後のファフニールになる者 上
明るい日差しが肌を焼く。
山頂付近のこの辺りはいつもそうだった。
真っ黒の髪は熱を吸収するから暑くて仕方ない。
金や赤の髪を持つ兄弟たちが羨ましかった。
オレには兄弟がいる。
二十二人ほど。全員は会ったことがない、せいぜい十人と少しくらい。一部のやつは別々に住んでいたから仕方ない。
竜は子煩悩であり三匹程しか子をなさないというが、絶対に迷信だと思っていた。
なぜならオレの兄弟はそんなに少なくないからだ。そして子煩悩でもない、母さんは放任主義者だった。世話をしないわけではないが、はっきり言って子供に気を使うこともない。
一番チビを買い物に行かせることもあれば、一番上に洗濯をさせることもある。後者は構わないが、前者でいう『チビ』は生後二年半。竜とはいえまだまだ赤子に近い。それを隣の山まで行かせようとするのは勘弁してほしい。
仕方ないからオレが代わりに行ってやった。…他の兄弟たちは面倒くさいと本当にチビに行かせようとした。
オレは竜ではないのだという。
ある程度育ってきて、周りの兄弟たちが立派な角を自慢げに磨くのを見て、オレの角、育たねぇなと思っていたら、近所のサラマンダーに言われた。
お前もまともに火が吐けないから、サラマンダーじゃねぇなって言い返してやった。
事実である。
どうにも、たしかに、オレは竜ではないようだ。
気がついたのはもう少し大人になってから。
角は竜の誇りであり、プライドでもある。
それがほぼないと言っていいオレは、仕事を探すのにも一苦労だった。
山に外に出てから気がついたが、オレの出身地、カザンダ山は忌避されたあまりものが集まって暮らす山だという。
一般的でごく普通のありふれた田舎生活しかしていなかったから、そんな山だったとは露ほどにも思わなかった。
それだけでも、マイナスだというのに、オレは竜には見えない、むしろプラス要素を探す方が難しかった。
なんとか城の護衛の座を実力で勝ち取ったが、周りから遠回しに山に帰れ軟弱者という視線が絶えなかった。気は強い方だが流石に疲れてきた。
城の護衛はAからEまでの五段階のランクに分かれている。
オレは言わずもがなEである。
城の門番なんてかっこいい者ではない。基本的に訓練をやりまくり、たまに雑用で呼び出される程度の下っ端だ。
門番はD級以上の護衛班の仕事である。
ひたすら訓練をしていると、本当にオレは何をしているんだろうと思う。
山に残してきた他の数人の兄弟たちは、今も山で細々と暮らしているのだろう。逆に都会で育った方の兄弟たちとは顔合わせしてないのがほとんどで、もはや他人。
父さんと暮らしているそうだが、父さんとは会ったことこそあるものの、会話したことはない。
山に帰るのも悪くないが、特に面白くもなく、家族たちも懐かしいとは思うけど、会いたいとまで思わない程度の関係。
野生の魔物などは親子で共食いをしたり天敵から逃れるための囮に使ったりするそうだから、それよりはマシな関係であると思っている。
恋をしようにも、相手がいない。
初恋は近所の同年代のシルキーだった。シルキーは家事を仕事にする妖精だ。中性的な見た目で、純粋無垢な顔をしている。遠目にみて癒されていたが、話してみたら、とんでもなく豪快な性格の男だった。苦い思い出だ。
その豪快な性格のシルキーも、護衛班にいる。A級である。魔王様の面倒を見る仕事らしい。
高給取りなのだろうな、と勝手に想像している。実際クラスが高いほど給料がいい。
オレの給料はというと、生きてはいけるし娯楽に手も出せるが、金持ちではないと言った感じだ。
下っ端なのだから娯楽に手が出せそうといった点では、運がいいのだろう。
なぜこんな生きがいも何もない都会で生きているのかといえば、山に戻っても育ってきた下の兄弟にロクな扱いを受けないからだとしか言いようがない。
先程家族仲は普通だといったが、それは上の兄弟と両親に対しての話。
下の兄弟数人は別だ。
親が違うわけでもないのに、先祖返りらしいオレは黒髪である。
昔は父の方を見たことがなかった下の子も、最近会ったらしく、微妙にオレのことを嫌っている。
もともと、細かいことを気にして、自分の部屋は片付けろだとか、食器は台所に運べだとか、口煩く、教える役回りだったこともあり、何故だか嫌われている。
下の兄弟のなかで、唯一オレに懐いている、一番下のチビだけは、素直で聞き分けが良く、明るくて小さい時から立派な角を持つ、良い子だった。
チビだけ特別扱いなのは、彼らのオレに対する扱いとそう変わらないから気にしないでもらいたい。
このまま、つまらない竜生を歩んでいくものだと思っていた。
転機は、とある事件だった。
どこかの貴族がこう言った。
『A級の護衛班の癖して、コネで勝ち上がってるような者がいる。そういう風習があるのはどこも変わらないが、下っ端の方が世話が上手いとはどういうことか』
たしかに護衛班は、『護衛』をする仕事だ。しかしながら、従者の役割も兼ね備えなくてはいけない。
護衛班には、世話係という仕事もあるのだ。
それが全くできていない輩がいる、それも高給取りの方に。
由々しき事態である。
魔王様もその発言に注目したらしい。
急遽、護衛班が集められた。クラス関係なしに護衛班全員である。もちろんオレも。
魔王様は、教養のレベルを測ることにしたらしい。
護衛班全員が、テストを受けた。
お茶の入れ方、家事のやり方、敬語の使い方、細やかな気配りの仕方。
兄弟が多く放任主義者が親であったオレにとって、家事はテスト勉強の必要がないくらいだった。気配りも、できる方だ。
お茶の入れ方については、及第点。下手ではないが上手でもない。
どいつもこいつも引っかかっていたのは気配りだった。ちなみにオレは殆どのやつが合格した敬語が危うかった。
すぐに一人称が『オレ』になる。敬う態度こそ完璧でも口調を直すのにとても苦労した。
「なんで、腕がいいのに今までE級だったんだろうな、お前。」
テストの試験監督だった上司に言われた。
「オレが竜もどきだからじゃないっすかね……あ」
「敬語」
「はい……」
どうにも敬語で喋るのに慣れない。
その上司はため息をついた。
「お前なぁ、小振りだろうと田舎者だろうと、角はあるし鱗もあって、どっから見ても竜だろう。少しは自信持てよ」
初めてそんなことを言われて、驚いたことは今でも記憶に焼き付いている。
上司のその言葉に、たまたまテストで同じ班だったシルキーもうなずいた。
「……昔っから、消極的なんです、彼……優しいし賢くて、悪いやつではないんですけど……」
「そのしおらしい態度やめろや、男だろ」
「敬語が覚えられないの、そういうところだと思うよ、ソテツ」
揶揄うように笑うそいつはどっからどう見てもイタズラっぽい女の子だ。こういうところに、騙された。
こいつは、実技試験で戦斧を振り回す、巨人も真っ青の男前な漢であるというのに。
「……んー、どう考えても昇進だな。魔王様も貴族様もよくこんなテスト考えたもんだ。優秀なやつが出てくる出てくる。……逆に問題のある奴も湧いて出てくるが……」
そんなわけで、オレは昇進した。
一つ飛ばしに昇進、C級に配属された。
ちなみにシルキーの野郎はそのまま天辺キープだそうで、優秀な奴だ。
「お前が新入りか……。剣の腕も中の下な癖してよくもまぁのうのうと配属されてきたな……」
嫌悪感を隠しもしない班長が直属上司であること以外、特に不満はない。
C級なので、門番も行うことができるし、そこそこ上役の守りも任される。
班長のせいであまりそういう任務をすることもないのだが…。
オレはあまり他の班員がやりたがらない仕事を任されていた。いわゆる嫌がらせという奴だ。
他の班員にとっては、嫌で嫌で仕方ないらしい。
オレだってなんでこんなことをしているのだろうと思ってしまう。
任されたのは、眠り竜の世話。
運を呼ぶ竜、眠ったままもう数百年起床していないという、竜の世話だ。
なんでも、この竜の眠る住処には、運が運び込まれ、付近は永く繁栄するという。
言い伝えのような、伝説のような、おとぎ話にも近いソレは実在していた。
どこぞの敵国を滅ぼした時に、命乞いされ、対価として渡されたらしい。
魔王様は優しくないので、命乞いで貰うものもらってから、遠慮なく滅ぼしていた。
その国は逸話通りに繁栄していたし、この竜のいた国は全て、歴史に残るほどの栄華を誇った大国となった。
半信半疑で、魔王様はこの生き物を手元に置いている。
話には聞いていたが、実際見たのは護衛班の仕事で世話を始めてからだった。
魔王城の四つある塔のうち一つをもらい受け、四天王の座に置かれているその竜は、未だ目覚める事なく、眠ったままだ。
初めて見たときの、第一印象は、消えそうな姫だった。
どう考えても、竜というより姫で、童話としては眠り姫の方がふさわしいのではないかと思った。
しかしながら、その姫にはしっかりと、オレのモノとは比べものにならないほど、美しい角を持っていた。
白い髪、白い肌、白銀の角。まっさらなその生き物は、寝息も立てずに布団にオサマっている。
この姿に、恐怖を覚えるものが多いらしい。
曰く、血の通っていない人形のようであると、心臓が動き、胸が呼吸で上下する様さえなければただの死体のようだ、と。他の班員がこの仕事をやりたがらないのは、一重にこの生き物を目にしたくないからだ。
ただただ美しいだけのものには、近づくことにすら嫌悪感を感じ、誰も彼もが避けて歩く。
遠目で見るのが一番ちょうどいいらしい。
オレとしては、一切気にならない。
死体の世話だろうと人形の世話だろうと、我がままばかりのお貴族様の世話より余程楽だ。
掃除くらいしか仕事がないし、護衛なんて、部屋の前で突っ立ってようと、部屋の中で椅子に座って休憩してようと、同じことなのだ。なんせこいつは動かない。意思もない。
サボっていると怒ることも、面倒な雑用を押し付けることも、給料を勝手に減らすことも、差別することもない。
そもそも、逸話以外でこの生き物を奪おうなんて野郎はいない。護衛なんて形だけだ。
毎日、掃除くらいしかやることがなく、塔の中の図書室やら食堂やらに寄ってみたことがあるが、塔長が起床しない故に稼働しておらず、食堂はただのだだっ広い広間。図書室の本はオレには読めなかった。
文字が読めない訳ではないのだが、魔力により塔長に合わされたその言語は、見覚えがなかった。
この生き物は永く生きている、コレがきちんと起きて活動していた時代の言葉なんて読めるものは数少ない。
そもそも、竜の寿命はないに等しいが、力が強い故に、戦に出されることが多く、高齢と言われるものであって二百年くらいだ。千年を超える時を生きている竜も世の中にはいるらしいが、オレはおそらくそのうち戦で死ぬタイプである。
竜は子が少なく、番は人生で一人だけという特性のせいで、あまり数がいない。
オレの家族がちょっと変わってるだけなのである。