運を呼ぶ竜の実態 上
何もしたくない
口ではそう言いつつも、実際身体は、仕事に動き、勉学に励み、遊び、食事をする。
何もしないで生きていけたら人間は動くことができなくなっていたのだろう。
何もしないただ存在しているだけのモノに成れたら良いのに。
ただぼんやりと布団に入って、そんなことを考えながら目を閉じたのがいけなかったのだろうか。
おそらく、次の日。
目が覚めたら、異様に身体がだるかった。
目を開けることすらも面倒だと感じる自身に驚愕を感じた。
仕事があるのだとなんとか目を開けたら、一面の緑。
我が家は草原だったのだろうか。
頭を使うこともかったるい。
考えることをそうそうに放棄した私は目を閉じた。
意識が浮上し、目を開けるとまた違う景色が見えた。
今度はどこかの洞窟の中だった。
冷たい空気が皮膚に軽い痛みを与えてくる。この場は少し寝にくい。
また目を閉じた。
目を開けるとまた違う景色が見え、目を閉じると眠くなる。
眠って起きて、何もしないでいることが続く。
これは不思議な夢なのだと気がついた頃には景色が全く変わらなくなっていた。
どこかの宮殿の中のような金と赤でできた部屋の中心で、真っ黒な寝具に包まれている。
目を開けても何もなく、ただ存在しているだけの私に存在意義はあるのだろうか。
いや、存在意義なぞどうでもいい。どうせこのやけに重い身体は一生軽くならない。
日付感覚すら無くなっている私は、このまま一生眠って過ごす。死んだとしてこの寝ている状態とそう変わらないであろう。死んだことにも気がつかずに眠るのだろう。
眠ったままの、はずだった。
いつ起きたのかと明確な表現はできない。
ただ、それが唐突で突然だったことは理解できた。
ガッと頭の中から力強く斧で殴られたのかと思うほどの痛みで強制的に意識がはっきりとした。
しばらく何もしていない身体がそう簡単に動くわけはなく、頭を抑えようとした手は途中で力尽きて布団に収まった。
いたいなー、終わらないかなーと待っていると止まった。
しかしどうも目を瞑る気に、眠ろうとする気になれなくなった。
身体は重いし動かないし怠くてダルくて仕方ないのに、眠れない。
本当になんだこれは、地獄か何かか。
あ゛ー、声も出さずにただ布団の上で寝転がり目を開けているだけの状態でいくばくか。体感的には1時間ほどでやっと変化が訪れた。
がちゃん、と音がした。
なんの音だろうかと首を傾げ、ることもなく、その場で目玉だけ動かして状況を確認する。
「はー、なんでオレが、こんな役目を……」
男の声だ。どうにもかったるそうなその声音に、私と気が合うのではないかと考える。
男は、私の知っている人間とは違う形をしていた。
鱗のような質感の肌、浅黒くてしっかりとした四肢。服装はスーツのような、何かの制服のような姿、なのに剣を帯刀しているが、それすらも気にならなくしている頭。顔面だけ二次元なんだろうかと見間違うイケメン面。
鱗に似合う黒髪も、竜のような金の眼球も、頬に浮かび上がる鱗ですら似合う。
これだから美人は。
男が見知ったように部屋に入り、手慣れた手付きで掃除をしていくのを見つめる。
声をかけてもいいのだが、生憎となんと声をかければいいのかわからないし、声を出すのも面倒くさい。
私はいつからこんなに怠惰になったのか。
「こんな微動だにしない生き物、魔王サマはなぜ世話しているのか」
私は世話されているらしい。
全く覚えがないのだが、魔王サマとやらはいったい誰なのか。微動だにしない生き物が自分のことである自覚こそあるが、それ故になぜ気を使われ待遇が良いのか不思議で仕方ない。
謎だ。
またため息を吐いて幸せを逃していく男は、諦めたように目を流し、その切れ長の目で私を写した。
金の目玉がこちらを見ている。
私の目の中に今、彼がいるように、彼の目の中には確かに目を開け見つめ続ける私がいる。
何か愚痴を言おうとして開いた口を閉じることなくそのまま開き、彼はゆっくり瞬きをする。
目を擦り、また私を見る。
やっと時の流れを知った彼は、耳に痛い叫び声を上げた。
うるさいから勘弁して欲しい。
ぼんやりと大慌てする彼を見る。
最初は声を上げて叫び、尻餅をついて、人でも呼ぼうとしたのか部屋の外へ、扉の外へ身体を放り出していた。
しばらくすると、戻ってきて、また慌てたように私に声をかけてきた。
返事をするための発声もしたくないのでかったるそうに見つめ返す私を彼は一体どう思ったのか。
敬語で心配そうな言葉を投げかける彼の目には、なぜ今起きたとわかりやすく記されてある。
私だって、好きで目を開けているわけではない。
「あの……なにか……」
何か喋れよ、と顔で訴えかけてくる男を見て私はコミュニケーションを取るのもだるいなと考えていた。
「……だ…れ…」
思いの外高い声音が私の喉から重々しく流れ出た。
いつぶりの発声か、そもそも私は眠り込んでからどれくらい経ったのか、これはいつから見ている夢の中なのか、とか止めどないことを考えながら声をかけた。
「…所属、C級護衛部隊班、第三班。ソテツです」
護衛、部隊。なんだろうそれは。
掃除していたし、バトラーか何かのように見えたが、違ったのだろうか。
さてこの状況の中で、私は一体どういう立ち位置に置かれているのだろうか。
敬語を使われているあたりで、彼よりも位が高いのは理解したが、どうしてそんな立場になっているのかここで何かした覚えはないのだが。
「……ど…こ…」
「はい?」
「ここ…」
ああ、喋るのにすら体力を使うんだなと実感する。
男は嘘くさくて明るい笑顔で対応してくれる。
「魔王城、眠りの塔、最上階に位置する貴女様のお部屋です」
私の部屋は、どこにでもあるようなやっすい賃貸アパートだったはずだが。
もしかしてこの夢の中はファンタジーでできているのではないか。
魔王とか言っていたし、この人もなんだか人外じみているし、最近読んだ小説のイメージでできた脳が作り上げた幻覚なのではないか。
そうというなら話は早い。夢の中ならなにしようが問題ない。
寝不足だったんだ。夢の中でも眠ってやる。
そう思って目を閉じ眠ろうとしたが、いかんせん眠くならない。
そうだ、眠れなくなったから起きたのだった。
私は少し忘れっぽいのかもしれない。
「……何か、問題がお有りでしたか?大体のことならオレ…じゃない……私が対応致しますが」
優しくて仕事対応とはいえ、なんでもしてくれるという、彼に私は少々迷う。
して欲しいことは特にない。状況説明をしてくれても構わないが、聞いている間に理解することが億劫になってもういいやと放棄する未来しか見えない。
何もしたくなかったが、眠ることもできなければ、やることがなくて暇だ。
矛盾しているのだが、仕方ない。それが感情というものだ。
「ひま……」
「暇……ですか」
なんか面白いことやって、なんて子供じみた頼みを彼は少し考えただけで快く了承してくれた。
「……でしたら、散歩に行きましょうか。中庭の花が見頃なんです」
えー…。
「あるくの……?」
面倒だ、部屋の中でできることにしようよ、目で訴えかけていると男は苦笑しつつ、私の布団を剥いだ。
あ、寒い。
寒いな、まるで肌にそのまま空気が当たっているかのよう。
なぜだろうかと考えて、すぐに原因が分かった。
服、着てなかった。
私はマッパで寝る趣味はないのだが…、なぜだろうか。
先ほどからわからないことばかりだ。
「調度良い。寝具の交換の時期ですし、歩きたくないのなら私が足になりましょう。……まずは服を着て…」
男は私に目もくれず、部屋の端にあったタンスから服を引っ張り出し、あれ着てこれ着てと指示を出す。
動きたくないのだが、彼はもう私に布団を返す気はないようだ。
ナマケモノの如くのろのろと、渡されたものを着ていく。寝具から引き釣り下され、高そうな絨毯に座り込んで服を着替える。
着替えはどれも高価そうな物ばかり、シャツにパンツに靴下に、どれを取っても品が良い。
私が動いている間、彼は寝具をさっさと畳み、片付け、新しいものを取ってきて、交換する。
私が着替えを終えると、彼は笑って私をおぶった。
そこでようやく、自分の体がなんだか若々しく、妙に細くて白いことに気がついた。
陶器のような自分の手を見つつ、彼に身を任せ脱力する。
動きたくないのだから仕方ない。
いつのまにやら二つに結ばれた長髪すら白く、私は真っ白なんだなと自覚した。そしてその長髪は腰よりも長い。比較的短めであったはずの髪が長くなっている事実にさらに夢であることの確証が上がった。
「どうでしょう、庭師のトレントやドライアドたちが丹精込めて作り上げた中庭です。今はココヨの花が見頃で……」
男が丁寧に説明するのを聞きながら、おぶられた私はポカポカ陽気に眠たくなりながらも風景を見る。
眠たいのに眠れないというのも地獄のようだ。
人間では到底なし得ないかのような美しい中庭は、苔が茂り、花が咲き、宝石のような輝きを放っていた。
正直言って、眩しくて直視できない。
目を凋ませながら、彼の肩に顔を埋める。
クスクスと喉を震わせて笑う彼。
「なに……?」
「いえ。なんでもないです……」
口元を手で隠し、にこりとわらって彼は誤魔化した。
しばらくの間、ぼんやりと人ではない何かが作った、有り得ない構造をした庭を見ていた。
「おい、ソテツ!サボってなにを……」
大声が聞こえた。
何事かと思ったが、不思議と興味が湧かなかったので、目線はそのままにして、耳だけ傾ける。
「隊長……我が塔長が、目を覚ましたので、中庭の案内を少々しております。魔王様方にご報告を……」
「ソテツ……おまえ……」
なんだか恨めしそうな嫉妬深い唸り声が聞こえた。話し相手は随分とこのお兄さんに負の感情を持っているようだ。
「……選ばれたのは、私ですので」
自慢げな彼がなにを言いたいのだかわからないが、面倒ごとには口を挟まないのが良い。
「……了解した」
渋々捻り出したような返事に、自慢そうな目線を送る彼はなるほど性格が良くないようだ。
話し相手が去ってから、やけにご機嫌な男を見る。
黒髪が心なしか艶々している。
じっと見ると、髪と髪の間から何か尖ったものが見える。
なんだこれ。
興味が湧いたので、手で軽く触ってみる。
がくんっ。
急に、土台くんが揺れたので驚いた。落とされるかと思った。
どうやら彼は角?を触られたことに対してとんでもなく驚いたようだった。
「あの……角は……ちょっと……」
触られるのは嫌だったようだ。
謝りつつ、彼の肩から話していた手をしっかりと回し、抱きつく。
しっかり捕まっていた方が、落ちる心配がないだろう。
「……貴女様はなんというか……変わった方ですね」
顔は見えないが、浅黒いはずの彼の耳が少し赤みを帯びておるのが見えた。何を恥ずかしがっているのだろうか。
「きみ……も」
変わってるよ、と伝える前に口が疲れた。はぁ、とため息をついて眠れないことを承知で目を瞑った。
次に、ぼんやりとした頭が、はっきりと醒めたのは、まだ彼の背中でゆらゆらしていた時だった。
あったかいなぁ、布団もいいけど人の温もりもいいなぁと考えていたあたりで、彼に声をかけられた。
「……さて、気分転換はできましたか?」
うん、と軽く頭を縦に振る。
「そうですか。でしたら次に、魔王様にご挨拶にいきましょうか」
「…まおう、さま」
おうむ返しに呟く私に、彼はそうです、と頷く。
「貴女を迎え入れ、塔に置いた張本人。魔王様です」
「……塔……置いた?」
知らない人にいつのまにか移動させられていた衝撃の事実に驚く。
「……運を呼ぶ眠り竜。なんて呼ばれるほど、貴女の住処は、どこも豊かな土地になった。この城に置いたのも、それにあやかって、らしいですよ」
「竜……きみ、竜?」
ぼんやりと単語だけで喋るような状態の私に一切構わず、彼は会話を続ける。
「……私はカザンダ山の民ですので、竜を名乗れません」
「でも、きみ……鱗ある」
「……あぁ、鱗ならサラマンダーもありますよ。それをいうなら、貴女こそ、竜を名乗るのにふさわしい」
私は人間を辞めた覚えはないのだが、彼にはどうやら私が竜に見えるらしい。
「外に軽く曲がった白灰色の角。薄紫の瞳。白竜は、とても縁起がいいんです。角飾りでもつけますか?」
私に、角があるの……?
ゆっくりと腕を頭に伸ばして手で探る。
硬い何かが手に触れた。それと同時におかしな感覚。
初めて感じた、感覚器官が機能した。
なんだこれは。
「角……」
「ええ、立派で形の優れた良い角ですね。私のは小ぶりであまり良くないので、羨ましい限りです」
触ってみれば、確かに長く、それでいて大きすぎない角。
それでも人間である私からみれば、違和感のない彼の角の方が羨ましい。
無い物ねだりはやめておこう。
「……魔王様」
「そうですね。行きましょうか」
初対面であるはずなのに、気心の知れた友人のような会話をしながら、私は見も知らぬ豪勢な廊下を通っていた。