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第六話

ベルサイユ宮殿の窓から庭園で貴族たちと蹴鞠を楽しむ国王ルイの姿が見えた。烏帽子の下の白粉を塗った顔は太っていて本当にマシュマロのようだった。


「よくやったわジャンヌ。ご褒美をあげなくちゃね」


 アントワネットの柔らかな唇がジャンヌの唇が重ねられた。


 なにがご褒美だとジャンヌは思った。こうしてアントワネットの欲望を満たすのもジャンヌの裏の仕事の一つだった。


 アントワネットはベッドにジャンヌを押し倒した。ジャンヌの頭にはシャルルの顔が浮かんでいた。


 情事を終えると服を着ないままジャンヌはベッドの外に出た。サイドテーブルに置かれたワインを瓶から飲み干す。夕焼けがジャンヌの月明かりを纏めたような金髪と絹のような白い肌を照らした。


「ジャンヌ、次の仕事よ。夜になるとパリに出るという幽鬼を斬りなさい。民がおびえてしかたないわ。民に情けをかけてやるのも高貴な者の勤めでしょう」


 民を考えてという、思ってもないことを童女のように無邪気な笑顔でアントワネットは言った。大方いつもの気まぐれで、民から愛されてみたいと思ったのだろう。


「仰せのままに」


 深夜、幽鬼が目撃されたという辺りをジャンヌは歩いていた。冷気が肌を刺す。

 辺りに漂う妖しい気配を感じたときだった。どこからかか細い声が聞こえた。


 声がした路地へと入る。そこは一面銀世界だった。佇む少女を中心に氷が広がっている。

 少女は泣きじゃくっていて、凍った涙が足下にこぼれ落ちる。


 どうやら雪女の類らしい。一心不乱に涙を拭っているためにまだジャンヌに気がついていない。

 刀を抜く、冷気に当てられて刃も張り詰めるようだった。


「お母さん、どこなの」


 少女のその言葉を聞いた瞬間、昔の自分と少女が重なった。ジャンヌはゆっくりと刀を鞘に収めた。

 少女へと手を伸ばす。少女に近づくと指先が凍った。それでも手を止めなかった。

 少女の頭を優しく撫でてやる。少女の銀髪は雪のように柔らかく滑らかだった。


「あなた、誰」


 少女の碧眼が上目遣いでジャンヌを見つめる。


「わたしはジャンヌ。あなたは」

「雪音って言うの。お母さんとはぐれちゃったの。お母さん知らない?」

「そっか。じゃあ、お姉さんが一緒に探してあげる」

「本当に?」

 

不安げに雪音が見つめる。


「任せて」


 できるだけ雪音を不安にさせないように自信ありげに答える。しかし雪音はまだ、なにか言いたいことがあるようだ。


「でも、お母さんが人間は信用するなって」


 なるほど、そういうことかとジャンヌは思った。


「大丈夫、わたしも妖だから」


 そう言って尻尾の封印を解く。


「わあっ、フサフサだ」


 雪音はそう言うと金色の尻尾に抱きついた。毛に覆われていてもひんやりとした感触が伝わってくすぐったくなった。


「わはは。ちょっとごめん、くすぐったいよ」

「あ、ごめんなさい」


 雪音は慌ててジャンヌの尻尾を離した。


「お姉さん、狐なの」

「そうよ。だから狐の力でお母さんを探してあげられる。ちょっとごめんね」


 雪音の平べったい胸に顔を埋めた。変態ではない。断じて。

 それから辺りを漂う空気の匂いを嗅ぐ、すると僅かだが雪音と似た匂いが混じっていた。


「分かるの?」

「うん、こっち」


 ジャンヌは雪音を抱えると跳んだ。匂いを辿って屋根から屋根へと飛び移る。

 雪音がいたのとは別の路地に着地した。


「ここで匂いが途切れてる」


「ここ、お母さんとはぐれた場所のすぐ近くだ」 


辺りを見渡す。すると路地の影から三人組の男が現れた。


「へへへっ、母親を攫った場所ではってりゃあ、娘の方も来ると思ったぜ」


 三人組はすぐにヤクザ者と分かる身なりをしていた。


「あんたたち妖攫いね」


 パリの街では妖を攫い金持ちに売る妖攫いが横行していた。攫われた妖は生きたまま見世物にされたり、殺されて装飾品の材料にされることもあった。どちらにせよ攫われた妖に待っているのは想像を絶する苦痛だ。

雪音の母親も妖攫いの被害にあったのだろう。せめて命だけでもあればまだ望みはあるはずだとジャンヌは思った。


「そうさ。雪女のそれもまだ年端もいかないガキとなれば高く売れる。それにあんたも妖だろ。俺達が高く売りさばいてやるから安心しな」


「この子の母親をどこへやったか喋りなさい。さもないと」


 そう言ってスラリと刀を抜く。しかしさすがはヤクザ者だけあって刃物には慣れているのか男たちに動揺した様子はない。


「へへへっ、俺たちゃ小心者で刃傷沙汰なんざ御免だ。あんたの相手は相応しい人がしてくれるぜ。先生出番ですぜ」

 

呼ばれて影から一人の男が現れる。人目を引くほど背が高く、はだけた衣服から見える胸板は厚く小麦色をしている。おそらく地中海出身だろうと検討をつける。

 

こんな状況だというのに癖のある茶髪を書き上げる仕草には余裕が見て取れ、男がそれだけ自分の腕に自信のある強者だと分かる。

 

一見女好きそうな遊び人といった風情だが、その肉体は傍から見ても無駄なく鍛え上げられていて、そのミスマッチさが、男の正体を怪しく不確かなものにしていた。


「まったく人使いの荒い連中だ。俺はレディを傷つけたくないんだが」

 飄々とした態度で用心棒は言う。

「まあそう言わずに、こっちも先生には大金を払ってるんだ。柳生流免許皆伝の実力見せてくだせえよ」

「まあ、貰った金の分だけ働くさ」


 用心棒の纏う気配が一瞬にして殺気立った。その早すぎる変化にジャンヌは対応できない。男ののらりくらりとした態度に油断させられていた。こうも前触れなく人を殺すためのスイッチを入れられるものかと暗殺者であるジャンヌさえも驚かせた。


 男は姿勢を低くジャンヌの懐に潜り込んでいる。もうすでに刀が半分ほど鞘から滑り出している。対するジャンヌはまだ刀の柄にさえ触れていなかった。やられる、そう思った。


 ところが男はガツッと足元の石に蹴躓いた。勢いそのままに矢のように吹っ飛び民家の戸に突き刺さった。こちらに尻だけを向けた状態でビクッビクッと痙攣したかと思うとぐったりとして動かなくなってしまった。


「はあっ?」


 そう同時にジャンヌとヤクザたちの口から洩れた。ジャンヌとヤクザたちは顔を見合わせてしまう。それから数秒ほど間の抜けた沈黙が続いた。


「あいつ何しに出てきたんだ」

「クソ、こんなことなら最初から俺達で始末しておきゃ良かったんだ」


 ヤクザたちは口々に悪態をつきながら刀を抜くが、すでに冷静さを取り戻したジャンヌは一瞬で二人のヤクザを始末する。だが、一人取り逃がしてしまった。


「動くんじゃねえ。でないと、このガキの命はねえぞ」


 生き残ったヤクザが雪音の首にドスを当てていた。白い肌が裂け赤い血が滲み出していた。


「助けて、お姉ちゃん」


 か細い声で雪音が助けを求める。妖攫いが絡んでいると知っていれば雪音を連れてこなかったものをとジャンヌは後悔したが、すでに遅かった。


 どうしたものかと思案していると、不意に男の足から力が抜けそのまま倒れてしまった。男の背中はぱっくりと裂け血が溢れていた。


 男が立っていた場所にはあの用心棒が立っていて、戸を突き破った際についたであろう埃を手で叩いて払っていた。手にした刀からは血が滴っている。


「いやー、まいったまいった、ひどい目にあったぜ」


「やっぱりあれは演技だったのね」


「んーまあね。面倒事は嫌だったし少し様子を見ようかと思って」


「あんた何者なの」


 ジャンヌにはこの男がただのヤクザの用心棒だとはどうしても思えなかった。

 すると用心棒は懐から何かを取り出した。男が手にしたそれは十手だった。

「あんた同心なの」

「そういうこと。名はレオン。妖攫い行っている組織の内部調査中ってわけ。まあそれもあんたのおかげでおじゃんだけどね」


 法では妖を攫い売買するのは禁じられている。しかしそれは妖の権利が認められているからではなく、物として規制がかかっているからに過ぎない。


「じゃあ、あんたこのヤクザたちの親玉が誰か知ってるわけね」


「ああ、こいつらはサンジェルマン伯爵の手下さ。大方お嬢ちゃんの母君も奴の屋敷に囚われてるんだろうな」


 サンジェルマン伯爵は日本で陰陽道を学んだ陰陽師で国王からの信頼も厚い貴族だ。

 黒幕が分かったことでジャンヌは歩みを進めた。


「おい、おい、どこ行くつもりだ」


 レオンが慌ててジャンヌを止めようとする。


「決まってるでしょう。サンジェルマンの屋敷よ」


 レオンは心底あきれた表情をして額に手を当てる。子気味の良い音が響いた。


「待てよ。まずは内部調査をしてからだな。そもそもあんたの出る幕は無い。ここは俺達同心に任せるんだ」


「そんなの待ってたら、この子の母親は売られてしまうわ」


 自分の話をされていると気が付いたのか雪音はジャンヌの服の端を引っ張った。


「ねえ、お姉ちゃん。置いてかないで」

 

ジャンヌは逡巡する。どうやらヤクザたちは雪音を狙っているようだし、一人にするのは危険かもしれないと考えた。


「分かったわ。でも、お姉ちゃんから離れないでね、そうすれば守ってあげるから」

「うん、分かった」

 

ジャンヌは雪音を連れてサンジェルマンの屋敷に行こうとする。


「あー分かった。分かったよ。俺もついていくよ」

 

背後で投げやりなレオンの声がした。ジャンヌは振り返り訝しげな視線を送る。


「別についてこなくてもいいのよ?」

「いいや、たとえ断られても俺はついていくぜ。どうせあんたに作戦を滅茶苦茶にされるなら、俺も行って正面から事件を解決してやる。それに、俺の腕はあんたが一番よく知ってるはずだぜ」


 レオンの言うことは本当だった。もし、レオンがわざと転ばなければジャンヌは斬られていただろう。そのことがジャンヌの忍としての矜持を傷つけた。


「好きにすれば?」


 三人はサンジェルマンの屋敷の前に辿り着いた。巨大な門が立ち塞がる。


「さあて、どうやって侵入するかな」


 顎に手を当ててレオンが思案してる間にジャンヌは雪音を抱えて門を跳び越えた。


「おい、そんなことしたらすぐバレるだろうが」


 門の向こう側でレオンの情けない声がしたかと思うとレオンも続いて門を跳び越えてくる。


「どうやら、その心配はないようよ」

 

ジャンヌの言う通り庭には見張りはいなった。代わりにあちこちに巨大な檻が置かれている。その中に様々な妖が閉じ込められている。


「お母さん」


 自分の母親を見つけた雪音が檻の一つに駆け寄る。中の母親と抱き合おうとするが檻がそれを阻む。


「しかし、どうしてこの庭には見張りがいないんだ」


「それは私の陰陽術があれば、そんなもの必要ないからですよ」


 屋敷の中から声がした。現れたのは平安貴族風の装いに身を包んだサンジェルマン伯爵だった。


「お待ちしていました。あなた方が来ることは都中に放った式神を通じて知っていましたからね」


「尻尾を巻いて逃げなったのは誉めてあげる。大人しくお縄につけとは言わないわ。あんたはここでわたしが地獄に送ってあげる」


「おい、おい、殺されたら困るぜ」


 レオンが割って入る。サンジェルマンが余裕を見せつけるように口の端を歪めた。


「あなたの相手は私ではありませんよ」


 サンジェルマンは懐から札を取り出すとそれを放った。放たれた札は矢のように飛んで檻の中にいた巨体の鬼の額に張り付いた。札は溶けるように鬼の中へ消えていく。

 サンジェルマンが手にした笏を振るとそれに連動して鬼が腕を振った。檻が歪む。中から鬼が這い出してきた。サンジェルマンに操られているらしい。それに無理やり肉体を強化されているらしい。自力で檻を破れるならとっくに逃げ出しているはずだ。


 檻に立てかけてあった巨大な金棒を鬼が手にした。無造作にそれを振るう。ジャンヌはそれ刀で防ぐが、力を殺しきれずに吹っ飛ばされて屋敷の塀に叩きつけられてしまう。

全身の骨が悲鳴を上げる。地面に這いつくばると胃の中にあったものを全て吐き出してしまう。


「どうです、私のコレクションは?素晴らしいでしょう」


 優越感でサンジェルマンの表情が歪んだ。サンジェルマンが笏を振るった。

「さあ、あの目障りな同心も始末しておしまい」


 鬼が金棒を振り上げた。その下にいるレオンは微動だにしない。しかしレオンの瞳孔が縦に長くなった。それは獣の瞳だった。


 低く唸り牙を剝く。肩の筋肉が異常なほど盛り上がる。服を破って現れたのは茶色い毛に覆われた肩だった。レオンが変貌していく。その姿は巨大な犬だった。


「犬神……」

 

ジャンヌがその妖の名をつぶやく。それがレオンの正体だった。

犬神となったレオンが鬼の腕に噛みつき捻り上げる。


「今だ、やれ」


 唸るような声でレオンが叫ぶ。ジャンヌは鬼の胸の上に乗った。刀を振り上げる。そのとき鬼の目に涙が浮かんでいるのに気が付いた。戦いたくない相手と無理やり戦わされた末に死のうとしている。さぞや無念だろう。


 なんとか鬼を救う方法はないかとジャンヌは考えたが、鬼の動きを封じてからでないとサンジェルマンを攻めるのは危険すぎる。この鬼は強力で命を奪わないで動きを封じることはできない。こうしている今も犬神の戒めを解こうとしている。


 ジャンヌは意を決して深々と鬼の心臓に刀を突き刺した。鬼は雄叫びを上げるとやがて動かなくなった。


「ひいっ」


 悲鳴を上げてサンジェルマンが駆けだす。ジャンヌはサンジェルマン目がけて手裏剣を放った。手裏剣が脹脛に刺さりサンジェルマンは転倒した。

 サンジェルマンは庭園の玉石の上を転がり顔中傷だらけだった。その顔は恐怖で歪んでいる。


「お願いだ。命だけは助けてくれ」


 見苦しく命乞いするサンジェルマンをジャンヌはとても冷めた気持ちで見下ろしていた。

 サンジェルマンの喉にクナイを突き刺した。サンジェルマンは飛び出しそうなほど目を剥いて絶命した。


「終わったな」


 そこにいたのは人の姿に戻ったレオンだった。


「あんたも妖だったのね」


 レオンは答えず、ただ肩をすくめてみせただけだった。

 レオンがサンジェルマンの死体を漁りだした。取り出したのは鍵の束だ。妖たちが閉じ込められた檻のものだろう。

 

鍵を使い二人で妖たちを開放する。庭園は百鬼夜行の行列で満たされる。


「お母さん」

 

雪音は母親へと駆け寄る。雪女が優しく雪音を抱きしめる。二人の周りは冷気で白く霞

んで見えたが、ジャンヌの胸には温かいものがこみ上げてきた。


「よかったな」


 いつの間にかジャンヌの傍らにはレオンがいた。引き裂かれた着物を脱いで上半身裸になっている。その屈強な肉体にジャンヌは思わず見惚れてしまう。唾を飲み込むと相手にきこえるんじゃないかというくらい大きな音が出た。


「どうした」


 レオンがジャンヌの瞳を覗き込んだ。ジャンヌは慌てて目をそらす。ジャンヌの頬が赤く染まっていた。


「別に、何でもない。事件も終わったしあんたとの縁もこれまでね」


 ジャンヌがそう言うとレオンは意味ありげに頬笑んだ。


「それはどうかな。俺はあんたとはいずれどこかでまた会える気がするぜ。それもそう遠くないうちにな」


「あたしはもうこれっきりにしてもらいたいわ」



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