SNSの『#』
僕は小説が特に好きなわけではなかった。流行り病で学級閉鎖が起こった時に偶然、小説投稿サイトを見つけて登録してみた。
当時の僕は中学二年生だ。小説の書き方なんて知らない。でも取り敢えず『異界から来た魔物と戦う男女中学生二人の話』を書いた。よくあるバディものだ。
どうやらサイトには感想機能と言うものがあるらしい。初めてそれを貰った時の感動は忘れられない。また、投稿サイトはコンテストも頻繁に行っていて、興味本位で初めて参加した。参加したのを忘れた頃だった。
なんと公式から感想を貰えたのだ! そりゃもう「小説家になれるのかな!」と有頂天になっていたんだ。
それから僕は、コンテスト受賞を目指して文章を推敲しようと躍起になった。例えば。創作仲間をつくるためにSNSに登録したぐらいに。SNS。最初は使い方が分からなかった。でも使い慣れてみると、あっという間にフォロワーが二千人を超えた。みんな創作関係の人たちだ。
どうやってそんなに繋がったかって?
一つだけ。面白そうなタグを僕が見つけて片っ端からRTしただけだ。
#RTした創作関係アカウント全員フォローする
#は、『ハッシュタグ』と読むらしい。これはアカウント所有者なら誰もが簡単に創ることが出来る。流行ればその界隈が賑やかになるといったものだ。一部にはタグ職人というのも居るらしい。僕はそんな『#』を、もっと創作アカウント上で有効に使うことはできないかと考えた。
「作者同士が気軽に読み合い出来て、作品の向上にも繋がる。そんな一石二鳥なタグはないかなぁ」
こんな風に。
ずっと考えていると、ある日突然パッとした閃きが起こるものである。
僕はこんなタグを考えた。
#RTした人の小説を読みたい
こんなタグだ。
「このタグを機会に、お互いの小説を読んでみませんか? お気に入りの小説や技法等を探してみましょう。良い出会いがありますように!」
僕はこんな言葉を添えてSNSに発信してみた。これには創作仲間たちもすぐに食い付いた。お互いの小説を読み合ってくれて、とても和やかな雰囲気になる。作者と作者を繋げるタグ。それを創れたことに僕はとても嬉しさを感じた。
当時は、このタグが僕の退会する理由になるなんて思わなかったんだ。
最初のうちは本当に良かった。みんな僕の造ったタグの意図を汲んで、楽しんでくれた。「良いタグをありがとう」なんて言われたりもした。とっても心地よかった。ボクもこのタグを使って、作品を読みに行っては読まれ。また、それによってフォロワーも増えた。
――――でもね。
扱う人が全員タグ作成者の意図を汲み取るとは限らない。アカウント名は忘れたけど、ボクの創ったタグで、『酷評感想』を送りつけた評論家みたいな人が出て来てしまったんだ。そこから段々おかしくなっていった。
また、「どうしてアイツのを読んだのに、こっちのは読まないんだ!」って怒る人や、「多いので制限を設けます。必ず読むとは限りません。感想来なくても攻撃しないでくださいね!」って、チクチク言葉が目立つようになってきた。
その言葉の痛みを、感じてしまったから、僕は……。
このタグの力は、思ったより強いらしい。公式サイトの評価にも僅かながらに影響していた。中には『相互違反』や『ギフト券でポイントを買う人』が強制退会を喰らったとか。
僕は罪悪感に押し潰されそうになった。
「こんなタグ……造らなきゃよかったな……」
僕が有頂天になって創ったタグは、多くの人を混乱に巻き込んだ。また、公式にまで迷惑をかけている。それが悲しくなってしまった。
僕は悩んだ末に退会を決意したんだ。作品もすべて消した。コンテスト? 一次にも引っかからなかったよ。今は大学生になった。SNSを覗くと、あのタグを未だに発見する。そこに喜びは、無い。
ボクの創ったタグは、言葉の意図を変えて生き続ける。作者の可能性を殺しながら。