第一話
なぁなぁ、あれ、やってる?
トコヨ様やろ?うちやってんで。
めっちゃ効くって聞いてんけどほんまかな?
ほんまらしいで。ハンパないって。いやほんまに。
後ろでひそかに交わされる会話に、加奈子さんは耳をそば立てました。
いったいぜんたい女子中学生というものは、占いやおまじないが大好きです。
エンゼル様やらコックリさんやら、何やらあやしげなものまで流行ります。
うちは仏教系の中学校なんやし、頼るんなら阿弥陀さんやろ、と加奈子さんは思いました。
加奈子さんは休み時間を、本を読むか、机で寝て過ごします。
もっとも、寝ると言っても実際に眠るのではなく、ただ突っ伏しているだけなのですが。
一緒にトイレへ行ったり、用も無いのに隣のクラスへ行ったり、アイドルの推しメンの話できゃっきゃしたり。
そんな女子トークが好きではなかったのです。
けれども、そんな加奈子さんも、トコヨ様にはちょっとだけ興味を持ちました。
加奈子さんは、恋をしていました。
お相手は、ヨソの中学校に通う、キクチくんでした。
加奈子さんもキクチくんも、茶道部に入っています。
知恩院で開かれたお茶会で出会って、そのしゅっとしたたたずまいに、柄にもなく一目ぼれしてしまったのです。
けれども分かっているのは彼の名字と、文京中学校という私学に通っていることだけなのです。
文京中は加奈子さんが通う華鳥女子中とはふだん交流がありませんから、友達もいません。
なんとかしてお近づきになりたい加奈子さんには、おまじないぐらいしか頼るものがないのでした。
意を決した加奈子さんは、おもむろに起き上がっておしゃべりの輪に入る……ことが出来ずに、部活を共にする巴菜ちゃんに「トコヨ様」について訊いてみることにしました。
「なぁ巴菜ちゃん、『トコヨ様』て知ったはる?」お水屋にお茶碗を仕舞いながら尋ねます。
――知ってるで。いま流行ったあるしな。
やっぱり巴菜ちゃんは知っていました。
――かなちゃんがおまじないに興味持つなんて珍しやん。あれか、キクチくんか?知らんけど。
「それ、何なん?うちもやってみよ思うねん」
――虫の繭やよ。常識の「常」に世界の「世」で常世様。ひとつだけ、願い事を叶えてくれるやて。
持つべきものは友やわ、と加奈子さんは思いました。
いつもクールで、そんなん全然興味あらへんえ、というような顔をして、物知りなのです。
――タチバナの木にしか居てはらへんのやけど、持って帰って願掛けて、肌身離さず持っとくとええらしいえ。
点てるときに力を入れてしまったのか、先の曲がった茶筅に視線を向けたまま、巴菜ちゃんが教えてくれました。
「ほんで、タチバナの木ってどこに生えてるもんなん?」加奈子さんは、見たことがありませんでした。
――京都御所とか平安神宮ならあると思うけど……。右近の橘、左近の桜て古文で習たやん?
加奈子さんは古文は苦手ですから、そんなことは覚えていません。
けれども平安神宮ならここから近いし行ってみよ、と思いました。
――ひとつ言い忘れてた。願い事叶ったら、その繭ははさみで真っ二つにせなあきまへんえ。
常世様、お発ちです。
指ではさみを作ってちょん切るしぐさをしながら、巴菜ちゃんは言いました。
そうしないと、願いが呪いに転じて我が身に降りかかるのだと。
その表情は妙に陰鬱で、加奈子さんは持っていた茶釜を取り落としそうになりました。