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深い線香立ての元居た場所から、厳かな炎を象った装飾のランタンに入れられて、火守は修道女の手の中に大事そうに抱えられ、薄暗い長く続く廊下を歩いていた。
この廊下には大きな窓が均等に備えられており、そこからは満月が姿を現していた。月明りだけが廊下の明かりになっている。
『イフリート』
彼女は俺をそう呼んだ。
俺はあまり漫画やアニメ、ゲームに没頭したことはなく、ゲーマーやオタクといえるほど物知りでもない。しかし流行になっているもの、cmや世間の会話なんかで興味をもって遊んだことくらいはある、所謂ミーハーってやつだ。
そんな数少ないゲーム知識を持った俺でもこの名前くらいは聞き覚えがあった。
この名前から受ける印象といえば。
でかい。
燃えてる。
狂暴そう。
筋肉質。
獣っぽい。
ほぼ裸。
物語序盤で手に入る。
…なんだかタイタンっぽい印象になってきたが気にしない。
召喚獣や精霊として存在し、火を司るものとしてファンタジーに君臨する、いわばレギュラーメンバーだ。
しかし、今の俺の姿はどうだ。
自分を客観的に見るのは難しいのだが、一つ確かなことは。
メラメラ。
この燃えているんだなって思わせる音、あと妙に俺の視界は明るいこと。
俺を今丁重に運んでいるこの修道女も、俺を見て火球と例えて見せた。それに、一応は自分で自分の姿を確認したこともあり、俺が火の玉になっていることは間違いないのだろう。
あの時、火災現場で俺は炎に巻き込まれた。あの強烈な眠気は、所謂一酸化炭素中毒という奴だろう。生きたまま、灼熱の劫火に焼かれて、火の玉になっちゃいました、ってことなのか。
転生、生まれ変わり。
そんな小説のタイトルを耳にしたことがあったな。
意識は俺であって、身体がこうならそうなんだろう。消防士はいつだって命懸けだ。メンタルの強さには自信がある。あるけども。
落ち着いているように見えるのは単に状況整理ができていないだけかもしれない。
「イフリート様、どうかなさいましたか。」
徐に修道女が話しかける。俺は声とか感情が出せないはずなんだが、彼女はどうやって俺の変化を汲み取っているのだろうか。
「はっ。いけません、大事なことを忘れていました。」
歩みを止め、窓枠にランタンを置くと、彼女は向き直る。
これ以上ないまっすぐ伸びた背筋で両手を下腹部前でくみ、火守を見つめる。
月明かりが彼女の絹の様なつやのある長い金髪を、より一層輝かせる。
「申し遅れました。私はフラン・アマデウスと申します。ここ、オリゴルクサ大神殿の、恐れながら大司祭を務めております。」
神殿、大司祭。この言葉の羅列から疑問が一つあった。
「あ、この修道着ですか。大司祭の服は、何と言いますか、派手で好きではないのです。」
フランはどこか寂し気に苦笑して見せた。
何か訳があるのかもしれないが、本人が言わないのであれば深く追及はしない。
それにしても、本当にこの子は俺の考えがわかるのだろうか。さっきからちょくちょく会話ができているような気が。
「それはですね。」
そういうと、フランはランタンに顔をぐっと近づけ、俺にそのきれいな目を見せつけるように大きく見開いた。
「代々大司祭を務めるものには、その証としてこの劫火の眼が与えられるのです。この眼はあなた様と意思疎通するための物であり、私があなた様の眷属であることを示しています。」
なるほど、わからん。
しかし、口もきけない今の状態で意思疎通が取れる存在というのはありがたい。
「劫火の眼のこともお忘れとは…。一度消失したことにより記憶が無くなってしまわれたのですね。わかりました、道中お話いたします。」
勝手に解釈してくれたようでありがたい。ちょうどこの世界についての説明も欲しかったところだ。
んんっ、と一つ咳払いをして、フランは語り始めた。
「この世界では、精霊信仰が盛んに行われています。主に4つの国があり、それぞれで信仰している精霊は異なり、我が国では炎の大精霊イフリート様を信仰しています。精霊は実態を持たず、精神体でのみこの世界に存在しています。そして、精神体としてあり続けるために、国民の信仰心が必要になります。代わりに、大精霊様からはその秘めたる力の恩恵を与えていただいています。」
なるほど、大精霊と人間は、お互いに助け合って生きてるってことか。
そしてこれからは、俺がその恩恵とやらを与えていかないといけないわけか。
「与えられている恩恵は様々で、魔法の適正や、その地の守護ですが、それだけでなく、火の力による食物の促進作用、回復魔法の特化がとても大きいかと思います。」
回復に、食物の促進作用。大方火のイメージからはかけ離れているようにも思える。
「火、というのは光であり、熱です。その火を司るあなた様は、生物の新陳代謝などの熱量の操作、作物や動物などほんの小さな生命エネルギーともいえる熱も司ります。死者を生き返らせることはさすがに叶いませんが。」
想像していたイフリートのイメージとだいぶ違うぞ。てっきり炎ぶっぱで考えなしに辺りを塵にするだけしか能がないと思っていたが。
命のやり取り、というと語弊があるが、しかし生命を半ばいじることができてしまうとは…。
「しかし…。」
そこまで誇らしげに説明してくれていたフランの表情がやや陰る。
「現在のイフリート様は、全盛期の1割にも満たないお力しかありません。また以前のように成るには、国民からの信仰心をまた集めなくてはなりません。」
信仰か、この神殿は相当広い。建物が立派だということはそれだけ国民との交流があったことを指す。だが、いまでは荒廃し、廃れ、ほこりをかぶるまでに至る。
おそらくこの点が、俺が、イフリートが一度消失したということの説明になるのだろう。
「おっしゃる通りです。…先ほど、火の力の一端に、生命エネルギーの操作というものがあるとお話ししました。信仰心で生きられる大精霊様にとって国民との繋がりは絶対です。ですので、ありえない話なのです。」
なかなかぱっとしない言い方だ。まぁ薄々わかってはきたが。
「我が国の者なのか、はたまた、他の3国の刺客かはわかりませんが、火の力は生命エネルギーを吸い取ることができる、と国中に触れ回った者たちがいたのです。」
火の力は、生命のやり取りができるわけではない。生きているものの、例えば傷の直りを早めたり、未熟な実の成長を早めたりということができるのだろう。つまりは、死んだ者の蘇生や、火のエネルギ―ともいえる生命エネルギーを奪うこともできない。そもそも、する必要がないのではないか。だって俺の力の源は人の命ではなく、信仰心だとフランは言ったのだから。
だが実際、イフリートの信仰心は実質0になってしまったのだろう。ということは、噂だけでなく、国民に決定づける何かがあったのだ。
気が付けば、俺とフランは、祭壇のようなところにまで来ていた。祈りのための椅子や敷物は壊れていたりぼろぼろに切り裂かれている。しかし祭壇だけは、今でも使われているかのようにきれいに整えられていた。
「…ある時、黒装束に金の仮面をつけた者たちが、この大神殿祭壇にてイフリート様への祈りを国民が行っている最中に割って入ってきたのです。そしてこう言いました。『貴様らの進行している炎爆の大精霊は、命の源までも吸い取ることができる。このようにな。』と、炎の回復魔法を、携えていたウサギに唱えました。すると、回復するどころかみるみる痩せていき、ついには力なくぐったりしていました。」
ここで、そんなことが。
むしろ、ここだったから実行したのだろうが。信仰の中心だったこの神殿で、信じていたことと真逆のことが行われれば、いままでの噂が真実だったのだと強い衝撃を与えることができる。
フランの歩みが止まる。
「それ以降、祈祷をする者もおらず、イフリート様の火も徐々に消失してしまいました。それで済めば、まだよかったのですが。」
フランは大司祭だと言っていた。それまで、一人でここを守ってきたのだとすると、その心労は想像を絶することは想像に難くない。
「前司祭であった父も、母も、何百年にわたり死神を信仰させたという罪を着せられ、処刑されました。幼かった私は、…なにも、できずに…。」
その揺らめく炎の宿る両目から、涙がこぼれる。
「何か、何か細工があるはずなのです。イフリート様の炎は、いたずらに命を刈り取るものではありません。その炎は、逆鱗に触れたときのみ、仇なすものを灰塵に帰すと言われています。それをご自分の信仰している国民にするなど、ありえません。」
俺の信仰心のない世界で、俺がこうして転生できたというのは、たった一人の孤独な大司祭が、来る日も来る日もひたすらに祈祷を続けた賜物なのかもしれない。
「私は、復讐なんて望みません。ただ、この偉大な方を死神呼ばわりされ、無残にも殺された父母の無念を晴らしたいのです。それは、またこの国がイフリート様への信仰を取り戻した時にこそ晴れるのです。」
家族を殺され、国民からも逆賊の汚名を着せられてなお、復讐は望まないという彼女の力にどうしてもなってやりたいと、俺は思った。
昔、人間だったころ、夜に焚火とかBBQなんかをしていると、火はひと際輝きを放っていた。その時の火は、何故だか目が離せなくて、見ていると心が落ち着くような気持になった。
火は、簡単に生物の命を奪える。だがそれだけじゃないこともまた俺は知っている。
何かできることはないかと考えていると、頭の中で文字が浮かんできた。
『炎爆魔法:使用』『炎爆魔法:創造』『炎系擬似精霊召喚』『回復炎魔法:使用』
スキル、みたいなものなのか、しかし、『炎爆魔法:創造』はまだ使用できないのか、薄暗くなっている。
炎、和み、癒し、フェニックス、とか。あれフェニックスってどんなだったっけ。
そうやってイメージを作りつつ、生前には感じられない、己の中のエネルギ―を凝縮し、放つ感覚を、初めから知っていたかのように行う。。
火守の火が、輝き始める。
「イ、イフリート様、何を…。」
『炎系擬似精霊召喚:飛燕』
フランが言い終わるのと同時に、火守の入ったランタンの前で小さな火球が爆ぜると、小さな炎の燕が姿を現す。羽ばたくたびに火の粉が散る。サイズこそ小さいが、大きな祭壇を自由に駆け回る。
「まぁ…。」
…おもったより小さい、単価斬っといて恥ずかしい。
フランが片手を前に出すと、燕が手のひらに乗り、その瞬間にフランを炎が包み込む。
「…暖かい。冷え切った心が、癒されていくのを感じます。」
滑らなくてよかった、とほっとする火守。
「わざわざ擬似精霊を召喚してくださるなんて、感謝の意に堪えません。」
まずは、国民に対して俺が無害であることを示さなければいけない。そして、フランは復讐は望まないと言っていたが、やはり積んでおかなければまた同じことが起きるやもしれない。
忙しくなりそうだ。
こうして、火消しだった俺は、俺への信仰をまたかき集めるために動くのだった。