第三話
ベルサイユ宮殿の広間に豪奢な着物を着込んだレディが集まっていた。
その中にジャンヌもいた。着物ではなく軍服を着て帯刀していた。パーティーに参加するためではなく、警護のためにいるのだ。しかし十八歳になったジャンヌの美貌はパーティーの参加者たちよりも目を引くものがあった。
ジャンヌの容姿に嫉妬した女たちが没落侍だのと陰口を叩き、同じ警備を担当する男たちはジャンヌを舐めるように見たが、そのどちらもジャンヌは気にしなかった。
これからの任務のために集中しなければならなかった。もういくつもの暗殺をこなしジャンヌの両手は血で赤く染まっていたが、気を抜いたことは一度もなかった。
陰陽師のサンジェルマン伯爵が、折鶴を生きているかのように飛ばして見せているその側で、ベルサイユ宮殿の床に深々と突き刺さった聖剣デュランダルが輝いていた。
デュランダルはフランスの伝説的な王シャルルマーニュに仕えた十二勇士の一人ローランが、フランスを火の海に沈めた大妖怪、九尾の狐を封じた剣だ。
その剣はフランスの真の支配者だけが抜けると言われているが、王族は対面を気にしてデュランダルに触ろうともしないし、酔ってデュランダルを引き抜こうとする貴族の中にもそれを成し遂げるものはいなかった。
ジャンヌは同族を封印した剣を見る度に悔しさが込み上げるのを感じた。フランス人たちは日本文化を面白がったが、その一方で妖怪たちを見せものにして、自覚なく虐げた。九尾はそんなフランスに抗うために立ち上がったのだ。
人混みが二つに分かれて一本の道を作った。その道を悠然と歩く人物こそが、真紅の着物に身を包んだ王太子妃マリー・アントワネットだった。
アントワネットは国王の愛人である花魁のデュ・バリー夫人を無視すると自室に引っ込んでしまった。
ジャンヌは深呼吸すると、これから自分が殺すことになる相手の後を追った。
バチストにアントワネットの暗殺を依頼したのは、アントワネットの夫であるルイの姉たちだった。オーストラリアから嫁いできたアントワネットが目障りなのだ。
ジャンヌは迷路のようなベルサイユ宮殿を迷いなく歩いた。
アントワネットの部屋の前には衛兵が二人いた。
「ここは王太子妃様の部屋だぞ」
衛兵たちは三角帽の下の眼をギラつかせた。それでもジャンヌが止まらないのを見ると刀を抜いた。
ジャンヌは両手で印を結んだ。
「忍法、影分身の術」
ジャンヌの体が二つに分かれた。分身が先行する。
分身のジャンヌは振り下ろされた刃をかわすと手刀で衛兵の首の骨を折った。
もう一人のジャンヌが放ったクナイは衛兵の喉に突き刺さり血の雨を降らせた。
ことを終えるとジャンヌの体はひとつに合わさった。
アントワネットの部屋の扉に手をかけ開ける。
ドアの先には優雅に緑茶をすするアントワネットの姿があった。
「お茶のおかわりは頼んでないわ」
立ち上がるとアントワネットはそう言ったがそれが最後の言葉になった。
ジャンヌの凶刃がアントワネットの腹部を刺し貫いていた。
ごぼり、とアントワネットが血を吐き出す。血塗れの口がにんまりと笑った。おかしいと思った時にはもう遅かった。アントワネットの腕がジャンヌの胸に深々と埋まっていた。
アントワネットが腕を引き抜くとその手には赤い塊が握られていた。それはジャンヌの心臓だった。
アントワネットは心臓を掲げると、その下で大きく口を開けた。ぐしゃりという音がして心臓を握り潰された。血が口の中に滴り落ちる。
「あー、おいしかった」
そう言ってアントワネットは口の周りの赤い血を拭った。血が伸びて余計に広がる。まるで子供がいたずらで化粧をしたようだった。笑った口から鋭い二本の犬歯が伸びていた。
「お…まえは…」
目の前に跪いたジャンヌ見下ろすアントワネットの顔は優越感で歪んでいた。
「そう。わたしは吸血鬼なのよ」
アントワネットが冷たく言い放ったその言葉を聞いたジャンヌはもうないはずの心臓が締め付けられるかのような思いがした。
「わたしのお父様が不老不死を目指し、錬金術にのめり込んだのは有名な話だと思うけど、お父様の研究は成果がでなかったわ。だからお父様は他の方法を考えた」
アントワネットの言葉がどこか遠くで聞こえるようだった。ジャンヌの命の灯は消えかけているのだ。それを見るアントワネットはどこか楽しげだった。
「あなたはオーストリアの女吸血鬼カーミラの伝承をご存じかしら。お父様はそのカーミラを捕らえその血を飲んで吸血鬼になった。不老不死の念願が叶ったってわけ。でも、お父様はそれに満足せずに王家の者に血を分け与えた。今じゃわたしも含めオーストリアの王族はみんな吸血鬼。そうよ。オーストリアから嫁をもらうということは吸血鬼の支配を受け入れるということ。いずれあのかわいいマシュマロちゃん、ルイも吸血鬼にする。けど、それはまだ早いわ。わたしの支配を盤石なものにしてからでないと。だから手始めにわたしを殺そうとしたルイの姉たちに消えてもらうわ」
アントワネットはジャンヌの顎を持ち上げてその目を覗き込んだ。アントワネットの目が怪しく光った。
「その仕事をあなたにお願いしたいの」
アントワネットはジャンヌの顎から手を離すと、テーブルに近づいてその上の小箱を開けた。中に入っていたのは金色に光る拳大の機械だった。
「これは技師に特別に作らせた機械仕掛けの心臓、これを埋め込んでわたしの血で傷をふさげばあなたは生きながらえることが出来るわ。ただ、この心臓はわたしの持つスイッチでいつでも止めることができる。あなたにはわたしのお人形になって欲しいの」
アントワネットはそう言うと子供をあやすような笑顔になった。
「生きたいでしょ?」
その言葉に昔バチストに言われた言葉が重なった。生きたいと自問したとき両親ではなくシャルルの顔が浮かんだ。そうだ、あの笑顔を守るために自分はどんなに汚れても生きなければならないのだ。
「生きたい」
大粒の涙を流しながらジャンヌはそう言った。機械の心臓を手にしたアントワネットの腕がジャンヌの胸に開いた穴に差し入れられた。