第二話
ヒュッ、ヒュッ、木刀が風を切る音が、耳元を通り過ぎるたびに身がすくむ思いがした。
かわしきれなかった木刀の軌跡がジャンヌの頬や腕に赤い線を残す。
カーン、木刀同士がぶつかり合い乾いた音が道場に弾けた。あまりの打ち込みの強さに足が地面から離れそうになる。
「何をやっている。それで防いでいるつもりか」
バチストの怒声が飛ぶ。ジャンヌの木刀を掻い潜ったバチストの切っ先がジャンヌの腕を強かに打ち付けた。
激痛でジャンヌはうずくまる。手で押さえた箇所を見てみると紫に腫れ上がっていた。そうした箇所が今のジャンヌの体にはあちこちにあった。
痛みで強張る体を軋ませながらジャンヌは渾身の突きを放った。
それをバチストはあっさりと防ぐと、無造作だが隙のない横薙ぎの一撃を繰り出した。顎が砕けるような激痛がジャンヌの意識を刈り取った。
目が覚めるとまだ霞む視界に誰かの顔があった。視界がはっきりするとそれが心配そうにジャンヌを覗き込むバチストの息子シャルルだと分かった。
「よかった、目が覚めたんだね」
そう言うとシャルルはまるで天使のように愛らしく笑った。シャルルはその容姿と性格からお茶会では貴族の淑女たちに可愛がられた。とても愛想の悪いバチストの息子とは思えない。
「またあんたなのね、シャルル。あたしが打ちのめされているのを見るのがそんなに楽しい?」
ジャンヌはこのいとこのことが苦手だった。バチストが裏でしていることを何も知らずに無垢に育ったことが気に食わない。
それでいてシャルルの愛くるしい笑顔を向けられるとジャンヌでさえ胸に温かいものが込み上げてくる。その度にジャンヌは仇の息子にそんな想いを抱く自分への嫌悪感で胸が苦しくなった。
バチストはいずれジャンヌをシャルルの妻として娶らせる気でいるらしかった。そうすることでジャンヌを家に縛り付け手駒として一生利用する気でいるのだ。
シャルルといずれ床を共にすることになると思うとジャンヌは全身の毛が逆立った。しかしそれが嫌悪によるものなのか恋慕からくるものなのかジャンヌ自身にも分からなかった。
「違うよ。僕は君が心配なんだ。父上も稽古だからって女の子にこんなことするなんてひどいよ」
ジャンヌはシャルルを振り払い立ち上がろうとして痛みで膝をついた。そのとき自分の体のあちこちに包帯が巻いてあるのが目に入った。
「これ、あんたがやったの?」
「うん。僕、大きくなったら医者になりたいんだ。待って、まだ手当てが途中だから」
そう言うとシャルルはジャンヌに薬草を塗り包帯を巻き始めた。
ジャンヌの目と鼻の先にシャルルの顔があった。シャルルの吐息がジャンヌの顔にかかる。桜色の唇に目が奪われた。
気づいた時にはジャンヌはシャルルの唇に自分の唇を重ねていた。
口づけを終えるとシャルル目を大きく開いていた。
「ジャンヌ…何を」
「知らないっ」
ジャンヌはシャルルを置き去りにして駆け出した。ジャンヌの心は決まった。純真無垢なシャルルが無垢であり続けるためなら、汚れ仕事は全て自分が引き受けよう。
ジャンヌは心優しいいとこを愛していた。復讐心などでは幼い少女の恋心を押さえておけるはずもなかったのだ。