


「俺、そうやな、俺はダンちゃん」


「ダ、ダンちゃん?」


「そう洋服ダンスのダンちゃん」


ダンちゃんはこのフレーズが気に入ってしまっていた・・・前回から


「ダンちゃんね、ダサい」


「今、なんて?」


「だから、ダサい名前って」


「・・・」


ダンちゃんは体育座りの状態で人差し指で床をさすりながら


「なんでウケへんねん、俺ってそんなにオモロないかな・・・妖精界の爆笑王やのに」


「あのぉ~ちょっといいですか」


泰子がすねているダンちゃんに話かける。


「・・・」


「その、妖精界の爆笑王って誰が言ったの?」


「俺」


「・・・自称かい」

泰子はあきれてしまった。


「ところで、ダ、ダンちゃん、これからどうするの」


「これから?ああ、ここで暮らしますよ、泰子さん」


「だめよそれは、私1人だし、女だし」


「大丈夫、俺、女性に興味無いし」


「えっ?」


「俺は妖精やし人間に興味が無いって事や」


「でも、あなたは男でしょ」


「ああ、まあ格好は男やけど、心は乙女よ、ウッフン」


「キモッ」


「ガァ~ン、またウケへんかった、うぅぅ」


「もう、面倒臭いなぁ、ほんと」


仕方なく泰子がダンちゃんをなだめる羽目になった。


「もう、分かったから、面白いって」


「そやろ、おもろいやろ、俺って」


一瞬で立ち直ったダンちゃんだった。


そんな事をしている間に夕方になり


「あぁぁ、もう5時回ってるじゃん」


「それが?」


「お腹すいたよ、何か買ってこなきゃ」


「ああ、それだったら俺が何か作ろか?」


「えっ、いや・・・」


「ちょっと冷蔵庫の中、見せてもらうよ」


「そ、それは、ちょっと」


泰子がダンちゃんを止めようとするが、構わずに冷蔵庫を開けると


「なんやこれ、入ってるのジュースとお茶だけやん」


「いやぁ~引っ越しして間もないし、それに忙しくて作る暇が・・・てか、どうして私が言い訳しなきゃいけないの」


ダンちゃんは泰子の言葉を無視して


「どないしよう、そや、何が食べたい?」


「えっ、なんでもいいけど」


「そう、そやったら、挨拶代わりにカレーなんか作ろか、材料こうおてきて」


「えっ、私が?」


「そや」


「どうして?」


「俺、お金持ってへんし、それに外に出る事できひんから」


「どうして?」


「外に出たら、俺、溶けてなくなってしまうねん」


「そう・・・じゃあ、一緒に行こうか」


泰子はそう言ってダンちゃんの腕を取って一緒に外に出ようとした


「うそ、うそです出れますから、でもいいの俺が一緒に行っても」


「どうして、私1人じゃ、何を買っていいか分からないよ」


「分からないって、作った事ないん?」


泰子ははずかしそうに


「うん」


「しゃーないな」


ダンちゃんは頭を掻いて


「いこか」


2人はアパートを出て、近くにあるスーパーに行った。


道中、泰子意外ダンちゃんに姿は見えない(たまに見える人もいるようだけど)


「久々や、外歩くん、夕日がまぶしいわ」


ダンちゃんは目を細め太陽を見る


「どのくらい、外に出てないの?」


「えっ、そやなぁ・・・忘れた」


ズルッ


「ヤーさん、あまり僕の方見いひん方がいいんとちゃう」


「ヤーさん違う、そんな呼び方やめてよ、本当に」


「名前はいいけど、マジで僕の方見いひん方がいいで」


「どうして?」


「周りの人が変な目で見てるから」


ダンちゃんの姿は泰子以外は見えない、だから他の人から見れば泰子は隣の空間に話しかけながら歩いている様に見えてしまっている。


だからすれ違う人たちは泰子の事を変な目で見て通り過ぎていっていた。


「あっ、そうか」


泰子は急いで前を向き急ぎ足でその場から離れていった。


スーパーに着き食品売り場でダンちゃんに指示で泰子が食材を買っていく。


お金も泰子、そして帰り道で荷物を持つのも泰子、ダンちゃんが持てば荷物だけ浮いているように見えるからだ。


アパートの部屋に帰って来ると


「はぁ~重かった」


「ごくろう」


「なに偉そうに言ってるのよ」


「まあまあ、美味しいカレー作ってあげるから」


「美味しくなかったら、許さないからね」


そう言って泰子は寝室に行ってベッドで横になった。


ダンちゃんは手早くカレー作りに取り掛かる


ザク・ザク・ザク


コンコンコンコン


小気味いリズムの包丁の音


泰子はその音を聞きながらいつの間のか眠っていた。


1時間程して


「ヤーさん、ヤーさん、できたで、ヤーさん」


「その呼び方はやめてって・・・グゥ~」


「ほんま、もう、しゃーないな」


ダンちゃんは泰子の耳元で


「愛してるよ、泰子」


なぜかそう言うと


「ワァ」


泰子は飛び起きる。


「な、なに?」


「カレー出来たで」


「そ、そう、ありがとう、プッ」


泰子が噴き出す。


「なんや、何がおかしい」


「だってスーツにエプロンって」


「しゃーないやん俺の服これしかないねんし」


「あははは、やっぱおかしいよ」


「もう、どうでもいいし、早く食べ」


「は~い」


泰子は素直にリビングのテーブルに着く。


テーブルには美味しそうなカレーとサラダが置いてある。


「わあ、美味しそうね」


「見た目だけやないで、まあ食べてみ」


「うん」


泰子が一口カレーを食べると。


「美味しい、めちゃ美味し」


「そやろそやろ、美味しいやろ」


「どうして、こんなに美味しく出来るの?」


「それはやな、隠し味がきいてるんや」


「隠し味・・・もしかして「俺の愛情」なんて言わないよね、ま・さ・か」


いたずらっ子のような目で泰子が言うと


「な、何をゆうてんねん、そ、そんなベタな事、俺が言うわけないやん」


「じゃあ、隠し味は?」


「・・・」


「隠し味は、なんなの?」


「・・・」


「ねえ、隠し味」


「ぐぅ~」


「寝るなぁ」


「すみません、何も思い浮かばなかったです、うぅぅ、修行しなおします」


「なんの修行?妖精なのに」


「そうやな、俺妖精やし、お笑の修行はいらんわな、ははは」


乾いた笑いのダンちゃん。


そんなダンちゃんを無視して泰子はカレーを食べていた。


「はぁ~お腹おっぱい、ほんと美味しかったよ、ありがとう」


「どういたしまして、明日もたべれるように作ってるから」


「明日も、嬉し」


「明日の方がもっと美味しいよきっと」


「うん」


ダンちゃんは泰子の笑顔が嬉しかった。


「そう言えば、ダンちゃんは食べないの?」


「ああ、俺は食事、しいひんから」


「そうなの?」


「食べ物不要」


「じゃあ、どうして生きているの?」


「タンスやし」


「えっ、タンス?」


「そう、タンスが何か食ってたら怖いやろ」


「てか、今、目の前にいる事が怖い様な」


「ははは、それもそうやな・・・うぅぅ」


「慣れたし、もう大丈夫、今は」


「そう、おおきに」


そして、ダンちゃんが後片付けをし始める。


泰子はダンちゃんの後姿を見ながら


「ねえ、どうして関西弁なの?」


「えっ」


「タンスの妖精って言うのは不思議だしよく分からないけど、どうして話す言葉が関西弁なのかなって」


「ああ簡単な話や、タンスが作られている材料が関西の木やし」


「それだけ?」


「そや、何かおかしいか?」


「どこの木も一緒じゃないの」


キッチンに向かっていたダンちゃんは振り向いて


「そやし、人間は先入観でしか物言わへんし困ったもんやねん」


「なによ先入観って」


「木も生えた所で方言がでるねん、まあ、土地柄って言うやつ」


「じゃあ、関東の木なら、標準語だったりするの?東北なら東北弁とか?」


「まあ。そう言うこっちゃな、そやそや、最近は外国産の木を使った物あるからなぁこれがまたややこしい」


「どうして」


「外国産は言葉が分からへん、国産の木と外国産の木を混ぜて使われた日にゃ妖精が2人いたりして、おまけに言葉が分からへんもんやから喧嘩しても喧嘩にならへん、その内訳が分からんようになって、はよ壊れるらしいで」


ダンちゃんの話しに泰子は理解不能になってポカーンとしていた。


「まあ、人間には分からへん世界なんかもしれへんな」


ダンちゃんは再びキッチンに向かい洗い物を始めた。


「そうや、お風呂沸いてるし、入ってきたらいいねん」


「えっ、そんな事までしてくれたの?」


「あたり前やん、俺、妖精やで」


「妖精とどういう関係?」


「関係無いです、はい」


泰子はあきれた寝室に着替えを取りに行く。


そしてリビングの横の風呂場に行く時


「覗かないでよ、絶対」


「はいはい、分かってますって」


「絶対だからね」


そう言って泰子はお風呂に入る。


ダンちゃんは洗い物に専念していた。


泰子は湯船につかりながら


「本当に、びっくりだよね、タンスの妖精って。せっかく1人暮らしを始めたのに、いきなり同棲みたいふふふ」


なんだか嬉しそうにしている。


「でも、顔はわりとイケ面?違うか、でも嫌いじゃにあなぁ、しばらくこのままでいいかも」


そう呟きながら長い時間お風呂に浸かっていた。


泰子がお風呂からあがると


「はい、風呂上がりの一杯」


ダンちゃんはリビングのテーブルに冷たい飲み物を置く。


「ありがと」


泰子は髪をバスタオルで拭きながら、冷たい飲み物を一気にコップ半分くらい飲む。


「プハァ、風呂上がりの一杯はいいわぁ」


「まるでおっさんやな」


「なにか、文句でも」


「いえ何もないです」


「で、これ何?」


「特製ジュース」


「特製?何が入っているの?」


「トカゲの干物、カエル心臓の干物、タンスにいた小さなクモを数匹、それから・・・」


「ゲェ、嘘」


「ははは」


「ほんと?」


「ウソ」


「もう、脅かさないでよ、びっくりしたぁ、で、何これ?」


「ただの、野菜ジュースやで」


「そう、でも美味しい」


泰子は嬉しそうに飲みほした。


「さて、俺はそろそろ寝る事にするか」


「えっ、寝るってどこで寝るの?」


「どこでって、ヤーさんのベッド、ウフン」


バシッ


泰子の平手が頭に飛ぶ。


「イタッ、冗談、冗談やって、ちゃんと自分の寝床のタンスで寝るから」


「タンス?ちょっと、タンスで寝るの?」


「おう、タンスで」


「でも、私の服、入ってるじゃん」


「気にしない、気にしない」


「気にするわよ」


「まあまあ、俺が入って閉めたら覗いてみ」


そう言ってダンちゃんはタンスに入って行って


「じゃあ、休み」


そう言って扉を閉めた。


「えぇ~」


部屋の中が静まりかえる。


「仕方ないなぁ」


そう言って泰子がタンスの扉を開けると


「えっ、本当、いない」


掛けてある服をかきわける


「えっ、どこに行ったの?」


何度も探すが中は服だけしかない。


泰子が扉を閉めると


キィー


静かに扉が開いて


「分かった?じゃあお休み」


「えっ、ねえ、ダンちゃん」


泰子がダンちゃんを呼びとめるが扉が閉まってしまいダンちゃんの姿が消えてしまった。


「もう、勝手なんだから・・・ちょっと怖いよ」


今更、泰子はダンちゃんの事が少し怖くなった。


しばらくどうしようか考えていたけれど、時間も遅くなったから寝る事にした。


泰子はベットに入って考える


「ダンちゃんって本当に妖精なのかなぁ、あそこで寝てるんだよね」


暗闇の中で黒い影の様に見えるタンス


「襲われたらどうしよう、今夜は眠れないかもしれない、そうだ、クラブを枕元に置いておこう」


泰子はクラブをベッドの横に置いて


「よし、これで襲ってきても大丈夫」と1人で納得して横になると


「さて、寝よう」


しばらくタンスを見つめ、そして考え事をしていると泰子は自然に眠りに落ちていった。


   心配事


翌日


ピィピィピィ・ピィピィピィ


「うぅぅぅ」


バシッ


枕元に置いてある目覚ましが時計が泰子が叩いた激しい衝撃で一瞬秒針が止まる。


「はぁ~あ、よく寝たぁ」


気持ちのいい朝が泰子に訪れた。


爽やかな風が白いカーテンを揺らし泰子の寝室に適度の風がすき込んでいる。


外から聞こえてくる鳥の声、寝起きの泰子の耳に優しく入ってきた。


「ほんと、久しぶりに気持ち良く寝れたかも」


そう言って泰子はベッドから起き上がり寝巻のままリビングに入って行く。


「おはよ、ヤーさん」


「おはよう、ダ・ンちゃ・・・わぁ」


「どうしたんや?」


「何しているの?」


「何しているのって、ヤーさんのために朝食作ってるねん」


「朝食?」


「そう、パンとコーヒー」


泰子はテーブルを見て驚いている


「そんな事より、頭ボサボサやで、ヤーさん」


「イヤァ」


泰子は寝起きの自分を人?に見られた事に恥ずかしくて洗面所に急いで入っていった。


「もう、朝から・・・」


泰子はぶつぶつ言いながら顔を洗い、髪の毛を適当に整えると洗面所から出てきて


「もう、私より早く起きるなら言ってよ」


「なんで?」


「寝起き、恥ずかしいじゃん」


「恥ずかしいって、俺とヤー??あれ?ヤーさんやな、君」


「そうよ、どうして」


「眉毛無いし、別人やと思た、ははは」


バギッ


「うぅぅ」


泰子の拳がダンちゃんの顔面をとらえた


「失礼ねもう」


「ずみばぜん」


ダンちゃんは鼻を押さえながら謝った


「でも、ありがとう」


「どういたしまして」


泰子は朝食を終えて寝室に入って行く


「着替えるから、こっちに来ないでよ」


「分かっております」


ダンちゃんは片付けを済ませリビングでTVを見ていた。


しばらくすると出かける用意を済ませた泰子がリビングに入ってくる


そして


「後、お願い」


そう言って部屋を出ていった


「行ってらっしゃーい」


ダンちゃんがちょっと寂しそうに言った。


泰子が大学に着き午前の講義を受け昼は学食で高校からの友達、三田和代と友坂百合、3人で食事をしていた。


「そう言えば泰子、1人暮らしはどう?」


和代が唐突に言ってきた。


「まだ始めたところだし、どうって言われても」


泰子は色んな事が浮かぶ頭で答える。


「1人暮らしかぁ私もしたいなぁ」


坂百合が羨ましそうに言っている。


「でも大変なんだから、掃除や洗濯、それに・・・」


泰子が言いかけて止めると百合が


「なに、それにって、他に何があるの?」


「食事の用意も自分がしなきゃいけないって事でしょ」


和代がフォローの言葉を言うが


「それもそうだけど・・・」


「なによ、私がせっかくフォローしてあげてるのに、他に何かあるの?」


不満げに和代が言うと


「そうじゃなくて、でもそうなのよね食事も、考えてみれば」


泰子はダンちゃんが作ってくれている事を考えていた。


「なに、何か変よ泰子」


「そうなのよね、考えてみれば変なのよね」


泰子は和代の言葉を聞きながら遠い目でつぶやくように言った。


「ねえ泰子、聞いてるの?ねえ」


和代が泰子の肩を揺すりながら言うと


「えっ?何、何か言った」


「もう」


和代はふて腐れて顔を背けた。


「ごめん、ごめん、ちゃんと話しを聞くから、和代許して、ごめん」


「許さないから、泰子はいつも突然考え事をして人の話を聞かないから」


「だから、ごめんって今度はちゃんと・・・」


そう言い掛けた時に2人の会話に割り込む様に百合が


「ねえ、泰子の部屋に行かない?引っ越し祝いに」


「えっ?」


百合の言葉に泰子は一瞬動揺した。


「いいわねそれ、賛成、」


一瞬で機嫌が直った和代が百合の提案に賛同した。


「えっ?そんなの急に言わないでよ、こっちだって都合があるんだから」


「何焦ってるのよ泰子、何か都合の悪い事でもあるの?」


和代は意地の悪い目で泰子に詰め寄る。


「そ、そんなの無いわよ、そんなの」


泰子は和代の顔が目の前に来てビックリしてのけ反り、椅子から落ちそうになった。


「もしかして、男が一緒だったりして」


泰子と和代が同時に百合の方を見て


「泰子が男とぉ~」


「百合そんな男いないよ」と同時に言った。


「まあまあ、部屋に行ったら分かるんじゃない、男と一緒に住んでいたら」


百合が冷静に言うと


「そうよね、泰子が男と一緒に住んでいたら何かが置いてあるよねきっ・・・でも泰子は男っぽいから部屋に行っても分かるかしら」


和代が腕を組んで変なところで悩んでいる。


「分かったわよ、来たらいいでしょ来たら分かるわよ、男なんかいないって事が」


泰子も勢いで言ってしまった。


その日は夕方からアルバイトがあるからと週末に部屋に呼ぶ事になってしまった。


昼からの講義も終わり、泰子はアルバイトに向かった。


泰子がアルバイトをしているカフェは夕方に時間帯でも人気がある店なのか込み合っていた。


忙しく動き回る泰子は時折時間が空いた時に溜息をついて、また動き回ると言う動作を繰り返している。


「松井さんどうしたんだい、溜息なんかついて」


声をかけてきたのはバイト先の先輩でチーフの岬博だった。


博は20歳で違う大学に通っていて、一年早くこの店でアルバイトをしていて泰子にとっては頼れる先輩だ。


決して男前ではないけれど細身で背が高く、何より優しい


泰子にとってバイト先で一番気軽に話しのできる人だった。


「えっ、ああ、なんでも無いです」


自分の仕草を見られていたと思って泰子はちょっと恥ずかしかった。


「そう、それならいいんだけど」


「あっ、でもどうして」


「いや、仕事の合間に何度も溜息をついていたから気になって」


“えっ、もしかしてずっと見られていたの”そう思うと恥ずかしくなって今すぐ帰りたくなってきた。


「すみません、仕事中なのに」と泰子は真っ赤な顔を見られない様にうつむいて謝った。


「いやいいよ、仕事はちゃんとしていたから、ただ何かあったのかなって思っただけだから」


「すみません」


そして再び店内が込み始め泰子は忙しく店内を動き回っていた。


4時間程のバイトが終わり泰子は店を出て最寄りの駅に向かって歩き始めていた。


「松井さん、お疲れ」


「ひっ」


不意に後から博の声が近づいてきて一瞬泰子の体はビクっとなる


「お疲れさまです」


強張った顔で泰子が言うと


「ビックリさしてしまったかな、ごめん」


「いえ、急に声がしたから、今帰りですか」


「ああ、駅まで一緒に帰ろうか」


「はい」


何気ない話しをしながら長い駅への道が、今日は妙に短く思えた泰子だった。


自分の部屋の前まで帰ってきた泰子は「はぁ」と溜息をついて部屋の鍵を開ける。


ドアを開けたとたん


「お帰り~ヤーさん寂しかったわ」と目いっぱいに笑顔で出迎えるダンちゃんがキッチンに立っていた、スーツにエプロン姿で。


「はぁ~いるんだもんねこれが」


泰子はダンちゃんの姿を見て、また溜息をついた。


「どうしたん、元気ないなぁ」


「疲れただけ」


「そ、そう、じゃあ飯にするそれともお風呂にする」


新妻の様な言い方をするダンちゃんに


「お風呂に入る」


泰子は不機嫌な振りをしてお風呂に向かった。


風呂場に入った泰子の耳に、キッチンで何かをしながら鼻歌を歌っているダンちゃんの声が小さく聞こえてくる。


「どうしよう、和代と百合が来たらダンちゃんの事ばれるかも」


色んな事を考え、色んな事を思っている内に泰子のお風呂が長くなっていた。


泰子がお風呂に入ってから一時間程経過していた。


ダンちゃんは泰子が買ってきていた女性誌を読みながら最近の女の子のファッション傾向や何が流行っているのかを研究??していた。


「あれ?そう言えばヤーさん遅いな」


いつもなら大体風呂場に入ってから30分程で出てくるはずの泰子が1時間30分過ぎても出てきていない。


「まさかねぇ」


泰子の元気の無かったのが気になり心配になってきたから風呂場を覗いてみる事にした。


脱水所に行くと泰子の姿は無く、脱いだ服と下着が無造作に置いてある。


風呂場の中からは物音1つ聞こえてこない。


「ヤーさん」


「・・・・」


「ヤーさん、大丈夫?」


「・・・・」


中からの泰子の返事も動く気配も感じられない。


「まさか、ヤーさん」


そう言って勢いよく扉を開くと泰子が湯船の中でぐったりしている様に見えた。


「大変や、ヤーさん、ヤーさん」


ダンちゃんはすぐに泰子の側に近づき声をかけると


「うぅぅ」と呻くだけで目を開けようとしない。


「ヤーさん、ヤーさん」


今度は泰子の肩に手を置き体を揺らしながら声を掛けると


「うぅぅ、何、もうそんな時間?」と言って少し目を開ける


「よかった、寝てただけか」


目をさました泰子は


「今何時?・・・えっ?」


狭い風呂場、湯気の立ちこめる向う側にスーツ姿のダンちゃんの姿がぼんやりと見える


泰子は深呼吸をして思いっきり


「ギャー」


バギッ


「うぅ」


バタン


「な、なにすんねん、痛いやんけ」


「なによ、あなたこそ、どうしてここにいるのよ、やっぱ体が目当てだったのね」


湯船で体を隠しながら大声で泰子が言った。


「だから、ちゃうって、風呂が長いから大丈夫かなって思って声を掛けたけど何の反応も無かったし、興味無いけど中に入ったらぐったりしてる様に見えたし」


「そんなの分からないじゃない、興味が無いって言ったって、このナイスバディーを見たら」


「はぁ?なに自分で言うてんね、何がナイスなんや、そんなん興味ないわ、アホらしい」


「い、いいからもう出て行ってよ、ここから」


「ああ、出てったるわこんな狭い風呂場なんか」


ダンちゃんは起こって風呂場を出て行った。


「もう、覗くなんてひどい信用していたのに」


泰子は顔を手で覆って泣こうとした時、自分の手の指がふやけて白くシワシワになっている事に気が付いた。


「あっ、どの位私」と言って泰子は急いで風呂場を出て服を着て時計のあるリビングに向かった。


時計を見ると泰子が帰って来てから2時間が過ぎようとしていた。


「私、勘違いを」


泰子は部屋の中を見渡しダンちゃんを探したが狭い部屋だけど何所にも見当たらない。


タンスの方に行って扉に手を掛け、一度深呼吸して


「ごめん、ダンちゃん」そう言って開けてみたけどそこには服が掛っているだけだった。


「えっ、本当に出て行ったの、ダンちゃん本当に」


泰子はその場に座り込み、目に涙がにじみ始めた。


「ごめん、ダンちゃん疑ったりして、本当に、本当にごめん」


涙で震える小さな声でタンスの前で謝っている泰子の頭の上で


「まあ、分かったんやったらええは」


「えっ?」


泰子が顔を上げるとダンちゃんがタンスの中から顔を出して泰子を見ている


「わぁ~」


「なに、驚いてんねん、慣れてるやろ」


「な、慣れてるって言ってもいきなりだったらビックリするでしょ、もう」


泰子は涙を手の甲で拭きながらそう言った。


「なんでや、なんで泣いてるんや」


「泣いてないよ、お風呂から上がってすぐだから顔をまだ拭いてないだけよ」


「な~んもオモロないよそんな言い訳」


「いい訳なんか、してないもん、てかどうして裸なのよ」


「どうしてって、服が濡れたから着替えてる最中やし、仕方ないやん」


「もう、早く服着てよ」


泰子はそう言いながら立ち上がりリビングに向かった。


ダンちゃんは泰子を追いかける様にタンスから出てきてリビングに向かう。


「ところで、大丈夫なんヤーさん」


「何が」


「いや、そやかて風呂で寝てたし、それに元気無かったやん」


椅子に腰を掛けている泰子に冷蔵庫から飲み物を出しながらダンちゃんが心配そうに聞くと。


「う、うん」


ダンちゃんが泰子の前に飲みもを置くと


「ありがとう、どうしようダンちゃん」


「何が」


「友達がこの部屋に来る事になってしまったの、ダンちゃんがいる事が分かったら」


「そんな事で悩んでたん」


「そんな事って・・・だから早く服着てって」


「あっ、ごめん、ごめん」


ダンちゃんはタンスに入って数秒でリビングに戻ってきた。


「話し戻すけど、悩むでしょ、ダンちゃんと一緒に住んでる事がばれてしまうかも知れないのに」


「ははは」


「笑いごとじゃないでしょ」


「そやかて、そんな事」


「だから、何よそんな事って、こっちは真剣に悩んでいるのに」


自分に言ってる事をバカにされてるみたいで泰子は泣きそうになる。


「悩む必要なんてないやん、俺の姿はヤーさんしか見えへんねから」


「見えないってそ・・・・あっそうか、そうだ、そうだよね、ダンちゃんは私にしか見えないんだよね、もう心配して損したよ」


泰子は体の力が抜けた、そして


「はぁ、安心したら喉が渇いたよ」そう言ってダンちゃんが出してくれた飲み物を口元に持っていった。


「ははは、安心したやろ、まあ、見える奴もたまにはいるけど」


「えっ、どう言う事」


「いるやろ、人間の言う霊感?って言うのが強いとか言うやつ」


「うん、霊感の強い人はいるけど」


「そう言う奴は妖精も見える時があるかも」


「あるかもって、霊感の強い人って沢山いるよ、私の知ってる人もよく霊を見るって言ってるもん」


泰子は心配そうな顔で言った。


「ははは、本当に見える奴がぎょうさんいたらこの間買い物行った時にも俺の姿見えた奴がいるはずやん、本当に見える奴ってそうはいいひんて心配せんでも」


「それはそうだけど」


「まあ、ヤーさんの友達に霊感があったんやったらその時はその時、何か考えたらいいねん」


「そうだけど」


ダンちゃんは泰子をなだめるように


「もしそうだったら俺に任せとき、どないにでもなるって心配せんでも」


「う、うん分かった」


納得した泰子を見てダンちゃんは


「腹へってへん、なんか食べる?」


「うん」


ダンちゃんはキッチンで料理を始めた。


泰子はキッチンに立つダンちゃんの後姿を見てほほ笑んで


「ダンちゃん、ありがとう」


「なんかゆうた」


「なんにも」


「そうか」


「あっ!あまりカロリーの高いの出さないでよ」


「どうして」


「この時間に食べたら太るじゃない」


「もう遅いやろ」


バキッ


   友達の霊感


週末、泰子は出来るだけ和代と百合に会わない様にしていた。


だけど、夕方に大学を出ようとした時、2人に見つかってしまった。


「泰子、逃げてたでしょ」


和代と百合が仁王立ちで泰子の前に立ちはだかる。


「に、逃げてなんかないよ、たまたま会わなかっただけだよ」


「じゃあどうして、講義の時いつもの場所に座らなかったのよ」


そう言って和代が序所に近づいてくる


百合も和代に歩調を合わせ近づいてくる


泰子は後ずさりしながらどうしようか考えていた。


「そうだ、今日はちょっと用事が」


泰子がそう言った時には2人に脇を抱えられて


「さあ、泰子の引っ越し祝いに・GO!」


「いやぁ~」と泰子の叫び声が夕日に赤く染まる構内に響いて、そして消えていった。


スーパーで適当にお酒とおつまみを買って泰子のアパートに向かった。


アパートの近くまで来ると百合の歩く速度が少し遅くなっていて、だんだん前を歩く2人と距離が空いていった。


それに気が付いた和代が


「どうしたの百合、早く」


「う、うん」


泰子は百合の表情が少し曇っているのに気が付く


“まさか百合に霊感があってダンちゃんの事に気が付いたの”そう思いながらも目いっぱいの笑顔で


「ほら、もうすぐだよ、恥ずかしいけど私のお城に招待するんだから楽しんでよ」


「う、うんそうだね」


百合も笑顔を作って言ったが、泰子には何かを決心したかの様に見えた。


アパートに着いて二階を見上げた百合の顔は少し引きつっている。


その表情を見て泰子は不安がだんだん大きくなって息苦しくなりそうだった。


そんな2人にも気が付かず和代は鼻歌交じりにアパートの階段を上がっていった。


部屋の前まで来て泰子が扉の鍵を開けると、部屋の空気が一気に外へと流れだし3人の体を包み込んだ。


いつもの事と泰子は部屋に入って行く、和代も続いて部屋の中に、でも百合だけが扉の向こう側で動こうとしない。


「どうしたの、百合、やっと泰子の汚い部屋に来たのに、早く入りなよ」


「汚いって何よ、ちゃんと掃除(ダンちゃんの仕事)をしてるんだから」


百合は「うん」と言って渋々部屋の中に入ってきた。


和代は泰子の部屋のチェックに余念がなく、あれやこれやとイチャモンを付けているがそれが楽しそうに見える。


百合は部屋の中を用心深く見渡していた。


“やっぱ、百合は”そう思いながら泰子は寝室の方を見ると誰の姿も無い。


“ダンちゃんはタンスの中に居るのね、よかった”


和代の部屋のチェックもようやく終わり、食事を始める事にした。


キッチン側に泰子と百合、寝室に背を向ける形で座っているのが和代と言う配置で。


3人であれやこれやと言いながら夕食を作り、ガールズトークに花を咲かせながら食事をしていると、百合も最初は静かだったけどだんだん普段の明るい百合に戻っていった。


そして、お酒が入って来ると、いっそう話しに熱が入り3人は途切れることなく言葉を発していた。


酔い始めた和代の恋愛話や元彼の話に後の2人が同調したり意見を言ったりして騒いでいると急に百合が言葉を発しなくなった。


和代は気が付かず、そのまま話しを続けているが泰子は不思議に思い百合の顔を覗き込むと目を見開き恐怖におののいて一点を見つめていた。


百合の見つめている方を見ると、ダンちゃんが忍び足でタンスの方から出てきていた。


「プッ」


泰子はその姿が可笑しくて吹き出しそうになるが百合の表情はこわばり、口元で何かを言っているように見えた。


「ねえ、百合どうしたの」


泰子は吹き出しそうになりながら百合に言う、和代は相変わらず1人で元彼の愚痴を言っていた。


「見える、見えるの、この部屋に霊が」


「えっ、部屋に霊がいるの、何怖い事言ってるのよ」


泰子は百合の真剣な表情に不安を感じた。


「私、霊感があるの、だから見えるのよ、男の霊が向うの部屋にいるのが」


「嘘、私には見えないし、そんなの居る訳ないじゃん」


「泰子には見えないだろうけどそこに立っているの」


百合がダンちゃんの居る方を指でさす。


「大丈夫、私除霊もできるから、このままじゃ泰子が大変な事になっちゃうし、ちゃんと供養してあげる」


「だめ、そんな事、何も居ないから」


泰子の声に耳をかさず、百合はお経を唱え始めた。


「止めて、百合、止めて」


泰子の声は百合には聞こえない。


百合の声がだんだん大きくなり始めた。


泰子が寝室に居るダンちゃんを見ると、苦しそうに両手を首元で押さえ呻いている


「だめ、だめ、止めて、これ以上はだめぇ~」


「はぁ~エイッ」


百合は腕を大きく上から下に振り、次の瞬間、自分のバッグから塩を取り出し寝室に向かって振り始めた。


ダンちゃんは苦しみながらだんだん体が透けていく。


「いやぁ・止めて、お願い百合、もう」


泰子がダンちゃんの姿を見た時、ダンちゃんの体は消えそうに透けていきそして空気の中に吸い込まれる様に消えて行った。


「だめぇ~」


泰子は寝室のダンちゃんが消えて行った所に駆け込み、そして消えた場所で泣き崩れた。


百合はその姿を見て呆然としている、その横で和代は話し疲れたのかいつの間にか眠っていた。


「泰子、ねえ泰子大丈夫」


百合は泰子の異常な程の行動を見て心配しながら近づこうとすると


「帰って、もう帰って、この部屋から出ていって」


半狂乱になった様に泰子が叫ぶ


「泰子あなたは」


「お願いだからもう帰って」


百合は仕方なく寝ていた和代を起こす。


「何、どこにいい男がいるの」


「何寝ぼけてるの、帰るわよ和代」


「もう、帰るの、ズルッ分かったわ」


百合は自分の荷物と寝ぼけた和代を抱きかかえるようにして部屋を出て行こうとして


「泰子・・・」


そう言って部屋を出ていった。


1人になった部屋で泰子は堪え切れない涙が流れだしその場に泣き崩れた。


  復活


柔らかな風が泰子の頬を撫で通り過ぎていく。


窓の外からは鳥の鳴き声が心地良い朝を演出していた。


「うぅぅ」


泰子は寝返りを打ち目をさました。


寝ぼけた頭と、ぼやけた目に映ったのはキッチンに立つスーツ姿の男だった。


「えっ、ダンちゃん?」


泰子は夢を見ていると思い、目をこすりもう一度キッチンの方を見るとそこには確かに黒いスーツにエプロン姿のダンちゃんが立っていて料理をしている。


「ダンちゃん」


泰子はそう呟いて急いでベッドから飛び起き急いでキッチンに駆け込み後ろからダンちゃんに抱きついた。


「わぁぁ、グワァ」


「ダンちゃん生きてたのね」


「うわぁ」


「どうしたのダンちゃん?」


泰子が心配そうにダンちゃんに言うとダンちゃんはゆっくり振り返り腕を見せる。


「ギャー」


ダンちゃんの腕の先にあるはずの手がそこには無かった。


「いやぁ、いやぁ私のせい、ギャー」


大騒ぎの泰子に向かってダンちゃんが


「うそやで」


そう言って袖から手をパット出すと


バキッ


「うぅぅ」


「何よ、ビックリしたじゃない」


涙目で泰子がダンちゃんの顔面にパンチを入れた。


「酷い、ちょっとふざけただけやのに」


「何がふざけただけよ、心臓が止まるかと思ったじゃない、もう」


泰子は怒りながらも、いつものダンちゃんに嬉しくて変な顔になっていた。


ダンちゃんはキッチンに向き直りまた料理を始めた。


泰子はその姿を後からそっと眺めていた。


数分間、部屋にはダンちゃんが料理をする音しかしない。


泰子はその音を心地良く聞いていた、昨晩あった事が夢だった様に。


そして朝食が泰子の前に並んだ。


泰子は朝食に手をつけようとした時


「どうして」


「えっ?」


「だから、昨日消えたんじゃ」


「ああ、あれね」


「あれねじゃないでしょ、本当に消えたんじゃないかと思って心配したんだから」


「ごめん、まさかヤーさんが霊感のある子を連れてくるなんて思わへんかったから」


「私だって百合に霊感があるなんて思ってもみなかったから」


泰子はすまなそうに言った。


「でも、どうしてタンスから出てきたの、隠れていたらあんな事しなくてよかったのに」


「いやぁ、ヤーさんの友達ってどんな子かなって思って覗いてみたらちょっと可愛かったし、よく見たくて出て言ったら目が合って、マジ焦ったわ、ははは」


頭を掻きながらダンちゃん言うと


「何、女には興味がなかったんじゃないの」


泰子の声のトーンが1つ低くなる


「い、いやぁ、人間観察や人間観察」


「何が人間観察よ、スケベ、バカ」


「まあまあ、たまには違う人間も見たいし」


「わたしじゃ不満な訳」


「はははは・・・・ごめんなさい」


「よし、許す」


結局弱いダンちゃんが謝り泰子は気持ちよく食事を始めた。


「そうや、百合って言ったっけ、その子」


「えっ、うんそうよ」


「お礼言うときや」


「えっ、どうして」


ダンちゃんの言葉が意味不明で泰子は困惑している。


「彼女が除霊って言うのかな人間の世界では、それをしてくれたおかげで、この部屋にいた気持ちの悪いおっさんが消えていったし」


「えっ?今なんて言ったの」


「いや、いつやったかな、ヤーさんが帰って来た時に一緒にこの部屋に入ってきて、そのまま居ついとったんや、声を掛けても話しせえへんしずっとヤーさんの方を見てるし。どうしたものか考えていたんやけど、百合って子が来た時に何や嫌がって隅の方に隠れて」


「ちょ、ちょっと待って、それは真面目な話し?」


「ああ、百合って子には俺しか見えてなかったみたいやけど、除霊が始まった時おっさんが苦しみ始めたから、俺も苦しむ真似して、消えて行くから俺も消えた振りをしたんや、名演技やったやろ」


そう言ってダンちゃんが泰子を見ると、泰子は気を失っていた。


  始まり、そして


次の日からの泰子の生活はいつもの様に平穏??な日々が続いていた。


数日して、百合と和代とは大学で会った。


いつもの様に学食で他愛ない会話をしていた時、百合は泰子の様子をうかがう様な表情で見つめている。


泰子はそんな百合に気が付いた。


「この間はごめんね、百合」


泰子の言葉に百合の表情が緩んで


「うん泰子、もう大丈夫そうだね」


「なに、2人でなんの話しなの?」


酔っぱらって眠っていた和代には何が何だか分かっていなくて2人の顔を交互に見ている。


「和代には関係ないの、2人だけの秘密」


意地の悪い顔で泰子は和代に言うと


「なによ、私だけのけものなの、女の友情はどうしたのよ」


和代はふて腐れた顔でそっぽを向いた時、携帯電話の着信音が鳴り始めた。


「あっ、彼からだ」


ふて腐れていた和代の顔が目いっぱいの笑顔になって、立ちあがり携帯片手に学食を出て行った。


「和代ったら」


泰子は和代が出ていく姿を見ながら呆れていた。


「泰子、本当に大丈夫みたいだね、安心したよ」


優しい顔で百合が泰子を見つめていた。


「うん、あの時は驚いただけだと思う、自分でも分からなかったから」


「そうだね、でも泰子は憑かれやすい体質なのかもしれないから、気を付けていないと」


「そうなの、私」


泰子は今部屋にいるダンちゃんの事が一瞬浮かんで笑いそうになった。


百合にはダンちゃんが幽霊に見えていたと思うと。


「また、部屋に来てね、そうだ、今度は泊りにおいでよ朝まで色んな事話ししたいし」


「そうね、3人で」


「でもあの時の和代ったら・・・・・」


泰子と百合は電話で居ない和代の話で盛り上がっていた。


夕方になり泰子はアルバイト先のカフェで働いていた。


休む暇の無いくらい忙しく、4時間ちょっとの時間だけど終わる頃にはへとへとになっていた。


泰子のアルバイトの時間も終わり、休憩室に仕事終わりのまったりとした時間をコーヒーと共に過ごしていた。


「お疲れさま」


「キャ」


岬博が驚かす様に急に声を掛けて部屋に入ってきた。


「もう、ビックリするじゃないですか、岬さん」


「ごめん、ごめん、今日は忙しかったね、疲れただろ」


博の優しい声と言葉、そして優しい笑顔に気持ちが癒される様な気がした。


「本当に、忙しい日でしたね」


「そうそう、店長が褒めていたよ松井さんの事」


「えっ、どうしてですか」


「てきぱきと動いていて誰よりも早いし、何よりお客の受けもいいって」


「そ、そうですか、私は必死なだけですよ」


「僕も見ていて感心していたんだよ、まだそんなに日にちが経っていないけど、ベテランの様だって」


「えっ、そんな事ないですよ」


泰子はうつむいて恥ずかしそうに言った。


「まあ、始めの頃はドジばっかしていたけどね、ははは」


「もう、岬さん」


博のその言葉がなんだか恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。


「そうだ、これから時間はある」


「えっ?」


「僕も帰るところだし、お腹も空いただろうから食事なんてどう?」


「えっ、いや、でも」


泰子は困惑していた、男性からの食事の誘い、博は軽い気持ちで誘ったんだろうけど泰子の心臓はドキドキし始めていた。


「駄目かなぁ」


うつむいて何も言わない泰子に博は優しい声で聞いてきた。


「そうですね・・・」


泰子はドキドキしながら答えようとしたけれど、ふとダンちゃんの事が脳裏を横切った。


「ご、ごめんなさい、そう言えば家に友達が来る事になっていて、帰らなきゃいけないんです」


「そう、残念、じゃあ今度松井さんの都合のいい時に食事に行こうよ」


「そ、そうですね」


「それじゃ、先に帰るから、お疲れさま」


「お疲れさまです、あっ!」


「どうしたんだい」


部屋を出て行こうとしていた博が泰子の声に振りむいた。


「誘ってもらって、ありがとうございます」


「うん、じゃあ今度ね、お疲れさま」


「お疲れさまです」


博が部屋を出ていって泰子は体の力が抜けた。


「はぁ~、嘘ついちゃった」


泰子の心の中で後悔とか後ろめたさとか色んな重いが複雑に混じり合っていた。


帰りの電車の中、アパートへと続く道のり、そして自分の部屋の前に着くまでの間中溜息をつきまくっていた。


重たい気持ちのまま、泰子は部屋に入っていった。


「あれ?」


静まりかえっている部屋、しかも電気も点いていなくて暗い。


「ダンちゃん、ダンちゃん」


どう言う訳か不安に駆られた泰子は狭い部屋の中を見渡しながらダンちゃんの名前を呼んでみたけれど返事がかえってこない。


「えぇ、どう言う事、どうしてダンちゃんがいないのよ」


キッチンの電気を点け、まだ暗い寝室の方を見てみるけれどダンちゃんの姿はそこには無い。


「うそ、まさか出て行ったって事は、そんな事無いよね」


そう言いながら泰子は寝室の電気も付けて部屋中明るくして見てもダンちゃんの姿が見当たらない。


「そんな、ダンちゃんが出て行くなんて、嘘よ、ダンちゃん、どうして出て行ったのよ、ダンちゃんどうして、どうして、うぅぅ」


泰子は寝室に座り込み、どう言う訳か、自然に悲しくなってきて涙が流れ始めた。


「ダンちゃん、ダンちゃん」


「うるさいな、そんなに何回も呼ばんでも分かるっちゅうねん、せっかく寝てたのに」


「えっ?」


泰子は声のする方を見ると、タンス中からダンちゃんが顔を出し部屋を覗きこんでいた。


「ダンちゃ~ん」


泰子はダンちゃんの名前を叫びながら、勢いよくダンちゃんに抱きついて行った。


「わぁ」


ゴンッ


「うぅぅぅ」


泰子に抱きつかれたダンちゃんはその勢いで開いていたタンスの扉の角で後頭部をいやっと言うほど打ち付け意識が遠のきそうになった。


「ダンちゃん、ダンちゃん大丈夫?」


ダンちゃんが白目をむき意識を失いかけているのに気が付いた泰子が今度はダンちゃんの体を揺すりながら呼びかける。


「わ、わ、分かった、か、から、この揺れ、止めてぇ」


ダンちゃん言葉を耳にして泰子はようやくダンちゃんの体を揺するのを止め、見つめた。


「はぁ~死ぬかと思った」


「ダンちゃんごめん」


ダンちゃんはタンスの中から出てきて、泰子の前に座る。


「それにしても、どないしたん」


「だって、部屋が暗かったし、ダンちゃんが出て行ったと思って」


泣きそうな声で泰子が言う。


「出ていく訳ないやん、てか、出ていける訳ないやろ、ヤーさんの部屋のタンスがある限り」


「でも、そんな事私知らないから、それならそうと最初に言ってよ」


「分かるやろ、そんな事、俺はタンスの妖精やし、このタンスを置いてどこかに行けるはずないか・ら・・・・」


「どうしたの?」


泰子はダンちゃんが最後の言葉を濁した事が気になった。


「まあ、そう言う事やし、今はヤーさんの所から出ていく事は無いから安心してや」


「分かった、けど」


「そや、お腹空いてへんか、飯作るけど」


「うん、空いた」


「そうか、じゃあ用意するし、先に風呂にでも入っておいで」


「うん、そうする」


ダンちゃんはキッチンに向かい料理を始めた。


泰子はダンちゃんの後姿をしばらく眺め、そしてお風呂に入る準備を始めた。


泰子がお風呂から上がると、いつもの様にテーブルには料理が並べてあった。


遅い時間でもあり少なめの料理の前に泰子が座り黙って食事を始めた。


「何かあったんか?」


ダンちゃんはキッチンで洗い物をしながら泰子に聞いた。


「えっ、うん」


「言いたくないんやったらいいけど、もし心配事があるんやったら聞く事位はできるさかい」


ダンちゃんの優し言葉に食事の手が止まり


「私、ある人に食事を誘われの、どうしたらいいかな」


「それって男?」


「うん、バイト先の先輩」


「ヤーさんはその人の事はどう思ってるん」


ダンちゃんの問いに泰子は少し考える様に黙り、そして


「ダンちゃん、私、ダンちゃんに判断してほしい」


「どうして、俺が判断しなあかんねん」


「どうしてって、それは」


「俺が判断したって、仕方ないやろ、ヤーさんの気持ちの問題やし」


「それはそうだけど、でも」


「じゃあ、こうしよう、とりあえず食事に行ったら、どうせ向うがお金出してくれるやろうし、ただ飯が食えるやん」


「なによ、その言い方、そんなの相手に失礼でしょ」


ダンちゃんの無責任な言い方に泰子は苛立ちを感じた。


ダンちゃんは洗い物を終え泰子の方を向いて。


「あほらしい、ほんま面倒臭いな人間は、食事ぐらいやったら行ったらええやん、何を悩んでんねん」


「いいの、私が他の男の人と食事に行っても、ダンちゃんは気にならないの?」


泰子の真剣な顔でそして悲しそうな瞳でダンちゃんを見つめて言った。


「気になるってどういう事、なんで俺がヤーさんの事気にしなあかんの、前にも言ったけど、俺は妖精やで人間の事気にする訳ないやん」


「ほんとに、本当に気にならないの私の事、ほんとうに・・・私はダンちゃんの事」


「あほらし、もう疲れたわ、先寝るし食べ終わったら食器は流しに置いといて明日洗うし、ほなお休み」


ダンちゃんはそう言い残してタンスの方に向かった。


そしてタンスの扉を開け泰子の居る方を一瞬見て、ダンちゃんは静かにタンスの中に入っていった。


「ダンちゃん私はダンちゃんの事、ダンちゃん」


消え入りそうな声で泰子はそう呟き、そして大粒の涙と共に泣き声だけが部屋の中に響いていた。


  決断


次の日、ダンちゃんがタンスから出ると、いつもなら寝ているはずのベッドを見ると泰子の姿は無く、部屋の中を見渡しても静まりかえっていた。


ゆっくりキッチンの方に行くと、昨晩泰子が食べたはずの食器は綺麗に洗ってあり片付けてあった。


ダンちゃんは椅子に座り「ふぅ」と一息ついて物思いにふけっていた。


朝早く部屋を出た泰子は商店街にある喫茶店で朝食を取っていた。


喫茶店の窓の向こう側を歩く人々をボーっと見てる。


運ばれてきたトーストとカフェオレも手を付けず、ボーっと。


1時間ほどしてようやく、冷めたトーストとカフェオレを食べ始める。


冷めた味のしないトーストを口に入れモグモグして、喉に通すため冷めたカフェオレを飲む、そんな風にして完食、気持ちが落ち込んでいても、お金がもったいないしお腹が空いていたから仕方がない。


結局喫茶店で2時間程潰し、商店街をやみくもに歩いていた。


そして商店街の中心部分に来ると少し広くなっている所があった。


真ん中には大き目の立木があり、その周りを囲む様に4脚のベンチが置いてあった。


泰子はベンチにゆっくり腰をおろし「はぁ~」と溜息をついた。


木々の匂いと緩やかに吹く風が憂鬱な気持ちでいる泰子を少しだけ癒してくれていた。


腕時計を見ると午前9時30分、泰子はこれからどうしようか考えていた。


周りをゆっくり見てとりあえずどこかに行こうと思い、立ちあがった。


「松井さん」


泰子が声のする方を見るとそこには、博が立っていた。


「岬さん、どうして?」


「今日は休みだから買い物でもと何となく思いたってここに、松井さんは?」


「う、うん私は」


泰子はどう答えていいか分からず、曖昧に答えて顔を伏せる。


「松井さん、これからの予定は?」


「ああ、別に」


「そう、じゃあ、どこかに行かない?」


博の言葉に泰子は戸惑ったけれど


「はい」そう答えて顔を博の方に向けると、博の瞳はキラキラ輝いていた。


2人は商店街の中を話しをしながらゆっくり歩いて行く。


泰子は博の話し方、素振り、時々はにかみながら笑う顔に好感をもって見ていた。


大き目のデパートで博の買い物を一緒にして、昼食も一緒にとる。


そして、昼をまわって2人は映画を見る事にした。


映画のジャンルはホラー物、泰子が前から見たいと思っていた映画だった。


「わぁ~、ギャー、オウ」


泰子の横で博のさまざまな叫び声が聞こえてきて、それが可笑しくて泰子は映画に集中する事が出来なかった。


でも、それは不快な気持じゃなく、むしろ楽しく思えた。


映画が終わると、泰子の気持ちは何となく晴れている事に気が付いた。


横を見ると、涙目で泰子を見つめている博を見て思わず笑ってしまった。


「なんだよ、笑う事ないだろ」


「だって、あははは」


2人は映画館を出て喫茶店に入ってさっき見た映画の話しに花を咲かせた。


でも、泰子の映画の感想は博の叫び声に気を取られていてあまり見ていないから博の話を聞いているだけ、でもそれがまた心地良かった。


夕方になり、これからどうしようか泰子が考えていると。


「今日は楽しかったよ」


「えっ?」


「僕に付き合ってくれてありがとう、これ以上松井さんに付き合わすのも悪いし」


「私は、まだ」


博は首を横に振って


「今日はここまでにしておこうよ、夕食の約束もしていないし、今度誘った時に食事しようよ」


「岬さん」


しばらく2人は話しをしながら夕方の街を歩いて、博が乗る電車の駅に向かう事にした。


改札口で2人は見つめ合い


「今日は本当にありがとう、楽しかったよ」


「私も、本当に楽しかったです」


「じゃあ」


「はい」


改札を抜ける博の姿がホームの方に消えるまで見送っていた。


帰り道を歩く泰子の足元はフワフワした綿を敷き詰めた上を歩いているように感じる位軽かった。


朝の憂鬱な気持ちは遠い昔に「そう言えば」って感じになっていて、泰子の頭の中には今日の出来事をダンちゃんに知らせたくて仕方がない気持ちだった。


部屋の前まで来て、一度深呼吸をして勢いよく扉を開けると、ダンちゃんがキッチンに立って料理をしているところだった。


「ただいま、ダンちゃん」


目いっぱい明るい声でダンちゃんに言うと


「お帰り、妙に明るいやん」


料理の手を止めて、振り返った。


「うん、ちょっとね」


「そう、とりあえず着替えておいで、もうすぐ料理できるし」


「うん」


泰子が寝室に入って行くのを見つめて、そしてダンちゃんは静かに料理を再開した。


泰子が着替えて、出てくると、料理はすでにテーブルに並べてあり、ダンちゃんが待っていた。


「わぁ、美味しそう、いただきます」


さっそく泰子が食べ始め、ダンちゃんがしばらくその姿を見つめている。


しばらくして納得したかのようにダンちゃんが頷いて、寝室の方に消えて行った。


泰子はダンちゃんの行動が気になった。


“今日は、妙に静かね、どうしたのかな?”


昨夜の事、今朝の事が泰子の脳裏を横切る。


しばらくしてダンちゃんが泰子の前に現れた、手に一冊のノートを握っている。


「ねえ、今日はやけに静かだね」


「そう、いつもと変わらへんつもりやけど」


「そうかな?」


ダンちゃんの返答も元気がない様な気がした。


「ねえ、そのノートはなに?」


「ああ、これ」


泰子は妙に神妙なダンちゃんに不安なってくる


そしてダンちゃんが真面目な顔で話を始めた。


「これ、今まで俺が作ってきた料理にレシピ、ヤーさんに渡しておくわ」


「えっどうして、これからも作ってくれるんじゃ」


「あほな事言わんといて、いつまでも俺がここに居る訳ないやん」


「でも、タンスがあるじゃん、タンスの妖精ならここにある以上ずっと居るんじゃないの?」


浮かれていた泰子の感情がだんだん悲しみで溢れそうになってくる。


「そやな、説明してへんかったもんな」


「説明?」


「俺の名前はダン・クロード・フェアリーって言うねん」


「ダン・クロードってダンちゃんに名前があったの?」


泰子の問いを無視するようにダンちゃんは話を続ける。


「俺達妖精はある事があると、消えなあかんねん」


「それってどういう事?」


泰子の瞳に一粒の涙があふれてくる


「分からへんけど、俺の体が徐々にタンスから離れて、そして」


「そんなのおかしいじゃない、言っていたよね、タンスがある限りここに居るって」


感情的に泰子が言う


「だから、分からへんけどヤーさんの感情が」


「感情がなによ」


「だから、人間の言葉で説明するのは難しいけど、妖精は人間の心と連動してるって言った方がいいのかな?ヤーさんの感情が俺には分かるし、今何を考えているのかがよく分かるんや」


「えっ、私の感情が分かるって」


「そう、そやから、悲しい時や嬉しい時も分かる、そやから今回もヤーさんの気持ちが」


「そ、そんなの分かる訳ないでしょ、私の気持ちなんてダンちゃんなんかに分かる訳ないじゃん」


涙声で泰子が反論した。


「分かるんや、俺には、今ヤーさんが恋をしてるって事が」


ダンちゃんも感情的に言ってしまった。


「そんなの・・・」


泰子はうつむいてしまった。


「これからは、ヤーさんが相手のために料理を作ってやって、俺に出来る事はこれくらいやさかい」


「そんなの、そんなのいやよ、どうして訳がわからないわよ」


そんな泰子の事を悲しそうに見て、ダンちゃんは


「これ、ここに置いておくし、いらんのやったら捨ててもいいし」


そう言ってダンちゃんはタンスの方に向かった。


「どこに行くのよ、話しはまだ終わってないでしょ、ダンちゃん、ねえダンちゃん」


泰子の涙声を無視するようにダンちゃんはタンスの中に消えて行った。


泰子は追いかける様にしてダンちゃんの消えて行ったタンスの前に立ち扉を開ける。


そこには、ハンガー掛けてある服が静かに揺れているだけだった。


「ダンちゃん、出てきてよ、お願い、話しを聞いて、ダンちゃん」


泰子はタンスの奥の暗闇に何度も何度も呼びかけるが返事が帰って来る事は無かった。


  デート


ダンちゃんが姿を見せなくなってから一週間が過ぎようとしていた。


一週間の間、大学に行く気にもなれず休みがちになり、それでもアルバイトは他の人に迷惑になるから休む訳にはいかないため行っていた。


「松井さん、どうしたの、最近元気がないね」


声を掛けてきたのは博だった。


「すみません」


「いや、謝らなくていいけど、どうしたの?」


まさかダンちゃん事を博に話す訳にはいかない


「大丈夫です、なんでもないです」


「そう、だったらいいけど何かあったら言って、できる事だったらするから」


「ありがとうございます、でも、大丈夫です」


博の優しい言葉が泰子の心の奥に染み込んでいく。


バイトが終わり、疲れた体で帰り道を歩いていた。


「松井さん、お疲れ」


泰子は声のする方を振り返ると博が走って近づいてきた。


「お疲れ、様です」


「はぁはぁはぁ」


「岬さん、大丈夫ですか?」


「だめだね、日頃運動していないから、それとも年なのかなぁ」


「あはは、そんな年じゃないでしょ」


博との会話で泰子の気持ちが少しだけ楽になっていた。


「そうだ、この前言ってた事いいかな?」


「この前って?」


「僕が食事に誘うって」


「ああ」


「いいかな、誘っても」


泰子は少し迷ったけれど


「はい、いいですよ」


泰子の返事を聞いた博は大声で


「ヤッター、ヤッター。神様ありがとう、ヤッター」


人目もはばからず、そう叫んで踊りだした。


泰子はそんな博の姿を嬉しそうに見つめていた。


数日後、食事の約束をした日、泰子は少しお洒落をして約束の場所に出かけていった。


緊張しながらも心の中はフワフワした感じが心地よかった。


まだ残っている夕日の赤が、うっすら遠くの山を染めていた。


待ち合わせの場所に早めに着いた泰子は腕時計とにらめっこしながら博を待った。


泰子は博が車で来ると言っていたから道路をキョロキョロしながら待っていた。


時計を見ると、約束の時間が近づいてくる。


何度か道路の左右を見ていて、何度か目に右を見た時にゆっくり進んで来る車が近づいてきていた。


“まさか、あの車じゃないわよね”と心の中でそう呟く。


その車は、からり古いタイプの車、それはいいのだけど、とにかくゆっくり走っている。


見えてから数分経っても、目の前まで来るにはもう少し掛りそうだった。


泰子は気になり運転席をよく見ると“やっぱり”呟いて自分から車に近づいていった。


運転をしていたのが博だったからだ。


博は泰子の姿に気が付くと、車を止め運転席から急いで飛び出し歩道を歩いてくる泰子に走り寄った。


「はぁはぁはぁ、ごめん待たせてしまって、車の調子が悪くて」


「車、大丈夫なんですか?」


「う、うん、何とか」


とても大丈夫そうでない車を見て泰子は不安になってしまった。


「と、とりあえず乗って、止まる事は無いと思うから」


一瞬帰ろうかなと思ったけれど、せっかくの博とのデートだし、最後まで付き合おうと思った。


2人が車に乗り込み、博がエンジンを掛けようとするが、ウンともスンともエンジンが言わない。


「おかしいなぁ、さっきまで動いていたのに」


“はぁ~初デートなのに”と思いながら「動かないんですか?それなら・・・」


泰子がそう言い掛けてふと前を見ると一瞬何かがボンネットの辺りに見えた様な気がした。


すると、急に車のエンジンが掛り、しかも来る時と違い、調子もよさそうなエンジン音がしていた。


「えっ?動いた」


持ち主である博がビックリするくらい。


「大丈夫みたいですね」


「うん、これなら大丈夫、よかったぁ、じゃあ行こうか」


ゆっくり車が動き出し、夕方の街を走り去っていった。


泰子が何気に遠くなる先ほどまで止まっていた場所を見ると、人影が消えて行くように見えた。


数十分ボロイ車が走り着いた場所は郊外の高台にあるイタリアンのレストランだった。


「ここですか」


「そう、じゃあ行こうか」


泰子は博のエスコートで店内に入っていった。


店の内装はシンプルな白い壁、そして壁には幾つかの絵画が飾ってあった。


2人は店員に窓際の席に案内された。


店が高台にある為、街並み一望でき、太陽が沈んだ今の時間帯は夜景が綺麗に見えた。


「綺麗な夜景ですね」


夜景を見つめて、泰子がうっとりした表情で言った。


「そうだね、本当に綺麗だね」


「でも、よく取れましたね、予約。この店安くて美味しいから人気があってなかなか予約が取れないって有名なんですよ」


「そうなの?じゃあラッキーだったんだ」


「どう言う事ですか」


「松井さんとの初デートだし、ちょっとお洒落な所がいいぁって思って、たまたま本屋で見ていた雑誌にこの店の事が載っていたんだ、すぐに電話をしたんだよ」


「それで、予約が取れたんですか?」


「うん、それがね、最初は予約がいっぱいだから駄目だったんだけど、数分したらキャンセルがあったから大丈夫ですって言われてすぐに」


「ほんとラッキーですね」


「でも松井さんが気にいらなければ、アンラッキーかも」


「とてもラッキーですよ岬さん」


「よかった」


しばらくして料理が運ばれてきて至福の時を2人は過ごした。


食事が終わり2人は店を出て、再び車で走りだした。


向かった先は、夜景が一望できる展望台だった。


博はそこで泰子に告白をしようと思っていて、運転しながら心臓が飛び出しそうな位ドキドキしている。


展望台に着くと、数台の車が止まっているだけで静かだった。


2人は車を降り夜景が綺麗に見える所まで歩いていった。


夜景が揺れて綺麗に見える、2人の立つ距離は少し離れていた。


無言のまま2人はじっと夜景を見つめていた。


数分の事だろうけれど緊張に包まれている2人にとってとてつもなく長い沈黙に感じていた。


そして、沈黙を破る様に博が話しだした。


「松井さん」


「は、はい」


「お、俺、松井さんの事」


博がそう言い泰子の方に向いた。


泰子も博の方に向うとした時、一瞬何かに背中を押された感じになり「キャ」と言う声と共に博の胸元に飛び込む。


自然に2人は抱き合う形になり、見上げる泰子の瞳を博が見つめ


「俺と、付き合ってくれないか」


「は、はい」


泰子の消え入りそうな短い返事と共に2人の距離が無くなった。


そして、恥ずかしそうに2人は体を離した。


泰子は博の体の向こう側に何かを感じた。


数本ある街灯の一本が点滅している


その下に、見覚えのある人影が映っていて背中を向けて立ち去ろうとしていた。


“ダンちゃん?”


後ろ姿のその影は遠ざかるほどに薄くなり、そして消える寸前に左手が少し上がりゆっくり左右に揺れ、暗闇の中に消えていった。


“ダンちゃん、ありがとう”


泰子はそう呟くと一粒の涙が頬を伝って地面に落ちた。


  エピローグ


あれから一年が過ぎようとしていた。


博とは結婚を前提に付き合っていて、時々嫌な時もあるけれど毎日が楽しかった。


ダンちゃんのタンスはあれからすぐにおじさんの所ではなく違う店に売った。


デートが終わり、部屋に帰ってきた泰子にダンちゃんからの置手紙が置いてありこんな事が書いてあった。


『今まで、ありがとう。ヤーさんの所にこれて最高によかったです。僕はこれで消えます。博と永遠の幸せをつかんでください。本当にありがとう。


       PS・タンスは売ってください、だけどヤーさんのおじさんの店は止めてね処分される恐れがあるんで』


ダンちゃんの最後のお願いを聞き、泰子はタンスを違う街の中古家具店に引き取ってもらった。


ある日、泰子は博との待ち合わせ場所に急いでいた。


大きな道路の交差点で信号に捕まり、焦りながら青になるのを待っていると、泰子の隣に紺色のスーツを着た女性が並ぶ様に立った。


泰子は横目でその女性を見ると、口元が不自然に動いていた。


“なに?独り言を言ってるのかな?”と思ったけれど1つの記憶が泰子に蘇ってくる。


“気にしない、気にしない”そう呟きながら前を見ようとした時、泰子の耳元で声が聞こえてきた、聞き覚えのある関西弁が。


「綺麗になったやん、ああでもちょっと体系が、太ったな、幸せ太りってやつははは」


泰子は拳を握りしめている


「でも、博君が可哀そうやで、このままやったら。その内博君はこの大きな尻にひか、ブフッ・・・」


泰子の右手の甲が声の主の鼻にヒット


隣の女性はビックリして振り返り声の主を心配そうに見つめている。


丁度信号が青になり泰子は無視して歩きだした。


道路の中ほどまで来た時、泰子は振り向きもしないで右手を少し上げ左右のゆっくり振って


“ありがとう、ダンちゃん”


“幸せになりや”


“うん”


信号が点滅し、そして赤になった。


          End


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