9
「…………ん……」
俺が部屋に入ったとき、ちょうど、ベッドの中の優陽が目を覚ました。
「…………ここは? 長浜の部屋?」
彼女の問いに、俺は頭をかきながら、
「いや、違う。非常に答えにくいんだが、美良野の中だ」
ベッドと机だけが置かれた、ホテルの一室のような部屋。美良野ロボの胸のあたりに位置しているらしい。窓からは街が見下ろせる。
ドアを出れば廊下もあって、他の部屋にも繋がっているのだが、正直、外観の大きさより中の方が圧倒的に広い気がする。
そのあたりを考えると頭がおかしくなりそうなので、最近の軽自動車もそんな感じだよな、と俺は無理矢理自分を納得させている。
優陽は体を起こそうとしたが、腕に繋げてある点滴のせいで苦慮していた。
「カルマが言うには、急激な栄養失調だそうだ」
俺は言った。あいつは親が医者で、元が天才なのもあって、簡単な医学は頭に入ってるらしい。本人はもっとマニアックな科学をしたい願望があって親と衝突、暴走族入りしたらしいが、今はどうでもいいことだ。
優陽は、「そう」と言って、ベッドから立とうとした。
「おいおいおい、どこ行くんだよ」
と駆け寄る俺に、言わんこっちゃない、足に力が入らないのかよろめいた優陽が倒れかかってきた。
「処理場……。処理場に行かないと……。うんこが待ってる……」
なんて発言だ。
疲れすぎで、うんこ言うのにも抵抗がなくなっているらしい。
「大丈夫だ、まだ猶予はある。今、日付が変わったばかりで、想定リミットまで丸々二十四時間。……しかし、カルマと話したんだが」
彼女をベッドに座らせて落ち着かせてから、自分も椅子に座って俺は言った。
「優陽、お前の能力は体への負担が大きい。今回は倒れるだけで済んだが、場合によっちゃ死ぬこともあり得る」
少し考える仕草をしてから、
「……わかってる」
と夕陽は言った。
「自分の体と、自分の力のことだから。わかるよ。多分、今回も少しあぶなかった」
「…………」
不安にさせまいと思って伏せておいたことを、どうやら自覚していたらしい。実際、心拍が止まりかけていたのだ。
「それなら、カルマのやつがした計算も言う必要はないかな」
俺は言った。
「昨日は、お前がいなかったらひどい目に会っていただろうし、俺は今後もお前という人間をすごく頼りにしてる。ただ、現実問題、処理場の大量のうんこを凍らせようとすれば、確実にお前の体がもたない」
「そうだね。私は無駄死にする」
よくわかってるじゃないか。話が早い。
「多分……いや、超能力のことはよくわからないが、きっと、筋肉とかと同じで、鍛えれば強化されるんじゃないか」
「うん。そうかもね」
「今回は美良野に任せて、次以降、頑張ってもらう方が戦力的価値は大きいと思うんだ」
「うん」
五秒ほど見つめ合った。
「わかったよ」
と優陽は言った。
俺は微笑んで立ち上がった。
「なんか食べるだろ。驚くなよ、美良野には自動調理機がついていて、ボタンを押せば定食が出てくる」
優陽は笑った。
「カニ玉定食が食べたいな」
俺は部屋にあったボタンを押してやった。
すぐに、内蔵型のオーブンのような扉からカニ玉定食が出てきた。
本当に原理不明で怖すぎるこの飯を、俺はすでに二食は食べてしまっている。
「じゃあ、食べ終わったらゴミはそこのダストシュートな」
と言って俺は部屋から出た。
廊下を歩いて、角を曲がると、気軽に会議を始められそうな小スペースがある。そこにある椅子やテーブルは無視して、隅まで歩いてから、俺は軽く息を吐き出して、
バアン!
強く壁を叩いた。
「……どうする」
さっきは美良野一人で大丈夫みたいに言ったが、デタラメもいいところだった。
カルマの計算上、処理場のうんこの半端ない重量を、たかだか二十メートル級のロボットが持ち上げるなんて不可能。もちろん美良野の能力は未知数だが、それはマイナス方面にも言える話だ。優陽のように、いつ限界がくるかもわからない。
だが、それを正直に伝えたら、あいつのことだ、無理をして能力を使うに決まってる。
全人類の命がかかっているからといって……いや、だからこそ、一人の女の子に犠牲を強いるなんて、俺は絶対にしたくない。
もう爆発が防げないとわかったら、その時点で優陽は家族のもとに帰らせる。力を持つ者にも、他の数億人と同じ最期を迎えさせる。それが、ここまで引っ張った俺の責任だ。
「大変そうだな」
その声に振り返ると、カルマがいた。
「あの女子に、本当のこと言わなかったのか」
「ああ」
「ふぅん」
とカルマは、廊下にあるドリンクバーで注いだであろうコーンスープを飲んだ。
彼は少し間を置いて言った。
「お前が何を考えたのかは、大体わかる。まぁ、理屈より感情が優先される世の中だし。だから全体の利益より個人が優先されることもよくあるし、俺もそれでいいと思う。なにせ、友達なんだろ?」
「…………お前が、そういう考え方をするやつだったとは思わなかったな
IQが高いやつは人間味が薄いと思ってたが、それは中途半端に頭のいいやつだけなのかもしれない。
「ははは、主観が強い自己中なだけさ。暴走族だし、うんこ投げてたしな」
彼のそんな気持ちのいい態度に、さすがに俺も笑った。
「悪いな。さっきは大見栄きったくせに、もうどんづまりだ」
するとカルマは、
「気にすんな。一度信じちまったのは俺だしな。お前がどんなに弱気になったって、最後までついていくぜ。……って言ったら逆にプレッシャーだな」
「ははは、まぁな」
俺は苦笑いした。
「まぁでも、それぐらいの気持ちは持ってるってことさ。だから好きなように使ってくれていいし、好きなときに切り離してくれていい」
「……その言い方は、すごく助かるな」
俺は言った。
「だろう? まぁ、あの子にもそんな感じでいいんじゃないか」
そう言われて、は……と感嘆みたいな息が漏れた。
こいつは、うんこ投げるとか、頭脳とかを抜きで頼りになるやつかもしれない。
「そうだな」
俺はつぶやいた。
決めた。
夜が明けて、体調が回復していたら、もう優陽は美良野から降ろして、どこか安全な場所に置いていこう。
「なぁ、ところで、ドリンクバーのコーンスープ飲んだか?」
とカルマが言った。
「いや、まだ。うまいか?」
「うまい」
すごい笑顔で言った。
お前……美良野のこと理解不能って言ってたのに、よくそんな得体のしれない飲料を喜んで飲めるよな……それともお前の中じゃ腑に落ちて安心安全なところまで論理的計算が終了したのか? 凡人の俺にはついていけねえよ。
などと色々思ったが、笑顔に負けて何も言えず、俺も飲むことにした。
「……うまい」
カップをテーブルに置いた。
多分これが、最後の休息だ。
明日の俺たちに、地球の命運がかかっている。