第三話
その次の日のことでした。
息を切らしながら東山駅に駆け込んだ加奈子さんは、頭の先から靴の先までずぶ濡れでした。
府立図書館で調べものをしているうちに空のご機嫌が急に悪くなってしまったのです。
すっかり用をなさなくなったハンカチで、なんとか滴を拭おうと悪戦苦闘しています。
これ、良かったら使ってください。
差し出されたスポーツタオルの持ち主は、他ならぬキクチくんでした。
――前に学校合同のお茶会で会ったことがある気がして。
――雨で濡れて寒そうだったから。
――体育の授業終わりに使っちゃったからちょっと汚いけど良かったら。
矢継ぎ早に話すキクチくんの言葉も、加奈子さんの耳には半分ぐらいしか入りませんでした。
涙があふれそうになるのをこらえながら、タオルを抱きしめるので精一杯だったのです。
そのまま返してくれてもいいのに、と言われたものの、それで済ますわけにはいきません。
洗濯して返すからと言って、加奈子さんは菊池くんの連絡先を聞き出しました。
乾燥機が回り終わる頃には、加奈子さんのケータイに菊池くんからメッセージが入っていました。
タオルを返す約束を取りつけた頃には、菊池くんはカナちゃんと呼んでくれるようになりました。
タオルを返したのは、東山三条の角にあるマクドナルドでした。
そこから地下鉄を西へ帰っていく菊池くんと、東へ帰っていく加奈子さんにちょうど良かったのです。
次に会ったときには、河原町のオーパで買い物をしてから、新京極をぶらぶらしました。
どんな服を試着してもかわいいかわいいと菊池くんが言ってくれるので、加奈子さんは嬉しくなりました。
西大路五条のロームに、イルミネーションを観に行きました。
大晦日には八坂神社へおけら詣りに行って、初詣は平安神宮に行きました。
七条の国立博物館に行ったときには混雑していて、小雪舞うなかさんざん待たされました。
けれども菊池くんと話していると寒さも忘れてしまいます。
ずっと話してられるし、もっと並んでもええのになぁと加奈子さんは思いました。
梅の頃には北野の天神さん、桜の頃には醍醐寺、勧修寺。
鴨川のお散歩が気持ちよくなる頃には、二人はしっかりと手をつないでいました。
そして加奈子さんの鞄には、常世様が心地よく揺れていました。
いつまでも長雨が続いても、加奈子さんの心は晴れていました。
もうすぐ祇園祭やし、今年はお母はんに着物買うてもろたし、菊池くんと一緒に行けるし。
その頃になるとお互いの部活の顧問の先生に話をして、学校同士交流するようにもなっていました。
今日は文京中のお茶室で。来週は華鳥中のお茶室で。行ったり来たり、お稽古をします。
――ほんで結局菊池くんとは付き合ってるん?
巴菜ちゃんが帰り道に訊きました。
一緒にお出掛けはしてるけど付き合うてるかはわからへんわ、と加奈子さんは頬を赤らめながら言いました。
手をつないでいるというのは、何だか恥ずかしくて、巴菜ちゃんには言えませんでした。
いよいよ明日は、祇園祭の宵山です。
加奈子さんは何度もたとう紙から浴衣を出しては肩から掛けて、姿見に映して眺めています。
大輪の朝顔がいくつも咲いている絵柄で、ちょっとモダンなところが気に入っていました。
これやったら菊池くん受けもばっちりやわ。明日はちょっとお化粧もしよ。
待ち合わせ場所をやり取りしたメッセージを見るたびに、心が躍りました。
屋台がぎょうさん出るし、あれもこれも食べたいな。でもあんまり食べたら、菊池くんに笑われるかな。
くろちくさんで小物を買おかな。できたら菊池くんとおそろがええけど、嫌がらへんかな。
そんなことに思いを巡らせながら、加奈子さんは眠りにつきました。